概要
かたつむりなどの有性生殖を行う雌雄同体の生物や、奇形・突然変異として男女両方の性器を持って生まれた個体を指す。
また、神や天使といった超常的な存在は全てではないが、両性具有として描かれる場合がある。
人間の場合でも、男女両方の生殖腺を持って生まれる者はいる。
実在する事例については半陰陽の項目を参照。
二次元の世界においてはふたなりの項目を参照。
半陰陽やふたなりと比べると、意味を知らなくても字面からある程度は推察できる。
古代ギリシアにおいては哲学・宗教・神話・文学等で想定され、表現されてきた概念である。とりわけ、哲学者プラトーンが対話編の『饗宴』において、アリストパネースに語らせている、原初の人間の「両性具有」がある。これは、身体・精神における完全な両性具有を指す。原初の人間は、完全性と全体性を実現していたという神話である。
古代ギリシアに限らず、西アジアや古代インド、古代中国でも、哲学や宗教、思想、文学等において考えられ、表現されてきた。日本においても、『古事記』などが記す神話は、原初の両性具有を示唆している。
ヘルマプロディートスとセラフィタ
人間において、両性具有は身体と精神(心理)の両面にわたることは、古代ローマのオウィディウスが『変身物語』で記した、ヘルマプロディートスの神話物語に表現されている。また西欧近代の文学者であるオノレ・ド・バルザックの小説『セラフィタ』に、「完全な両性具有」の理想型が描かれている。
ヘルマプロディートスは、身体的な両性具有を主として扱っている。ニュンペー・サルマキス(女性)と青年ヘルマプロディートス(男性)の身体は、一体化し、新しい一人の人間、男女の性的な特質を併せ持つ存在が生まれた、と神話は語っている。しかし、それはどういうことなのか具体的に明らかではない。
古代ギリシアやローマでは、ヘルマプロディーテーの彫刻は、美しい女性の身体に、男性の性器(陰茎)を備えた姿として造型されている。このような造型は、現代の医学的な見地からすれば、半陰陽(インターセックス)の美的表現であるか、または女性的な容姿・体型を持つ男性が、女性状乳房(gynecomastia)を持つ場合の姿である。このどちらも、プラトーンの神話が語る両性具有とは異なっている。(このような像は、女性型の「ふたなり」のイメージとかなり類似している)。
バルザックの『セラフィタ』では、主人公セラフィタは、精神的な両性具有性に重点が置かれて描写されている。身体的には、セラフィタは美しい女性として描写される他方、繊細な美しさを持った完全な男性としても描写されている。二十世紀の女流作家であるヴァージニア・ウルフの作品では、両性具有のオーランドーの性的身体にも視点が広がっている。
身体的な両性具有
「植物・かたつむり」対「高等動物」
身体的な両性具有を考えると、生物的な雌雄の同体性の話となる。植物は一般に、個体が、雄性生殖器と雌性生殖器の両方を兼ね備えているのが普通である。花の花粉は、動物での精子に相当し、遺伝子の多様性維持での受粉による生殖を可能にするが、花粉を発する植物個体は、同時に、他の植物個体の花粉を受粉して、みずから繁殖することができる。つまり、植物は、比喩的には雌雄の生殖器を兼ね備えている。
動物のかたつむりは、有性生殖を行うが、個々の個体が雌雄の生殖器官を持っている。つまり雌雄同体となっている。しかし、高等動物である魚類、爬虫類、鳥類、哺乳類となると、完全な雌雄同体の個体は存在しない。
(ただし、ある種の魚は、水温などの環境条件や、生存する場所の雌雄の数比状況によって、雌雄の性別が入れ替わることがある。魚類は脊椎動物亜門の動物としては、もっとも古く、原始的とも言える生物なので、繁殖の方法において、より自由度の高い形態変化の余地があるのだと言える。この場合、同時に雌であって雄であるということはなく、ある時期には、雄か雌かどちらかの状態で、この状態の入れ替わりがある)。
ヘルマプロディートスとヘルマプロディーテー
古代ギリシアやローマでの両性具有は、男性として捉えると、ヘルマプロディートス(hermaphroditos)であるが、女性として捉えると、ヘルマプロディーテー(hermaphrodite)となる。(男性と女性の文法的性を明瞭に持つ言語では、この「性別」が、ものごとの認識において重要な意味を持っている。日本語の場合、文法的性が明瞭でないので、想像がつきにくい)。
現代のハーマフロダイト概念
現代の生物学や医学では、植物やかたつむりの雌雄同体を表す学術語として、ハーマフロダイト(hermaphrodite)を使っている。高等動物や人間では、雌雄同体は完全には存在せず、男女の生殖器官を併せ持つ個体は、インターセックス(半陰陽)の場合にそうであるように、不完全な形でしか存在しない。
しかし、哲学・文学や、一般的な文化的視野からは、hermaphrodite は、アンドロギュノスと同様に、精神的・心理的な両性具有の意味を含む。
精神的・心理的な両性具有
心の全体性と両性具有
