転車台
てんしゃだい
これまで鉄道の動力に使われていた馬の場合は、終点までたどり着いたら牽引用の棒を外して車両の後ろまで馬を歩かせて繋ぎ直せば、そちらを前にしてまた走らせることができる。
ところが、蒸気機関車の場合はどうしても「前後」が決まりがちで、馬のように線路以外を走らせることは技術的に困難である。
蒸気機関車の「前後」というのは、列車の加減速を決める機関士と、機関士の指示でボイラーの状態を管理する火夫(機関助士)の双方が列車が走る方向とボイラーの状態の両方を監視しなければならなかったためで、(黎明期には色々な機関車があったものの)蒸気機関車は自ずと「前側から『ボイラー・乗務員室・炭庫(テンダ車)』」というレイアウトに決まってしまった。機関車を前後逆向きにして運転する『逆機運転』もあながち不可能ではないが、これらは車両基地や操車場などでの入れ換えやオーバーランからの回復といった最小限度の利用に限られ、本線における負荷の高い運用には耐えるものではないし、衝突事故が起きた際に乗務員を守ってくれるものが少なく、死亡事故にいたる危険性も高い。
日本で連結器が自動連結器へ置き換えられる前は鎖(長さを変更できる調整ねじ付きのものと、大きな鎖だけのものがある)とバッファー(緩衝器)を組み合わせた「連環(緩衝)連結器」が使用されていたが、これは強度が低く破損しやすい(そして強度を上げると鎖が重くなりすぎて係員の肉体的負荷が増える)ことから、「一方の車両のねじ付き鎖を架け渡し締め付けたあと、その上に反対側車両のねじなし鎖を架ける『複式連結』」を行って列車が分離する事故を防いでいた。が、ねじ付き鎖同士やねじなし鎖同士での複式連結はできず、連結器の付け替えをするか、貨車や客車を方向転換して種類を合わせなくてはならなかった。
軽便鉄道のガソリンカーでもガソリンエンジンが車両の前方に搭載され、進行方向も一方向で固定されているし、運転台も前進のみを前提として設計されており、運転台側を後ろにした逆機運転は困難である。
このため、線路の終点には向きに決まりのある機関車や気動車、貨車などの向きを反転する転車台の存在が不可欠となった。
多くの場合、路線の始点、終点のほか車両基地にある場合が多かったが、車両基地は極力ある路線の末端に設けられていた。
電車や電気機関車が配置されている施設の場合、それらを転車台まで自走させたいのであれば、転車台の上に架線を敷設する必要がある。進行方向の分架線を転車台中央部から放射状に引くことになるし、転車台本体で架線を支えるのは構造上困難であることから、架線の建設や維持にかかる費用は大きくなる。
また車両側についても、転車台で方向転換する際はパンタグラフを事前に下ろしておく必要がある。上げたまま方向転換しようとすると、架線から離線したパンタグラフ装置が上昇圧力で持ち上がった状態となり、そのまま他の架線を横から押して架線を引きちぎる事故を起こすことになってしまう。