概要
もともと本機は第二次世界大戦後、アメリカのゼネラル・エレクトリック社で、ソ連技術者の監督のもとソヴィエト連邦向けに20両製造されたものである。しかし冷戦の開始で、鉄道車両は軍需物資とみなされてアメリカからソ連への輸出が禁止され、本機はゼネラル・エレクトリックの工場に放置されていた。
しかしこの車両はそのまま錆びついてしまう運命にはなかった。アメリカの鉄道といえば蒸気機関車やディーゼル機関車のイメージが強いかもしれないが、電気機関車が走った区間も存在する。その中に、シカゴを拠点としたシカゴ・ミルウォーキー・セントポール・アンド・パシフィック鉄道、いわゆるミルウォーキー鉄道と、シカゴ・サウスショア・アンド・サウスベンド鉄道(のちのサウスショア線)があった。戦後、輸送力の増強に追われていた両社は、未使用でまとまった両数があった本機の導入を計画した。まずミルウォーキー鉄道が20両全機を100万ドルで購入することでゼネラル・エレクトリック側と合意したが、これはミルウォーキー鉄道の取締役会の反対で取り消しになった。続いてシカゴ・サウスショア・アンド・サウスベンド鉄道が3両、ブラジルのパウリスタ鉄道(Companhia Paulista de Estradas de Ferro)も5両を購入した。その後、ミルウォーキー鉄道も石炭産業のストライキによりディーゼル機関車を蒸気機関車の代替に充てる必要が生じ、電気機関車が不足したことから、残り12両を当初の計画通り100万ドルで買い取った。こうして全機が何らかの形で活躍することとなった。
いつしかアメリカ国内では、当時のソ連指導者ヨシフ・スターリンの名前に由来する「リトル・ジョー」の愛称で呼ばれるようになった。
構造
台車は2D+D2の配置で、車体は前後に短いボンネットがついた箱型だった。最高時速こそ約110km/hと控えめであったが、1時間定格出力は5530馬力で、電気機関車としては当時世界最強であった。機関車全体でみても、ユニオン・パシフィック鉄道の史上最強SL、ビッグボーイに匹敵する強力機だった。
運用
ミルウォーキー鉄道に所属した12両のうち10両は、貨物専用機EF-4型となった。当初ロッキー山脈越えの急勾配でしばしば空転を起こしたほか、強力さゆえに重量貨物列車牽引時には変電所に負担がかかることから本来の性能を発揮することができないというEF200のような事態を発生させた。その後死重が積まれ、変電所が強化されてからは、本来の高性能を遺憾なく発揮し、信頼性も高い機関車として活躍した。残る2両は旅客用のEP-4型となり、すべての車軸にローラーベアリングを備え、運転台を片方撤去して暖房用蒸気発生器と断流器を搭載していた(ミルウォーキー鉄道では電気機関車も転車台で方向転換するのが普通だったので、運転席を片側にしても問題にはならなかった)。出力や信頼性が高く評価されたためか、EP-4型は1957年にカスケード山脈越え区間から転属してきたEP-2型に置き換えられ、全車が貨物用として活躍することとなった。なお変電所が強化されなかったため、最後までカスケード山脈越え区間に入ることはなかった。
これらミルウォーキー鉄道所属機の特徴として、ディーゼル機関車との協調運転ができることがあげられる。ミルウォーキー鉄道の電化区間は急勾配部分に限られており、残りは非電化のままだったので、貨物列車などでは電化区間ではディーゼル機関車の前に電気機関車をそのままつないで走行させていたのである。同鉄道所属の電気機関車にはすべて備わっていた機能であるが、実際にはもっぱら本機がそのような運用に充当されていた。
本機は1974年にコスト削減のため電気運行が廃止されるまで活躍を続け、ミルウォーキー鉄道最後の電気機関車となった。そのため記録映像は多く、今もyoutubeなどで雄姿を見ることができる。
サウスショアー線に移った3両は800型となり、こちらも貨物列車牽引用として1983年まで活躍し、ディーゼル機関車に置き換えられた。末期には、全米で最後の電気機関車による貨物列車であった。
ブラジルへ移籍した5両は、台車を広軌(1600mm)にする改造を受けて活躍した。パウリスタ鉄道は1961年に経営難から国有化され、1971年にFEPASA(Ferrovia Paulista S/A)となったのち、1998年に再び民営化された。このときの電気設備の撤去にあわせて1999年に引退。これによりすべてのリトルジョーが現役を退いた。
現在、ミルウォーキー鉄道の車両が1両、サウスショア線の車両が2両、ブラジルの車両が2両の計5両が保存されている。
現存するリトルジョーのうち、サウスショア線用の803号はイリノイ鉄道博物館にて動態保存がされている。