嵐山十郎太
あらしやまじゅうろうた
『———参る。』
『ケンガンオメガ』の登場人物で、拳願会と煉獄の対抗戦における煉獄側のメンバー。A級闘士の中でもロロン・ドネアに比肩する実力と言われていることから「双王」の一角と称される。
作中最強クラスの黒木玄斎から、自分と同じ高みにいると評価されるほどの実力者。
外見は柔道着に下駄と一見コスプレにしか見えない出で立ちをしており、古風な口調で話す。
拳願会に負けず劣らず個性派が多い煉獄側の対抗戦メンバーの中では比較的冷静で穏当な性格であり、洞察力も優れている。
呉雷庵の残忍な言動や振る舞いに「外道め」と嫌悪を見せるなど、生殺に関する倫理観も至極真っ当な部類に入る。
カーロス・メデルを「わが友」と評していたり、呂天と戦友として酒の席で親交があったりと、寡黙な割に煉獄内での人間関係自体は概ね良好。
ただ、山下一夫に対しては試合経過から選手選抜の采配と、加納アギトや三朝ら上位闘技者が跪いていた(アギトが試合後でダメージからふらつき、山下は駆け寄り三朝が肩を貸そうとしただけ)ことから勘違いに等しい警戒感を抱いている。
柔道に対して非常にストイックに己を鍛え続ける典型的な求道者。
「ルールに左右される強さなどたかが知れている」「如何なる条件であろうと勝つことこそ真の強者の証」という信念から、煉獄のルールが自分にとって不利になることを承知で煉獄に身を置き、煉獄のルールを愚直なまでに遵守する姿勢を取る。
……と、ここまでは良識あるストイックな武人であるが、実態は煉獄代表選手の中でも随一のぶっ飛んだ性格でもある。
過去
16歳で柔道日本選手権100kg超級で初優勝したことを皮切りに3連覇を成し遂げるも、あまりに強くなり過ぎたことで高みを目指す意義を見失う「絶望」に陥り、19歳になってからは大会にも出場しなくなる。
そんな折、たまたまテレビのニュースで見かけた当時12歳の目黒正樹の活躍を見て、「いずれ自分を脅かす宿敵になる」と直感。それからは目黒と戦うことを目標とすることで活力を取り戻し、自ら世界王者という王座に君臨することで目黒を待つことを決意した。
そして20歳で柔道世界選手権100キロ超級を制すも、奇しくも同じ年に目黒が連続殺人犯となったと知ると、失踪した彼を追うように表舞台のみならず裏からも完全に姿を消し、以降15年間は山中に籠りひたすらに修練に没頭。
5年前に対人稽古を解禁して煉獄に参戦し、闘士達との実戦を重ねて己の柔を極限まで研ぎ澄ませてきた。
因縁どころか直接的な面識すらなく、たまたまテレビで見た目黒を一方的に宿命のライバル認定し、彼と戦うためだけにこれまでの栄光の全てを捨てて15年もの間山籠りをしたという目黒への執着心は、十鬼蛇王馬に異常な執着を見せていた桐生刹那に匹敵すると言ってもいいかもしれない。
戦闘スタイルは前述から予想できる通り柔道。
表舞台を去ってから20年に渡って「投げ」のみを追求し続けた果てに、後述する投げ技の弱点を克服した技術「振り」を発明。
掴まず(組まず)に相手を投げ飛ばすという超人的な技術を会得した、最高峰の「投げ技」の使い手である。
一方で柔道に特化している分、打撃技を含めた柔道以外の技は一切習得しておらず、異種格闘が基本の仕合でも蹴りなどの打撃を一切使わないのが最大の欠点。
また、投げ技は威力のコントロールが難しく、「振り」を用いた投げの威力が高すぎるため、煉獄の不殺ルールとは致命的に相性が悪いという悩みも抱えている。
一撃で人間を投げ殺せる力量を持つが故に、不殺に加えてダウン制により投げ技からの追撃を禁じられる煉獄ルール下では常時手加減を強要されている状態にあるが、言い換えれば本来なら難しい「投げの威力のコントロール」もこなせるからこそ、煉獄トップクラスまで上り詰めたのだと推測できる。
なお、煉獄にはリングアウトさせれば場外負けがあるから敢えてリング際で戦えば、嵐山レベルの投げなら簡単に勝利量産も可能だろうが。
拳願仕合に移籍してからは柔道専門のファイトスタイルを「封印」して打撃技も使う様になり、2m、130kgと言う巨体から繰り出す打撃の威力は凄まじく、嵐山の打撃を見ていた王馬は「フォームは出鱈目だが重くてくらい続けるとやべぇ」と評しており、打撃に「振り」を組み合わせることで、より厄介となっている。
