1576年に生じた石山合戦における戦いのひとつ。
概要
1576年、石山本願寺は中国の毛利輝元と同盟を結び、勢力を拡大。
織田信長はこの勢いを止める為、明智光秀・塙直政・佐久間信栄らに石山本願寺へ攻撃を仕向けさせた。
対する石山本願寺は雑賀孫一率いる雑賀衆の手を借り、数千の鉄砲で織田軍に反撃。
攻勢していた塙直政は戦死し、織田軍は次第に立てこもった天王寺砦を本願寺軍に包囲され、
危機に陥った。
天王寺砦から後数日も持たないと救援の要請を受けた織田信長はまだ3000の兵数であるものの、このまま天王寺砦の味方を殺せば面目が立たないとし、15000人の本願寺勢に突撃を敢行。
陣立ては3段。
2番手は滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄ら。
3番手は信長の馬廻りで、信長自身は先手の足軽に混じって指揮を取った。
信長は荒木村重にも先陣を任せようとしたが、村重本人は辞退した。
信長本人が前線に出ていたこともあり、足に鉄砲を喰らったものの、攻勢は続き、
天王寺砦と合流。
合流した後はこれを機と捉え、再び本願寺勢に突撃を仕掛け、
石山本願寺まで追い詰める大勝を喫した。
余談
- 足を負傷したこともあってか、これ以降信長自身が前線に出てくることを自重するようになった。