概要
『ゲゲゲの鬼太郎』の登場人物。原作及びアニメ第1期と第3期劇場版『激突!!異次元妖怪の大反乱』では、設定が大きく異なる。
貸本版
『ボクは新入生』に登場する。ソルボンヌ大学出身の才女で、ガモツ博士の娘。本人曰く大卒以外の男とは結婚しないと決めているらしい。
だらしない男が好みで鬼太郎とねずみ男を虜にしたが、目玉おやじからはフランスからやって来た吸血鬼ではないかと疑われた。
マガジン版&第1期版
CV:江原詩織
『朧車』及び、それを原作として製作された第1期58話『おぼろぐるま』ではおばけの国の総理大臣であるぐわごぜの娘。
貸本版のカロリーヌと同様に鬼太郎やねずみ男の2人を虜にしてしまう魅力の持ち主だが、その本質は父同様に腹黒な性悪で、本心では2人を騙して朧車に始末させようと目論んでいた。最後は怪気象の消滅により他の妖怪達共々消え去る。
第3期版
CV:藤枝成子
ねずみ男が主役といっても過言ではない映画、『ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱』のゲストヒロイン(ビジュアルはメイン画像のもの)。
長い金髪を後ろで三つ編みにした、純真無垢な性格の可憐な幼女で、特徴的な模様があしらわれたロケットペンダントを身に付けている。
「妖怪の、妖怪による、妖怪のための帝国」を作るべく東京に出現した妖怪皇帝率いる異次元妖怪軍団によって世間が大パニックになる中、天童ユメコと2人で都内を歩いていたねずみ男は地下鉄丸ノ内線で脱出を試みるが、妖怪皇帝配下の土蜘蛛が地中まで侵入。
非常停止した電車から脱出する途中、逃げ遅れて1人で泣いていた所をねずみ男達に発見され、一緒に逃走する。その後合流した鬼太郎達に保護され、漫画家・水木夫妻の家に匿われた。
匿われている間、ねずみ男と交流を深めてお互いに「カロリーヌちゃん」「ねずみ男ちゃん」と呼び合うまでに親しくなるが、後に水木家を襲撃した白うねりに攫われ、妖怪皇帝の側近を務める妖怪内閣総理大臣・ぐわごぜに鬼太郎達を誘き寄せる人質とされてしまう。
その正体は原作同様、ぐわごぜの実の娘である。鬼太郎達を朧車の力で亡き者にしようと目論む、妖怪皇帝に唆された父によって東京へと送り込まれた、というのが事件の真相であった(なお前述のロケットペンダントは発信器の様な役割を果たしており、それを通じてぐわごぜはカロリーヌの居場所を探知する事が出来る)。
もっとも当の本人は、父親から「鬼太郎さん達と遊んできなさい」と命じられその通りにしただけで、自分が利用されている事は全く知らない。
ぐわごぜから自分を助けるべく駆け付けた鬼太郎とぬりかべが、朧車の妖力で石と化した光景を目の当たりにした際は「あの優しいパパが…!」と言って強いショックを受け、泣き出してしまった。
その後、遅れて国会議事堂へ辿り着いたねずみ男と合流。カロリーヌは、自分の素性と鬼太郎を元に戻すには朧車の涙が必要な事を明かし、ねずみ男と共に鬼太郎達を元に戻すため朧車がいる地下へ向かう。
どうにか朧車の涙を手に入れる事には成功したものの、一足逃げ遅れたカロリーヌは朧車に撥ね飛ばされ、致命傷を負ってしまう。
急いでカロリーヌを助け出したねずみ男は彼女を抱きかかえて安全地帯へと避難するが、既に彼女の小さな命の灯火は消えかけており、自分の死期を悟った彼女はねずみ男に「パパを許して欲しい」、「もし生まれ変われたら、私をねずみ男ちゃんのお嫁さんにして欲しい」と願い、その願いを受けたねずみ男は即座にこれを承諾。
その言葉を聞いて安心した彼女は大好きなねずみ男の腕の中で静かに息を引き取り、その遺体は「嫌だ」と悲痛な叫びをあげて泣きじゃくるねずみ男の懇願も虚しく、光となって天へと消えていった。
その後、妖怪皇帝に対する怒りに燃えるねずみ男は鬼太郎も真っ青の無双ぶりで鬼太郎の下へ。そしてぐわごぜに「お前はバカ親父だ」と怒鳴りつけ、カロリーヌの死を告げる。
娘の死を嘆くぐわごぜだったが、妖怪皇帝はそんな彼を突き放す。
復活した鬼太郎は妖怪皇帝との決戦に挑む。しかし、その最中妖怪皇帝が身勝手なディストピアを作ろうとしているだけと気付いたぐわごぜが、娘の仇を取るために介入してくる。
妨害したぐわごぜを妖怪皇帝は国会議事堂の頂から蹴落とし、殺してしまう。しかし、その隙を突かれ、妖怪皇帝もまた鬼太郎に倒された。
事件解決後、ぐわごぜとカロリーヌ、親子2人の墓に彼らのペンダントとネコ娘特製のまたたび餅を備え、手を合わせるねずみ男は穏やかな笑顔を浮かべながらこう呟いた。
「親子で、仲良く食べな」
彼は約束通りぐわごぜを許したのであった。
関連イラスト
関連項目
4期と6期に登場したキャラクターにして、ねずみ男の悲恋物語のヒロイン。
5期の劇場版『日本爆裂!!』と6期の劇場版『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎』に登場したヒロイン。前者は鬼太郎やその仲間達によって救われたが、後者はカロリーヌと同じく悲劇的な結末を迎えている(ただし、悲惨さや救われなさで言えばこちらの方が上)。