- 「振り」
嵐山が20年の歳月をかけて完成させた新たなる「投げ」。
技の理屈は二虎流の「操流ノ型」と同じく、力の流れ・重心を利用した投げ。ただし、重心の操り方が人間離れしており、同じ原理を扱う王馬自身が「自分の上を行っている」と評価している。
衣服を二指で挟むだけ、一本の指先を前襟にかけるだけ、極めつけは指先の皮膚の摩擦だけで、相手を掴まず(組まず)無造作に刀を振るように投げる…というもの。
最早合気の域に片足を突っ込んでおり、端的に言えば嵐山の指先が一本でも相手の衣服の端或いは皮膚に触れただけで相手は投げ飛ばされる。
掴むという所作を不要としているため、柔道家の天敵の代表格であるノーギ(衣服を着ていない状態)の格闘家に対しても有効。
打撃を受け流して相手の関節をいとも容易く外し、強く投げれば投げた地面にクレーターを作り出すほどの威力がある。
投げの速度も異常で、「拳眼」の超人的な動体視力ですら、相手が近づいた次の瞬間には相手が地に叩きつけられているようにしか知覚できない。さらに先に組み付かれたとしても相手が投げの動作に移る前に投げ飛ばすことが可能で、あまりの速度に柔道の大天才であっても受け身を取ることはほぼ困難。
投げ技には「投げるまでの予備動作」「組み(掴み)と投げの間の時間差」という弱点があるが、この技術は相手を掴まない関係で予備動作がそもそも発生せず、その弱点が存在しない。
殺傷力も十分に高く、あらゆる戦闘技術を模倣できるアギトも再現は不可能と即座に断言した絶技である。
打撃技の解禁をしてからは重い打撃の連続攻撃を繰り出しつつ、打撃を囮にして「振り」を交ぜて行く凶悪なコンビネーション攻撃を会得し、更に厄介さを増している。
対抗戦では第8仕合に出場し、目黒のクローンである速水正樹と対戦。
開始早々驚異的な力量で速水を全く寄せ付けない程の一方的な試合運びを展開する。仕合の中で「速水正樹は2年前に死んだはずの目黒正樹そのものである」という彼なりの確信は強まり、引き続き全力の攻撃を繰り返すが、尋常ならざるタフネスと回復力を持つ速水は幾度となく立ち上がる。決め手を欠く中で速水に投げの呼吸を読まれ、投げられる最中に鎖骨を肘で打つ相討ち狙いの反撃を許してしまう。
片腕を破壊されても尚技をかけ、足払い程度なら成功するも当然速水は止まらず、速水にも有効なダメージを与え得る背負い投げを再び狙うも、片腕だけでも投げに移行出来るほど速水は温い相手ではなく、逆に一本背負いで投げ飛ばされたのちにマウントポジションを取られ、審判がダウンと判定する前に顔面に鉄槌の連打を打ち込まれるラフプレーを喰らって敗北を喫した。
仮に普通の柔道であれば最初の一撃で一本勝ちであり、拳願仕合ルールならダウン後に追撃ができて高確率で勝利していたが、煉獄ルールや速水の異常な特異体質といった致命的な相性の悪さが複合的に絡んだため、本来なら勝てていた筈の格下であった速水に敗北を喫した。
だが、20年に渡る修練を重ねてまで備えていた宿願の戦いを堪能できたからか、嵐山の顔には満足気な笑みが浮かんでいた。
対抗戦後は拳願仕合に電撃移籍しており、2年間の間で15勝無敗の成績を誇っている。
その実力は作者からも煉獄最強クラスと評されているが、余りに強すぎてどう負けさせるべきか、かなり苦心したらしい。
そのせいで疑問に思う点がいくつかある。
一つは速水を城外に投げ飛ばさなかったこと。
前述したように煉獄には場外ルールがあるので、対抗戦が煉獄ルールで行われている以上、速水がいくらタフネスであっても場外に投げ飛ばされた時点で負けになる。嵐山ほどの実力者であれば可能であったはずなのになぜかそうはしなかった。これは嵐山がカーロス・メデルとは違いロマンで戦っている人なので、せっかく出会えた仇敵を判定のような勝ち方で勝ちたくなかったと考えれば納得はいくが説明は欲しかったところでもある。
もう一つは柔道は投げ技だけの武術なのかということ。
柔道には関節技や絞め技もある。どんなにタフネスな相手であっても意識を落としてしまえば終わりだというのは王馬が関林戦で証明している。嵐山が強者なら投げが通じずとも固め技系で攻めていけばいいのに、速水戦において振りしか使っていない。寝技の技量はというと分からないのが実情である。