カール・グスタフ・ユングは分析心理学(ユング心理学)の提唱者であるが、彼の考えでは、人間の精神的発達は、「個性化の過程」と呼ばれ、これは「心の全体性」を目標に進展する。ユングは、錬金術における黄金の錬成の過程を、心の全体性の実現過程が、物質の変化に投影されたものとした。
ユングの元々の理論でも、個性化の過程における、男性原理と女性原理の揚棄的総合が考えられていた。心の全体性は、男性性と女性性の統合、あるいは両性の意識化、両性具有の過程であるという考えであった。二十世紀後半にジューン・シンガーは、ユングの個性化の過程を、心における両性具有の問題として広範に論じた。
霊的な両性具有
西欧の伝統的な考えでは、天使などの霊的な存在は、男女の性別などを超えており、両性であるとされる。バルザックのセラフィタは、天使の地上における現れであり、元々霊的存在であった。
ユダヤ教の『旧約聖書・創世記』には、神が二つの呼称で登場する。一つは、「YHWH」という四個の子音文字(テトラグラマトン)で表される「ヤハウェ」で、いま一つは、エローヒムである。人間の創造の神話において、神(エローヒム)は、「われわれに似せて人間を作ろう」と述べて、アダムを土から造型し、アダムのなかに、神の霊の息(ルアハ、プネウマ)を吹き込んだ。すると、アダムは心や精神を持つ人間として存在を始めた。後に神は、女であるヘーウァを造り、人間は男性と女性の二つの性からなる、「霊をうちに持つ生き物」となった。
エローヒムは両性具有の集合神である。エローヒムに似た存在として創造された人間は、男性と女性の集合において、両性を具現しているとも言える。(エローヒム Elohim は、ヘブライ語の男性名詞エロー eloh に女性複数語尾 -im を付けた形である。複数存在で、男性であって女性である名詞である)。
両性具有の象徴的イメージ
神や天使を絵画的に表現しようとすると、象徴的な像になる。カール・ユングは、錬金術における、王と女王の聖なる一体化・結合(聖婚)は、全体性の実現、錬金という個性化過程の完成を表す象徴であるとした。この王と女王の一体化という象徴は、ヘルマプロディートスの神話が語っているのと同じである。
プラトーンの神話では、人間は原初、両性具有の球体存在(完全な存在)であったが、二つに切り分けられて、男性と女性に分かれた。ユングの個性化の過程や、錬金術の聖婚が語るのは、分裂した男女が再び一体化して両性具有を成就するということである。
人間は女性が基本形である
人間は、受精の瞬間に、すでに性遺伝子的には、XXとXYの男性と女性の分化が起こっているようにも思えるが、実際はそうではない。発生学的には、男女の分化は、胎児の発生発達と共に起こるのである。人間は、女性を基本的な形態・形質としている。胎児は、男性ホルモンの作用による「男という分化路」に進まない場合は、すべて女児として誕生する。
両性具有の天使のイメージは図像学的には、元々は男性の姿だったが、時代が進むにつれて、次第に女性的な姿となって来た。原初の人間、本来の人間の姿にもっとも近いのは、実は「女性の形態」である。
人間は本来的に両性具有である
『旧約聖書・創世記』は、女ヘーウァはアダムから造られたと述べている。しかし現代の医学的な知見では、人間の本来の姿は女性型であり、基本的な女性人間に、部分的な変化を起こさせることで、男が分化生成されている。精神の両性具有はより複雑な未知の世界で、宇宙的な広がりを持っていると思える。しかし、身体の外見的には、両性具有は女性の姿がそれに近い。それも過剰に性別分化が起こる前の、基本的な女性人間としての姿がより近い。
古代ギリシア語では、子供・少年・少女を意味する単語は、pais(パイス)であるが、この語は、文法的に「男女同形」である。両性具有の絵画的な象徴イメージとしては、「翼を持つ若い女性」が近いと言える。男女区別がいまだ明瞭でない、翼を持つ子供の姿が相応しいのかもしれない。
ゆるかやな両性具有の概念
両性具有は、人間の全体性の実現を哲学的・神話的に措定したもので、完全な両性具有の人間は現実には存在しない。
しかし「両性具有」という言葉は、男性の性器官と女性の性器官を、部分的に備えているような人、つまり半陰陽の人や、それに近いイメージに対し、使用される。女性の身体に男性の陰茎が付け加わったようなイメージの場合、これを「両性具有」の人と呼ぶことは、比喩的な意味で、あるいはゆるやかな言葉の用法としてあっておかしくない。
「われわれの社会は自由平等な社会で、抑圧的専制的な社会とは異なる」というような言明はありえるし、実際にこのようなことが述べられている。しかし、自由と平等は根本的には矛盾するので、「完全な自由平等の社会」というのは存在しない。しかし、完全な実現ではなく、ゆるやかなありようとして、このような用法もおかしくはない。
そのような意味で、比喩的な「両性具有」を使うことには一定の妥当性がある。
「両性具有」は、霊魂(プシューコプネウマ, psycho-pneuma)と肉体(サルクス, sarks)の総合としてある人間存在の本質的な問題である。
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