五体満足(ごたい まんぞく)とは、五体が完全に揃っていること。また、その様子。身体に欠損の無い状態。
出典等
※a 「五体満足」 コトバンク > 小学館『精選版 日本国語大辞典』
歴史に見る五体満足
統治者は五体満足でなければならない
皇帝は五体満足でなければならない
ローマ皇帝の即位の条件には「五体満足でなければならない」という不文律があった。そのため、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では、失脚させられた元皇帝や帝位を狙える政治的危険人物が、新たな皇帝の命で不具の刑に処せられることがあった。
ローマ帝国史上最初に行われたのは、共同統治者(共同君主。cf.共同主権)を暗殺した疑いで帝位を奪われたヘラクロナスに対してで、彼は鼻削ぎの刑に処されたうえでロードス島に追放されている。
これ以降、同国では、同じ意図を持った不具の刑が、化学的(薬品で失明させる)もしくは物理的に視覚を奪う(眼球を抉り取る)盲目刑という形でたびたび行われた。化学的に処された場合は、憐憫の情が働いた結果か、直後に治療されて失明を免れた例もある。
ビザンツ史上の盲目刑の中で最も印象的なのは、ニカイア帝国 (cf.Wikipedia) におけるヨハネス4世ラスカリス (cf.Wikipedia) の例で、彼は、先帝の没後の混乱に乗じて摂政ムザロンを暗殺して成り代わった有力貴族ミカエル・パレオロゴス(ミカエル8世パレオロゴス、cf.Wikipedia)の共同統治者(幼帝と後見人の関係)として若干7歳の頃から利用された挙句、コンスタンティノープルの奪還が実現した1261年になると、用済みとばかりに帝位を簒奪 (cf.Wikipedia) されたうえで、同年12月25日に迎えた11歳の誕生日のこと、帝位に返り咲けないよう両目を潰され、ビテュニアにある要塞(マルマラ海の南岸にある要塞)に幽閉されている。まんまと帝位を奪ったミカエル8世パレオロゴスは有能で、細々とながら長く続くことになるパレオロゴス王朝(ローマ帝国史上で存続期間最長の王朝)の始祖となった。ヨハネス4世ラスカリスのほうは、人生の大半を地下牢で暮らしたが、彼の悲劇は民衆の同情とコンスタンティノープル総主教庁の怒りを買っていた。ミカエル・パレオロゴスの後を継いだアンドロニコス2世パレオロゴスが皇帝即位の2年後(25歳時)に要塞を訪ね、34歳になっていたヨハネス4世ラスカリスに亡き父の仕打ちを詫びると、それを受け容れてかどうかは判らないが、数年後には2代皇帝の正統性を承認したと記録されている。その後、ヨハネス4世ラスカリスは修道士となり、55歳で亡くなった。
出典等
※a キーワード検索例「皇帝は五体満足」
※b 「しくじり一族 パレオロゴス家 ビザンツ帝国・滅亡への道【ゆっくり解説】#1」 よつばch(歴史系YouTubeチャンネル)。※ビザンツ帝国編 全5回のうちの初回で、ヨハネス4世ラスカリスの逸話を含む。
スルタンは五体満足でなければならない
五体満足でなければ成仏できない
古来、中国には「五体満足でなければ成仏できない」という死生観があったが、皇帝の後宮に仕えて権勢を狙う資格を得るために去勢するのが必須条件になっていた宦官たちは、制度上も実態としても「五体満足」ではあり得ず、自ら切り取った逸物を確保して死後に備えた。
去勢する際には陰茎だけでなく睾丸も切除していたが、切り取られた陰部は防腐処置を施して保存しておき、必要に応じて「宦官である証明」のために提示することがあった。
死者は来世のために五体満足で埋葬される必要があり、陰部も一緒に埋葬されたが、宦官は肝心のモノを紛失などしている場合があり、他の宦官の陰部を高額で買い取ることがあったともいう。
出典等
※a 三田村泰助『宦官 側近政治の構造』 中央公論新社〈中公新書〉。
※b 「セックスさせない去勢の歴史!一生抱けない男たちの人生に涙」 コイラボ