概要
属名はラテン語で「2本の歯」を意味し、その名の通り口吻部から突き出た2本の牙と亀のような嘴が外観上の大きな特徴である。リチャード・オーウェンにより名付けられた。
ペルム紀中期に出現したが、初期の種はモスコプスやパレイアサウルス類など既存の大型植物食動物との競合を避けるためか、全長1m未満の小型の種が殆どだった。一方で現在のホリネズミ等のように、氾濫原の土手などに穴を掘ってつがいで暮らし、育児を行うという独自の生存スタイルを生み出したことで、徐々に世界中へと放散、進化していった。
ペルム紀後期にライバルとなるモスコプスの仲間などが激減・絶滅すると、それに乗じて頭骨だけで70㎝に達する様な大型種まで30を超える属が誕生した。しかしペルム紀末に発生した「P-T境界の大絶滅」により、大型の種などは絶滅の道を辿り、祖先同様に穴居性の小型種のみが生き延びた。
「P-T境界の大絶滅」の要因は、地球温暖化と酸素濃度の大幅な低下であり、生き延びることが出来た生物種は低酸素の環境に耐える能力を持った種のみだったとされている。ディキノドン類においても、祖先同様に呼吸が阻害されやすい地下の環境に適応していた小型種は、そのおかげで低酸素の環境においても生き延びることが出来たのではと推測されている。
三畳紀前期になると、生き延びたディキノドン類はライバルのいなくなった地上へと進出し、瞬く間に世界各地へと放散し、陸生植物食動物としての地位を築いていった。特に繁栄を遂げたのがリストロサウルスで、化石は世界各地で確認されている。
また、三畳紀中期になると大型化した種も多数出現し、リソウィキアのように象並みの巨体を誇る種も誕生した。リソウィキアは体長5メートル、体重5~6トン以上あったと推定され、後の哺乳類を除けば既知では史上最大の単弓類であり、同時に当時では最大級の陸上動物の一つでもあった。
しかしながら、キノドン類や恐竜が栄えていくにつれ徐々にディキノドン類も衰退していき、三畳紀後期を襲った中規模(とはいえペルム紀末期と比較しての話でしかなく、白亜紀末期よりも絶滅した種の割合が大きいなどかなり悲惨であった。そのため、ペルム紀末や白亜紀末同様に「五大大量絶滅」に含まれる)の大量絶滅で絶滅の道を辿った。以前は、他の地域より孤立していたオーストラリアにごく僅かな種が白亜紀前期までひっそりと生き延びるのみとなったと言われていたが、後にこの化石は白亜紀のワニの化石と、氷河期に栄えたディプロトドンの化石が混じったものだと発覚した。
種類によってはその姿や生態は同じ草食動物のサイや恐竜の角竜類にも似ており、収斂進化の一例とも言える。
ディキノドン類の絶滅以降、地球上の陸生大型植物食動物の座は、恐竜たちによって占められることとなり、単弓類がその座を奪回することになるのは恐竜が消え去った新生代まで待つことになった。
近年、山口県美祢市で、日本初のディキノドン類の化石(左右上顎、しかも特徴的な牙の部分)が発見された。年代は特定中だが三畳紀後期のものとされ、日本初、かつアジア最後のディキノドン類だったと考えられる。新種の可能性が高いため、続報を待とう。