概要
九州の球磨川もしくは筑後川に棲んでいた、西国の9千匹の河童を治めていたという大親分で、中国の黄河上流から一族を率いて仁徳天皇統治(3~4世紀)の時代に熊本県の八代に上陸して棲みついたものであると伝わる。
その勢いは衰えることを知らず、九州では多くの牛馬や人々が河童の害を受けた。
しかし安土桃山時代の末期、肥後熊本藩初代領主加藤清正統治の時代に、あろうことか清正が寵愛した小姓の尻子玉を抜いて殺してしまったことから、九千坊とその一族は清正の軍勢によって徹底的に殲滅されそうになる。
球磨川は高僧によって結界が張られて逃げ出せないようにされた上で毒や焼石を投げ込まれ、九州各地より集められた河童の天敵であるという猿をけしかけられた。
滅亡の危機に瀕した九千坊とその一族は、関雪和尚に仲介を頼んで命乞いをし福岡県の筑後川、田主丸馬場の蛇淵に逃れた。
この地を治めていた有馬公に悪さをしないことを条件に棲むことを許可されたことに温情を感じ、久留米の水天宮の眷属として暴れ川である筑後川の水難を抑えることに尽力した。
有馬家が文化年間に江戸の日本橋蛎殻町に水天宮を移すと、九千坊と一族は隅田川に棲むようになり、東国関八州の女親分である利根川に棲む禰々子河童と争ったが、力及ばずに敗れてしまったという。
一説によると九千坊とは中国大陸の呉の政争から日本に逃れてきた技能者集団を含んだ一族、もしくは海賊であったという説もある。また久留米では沙悟浄の兄貴分であったという異説もある。
余談
加藤清正との関係についてはすでに江戸時代の書物にあるが、海外出身であるという話しや沙悟浄の兄貴分というエピソードなどは、1951年から西日本新聞に連載されていたエッセイスト・佐藤垢石による連続小説『河童のヘソ』や同氏の随筆が初出であるという。
本来の故郷は中央アジア・パミール山地のヤルカンド河で、寒波による食糧不足から東に旅を続けて黄河を経て、黄海で巨大魚鯤との争いに敗れ、さらに海若(かいじゃく)という種族と戦った末に九州にたどりついたとされる。
西に向かって旅立ち最終的に東欧の水妖の大親分となった獏斎坊(ばくさいぼう)という同類についての記載もあるが、こちらはあまり知られていない。
創作での扱い
上記のように久留米で祀られており、麦焼酎の銘柄やラーメン店などの飲食店の名前としても用いられている。
和風のゲームでは河童の上位種や中ボスとして採用されている場合も多い。
- あやかし百鬼夜行
CV:佐藤拓也
十本頭である家庭菜園と川釣り好きの優男姿の赤髪の河童だが、登場妖怪の中では最も素早さが高い。
- SMITE
米Hirez社のDotA系ゲーム。ゴッド「九千坊(kuzenbo)」として登場し子ガッパを投げて攻撃する。
- 巨勢入道河童 平清盛
童門冬二著の河童に生まれ変わった平清盛が、自身の人生を九千坊の前で語るという時代小説。