成田三樹夫
なりたみきお
1935年1月31日山形県酒田市生まれ。ファンからの愛称は「ミッキー」。
山形県内の県立高校卒業後東京大学に入学するも、「野性味がない」と言う理由で1年で退学。山形に帰郷し山形大学に入学し直したものの、結局演劇にのめり込んだ結果2年半在籍した末にここも退学してしまった。
一念発起して再上京したものの、俳優座養成所の入所試験に滑ってしまい、1年浪人するハメになった。
再チャレンジでようやく俳優座養成所に入れた時には24歳になっていた。かなり歳を食ってから俳優座養成所に入所、しかも一人でいることが好きだったからか、周囲からは「変わったオッサンが入ってきたもんだなあ」とみられていた。
1964年に映画デビュー後、悪役を演じて頭角を現わす。端正な顔立ちに鋭い目つき、ドスの利いた声と豪快な笑い声が印象的で、ニヒルで渋い美形悪役から銀塗りの悪の帝王まで幅広く演じた。
『仁義なき戦い』シリーズを始めとして、数々のヤクザ映画に出演した。
時代劇でもその迫力ある演技力は生かされ、特に千葉真一主演作への出演が多く、『影の軍団』『柳生あばれ旅』では常連悪役として数々の黒幕・強敵を演じた。
また、1983年の大河ドラマ・『徳川家康』では今川義元を演じ、得体の知れない乱世の梟雄としての一面を加えることでこれ以後の義元像に大きな影響を与えた。
現代劇ではコミカルな役柄も演じ、松田優作主演の『探偵物語』における服部刑事が当たり役。金槌で肩を叩きながら「工藤ちゃ~ん」と言う姿は、後年多数のパロディやオマージュに用いられている。
ただ脇を固める事が多かったため、主役を張ることがほとんどなかった。1968年6月に大映系の映画館で公開されたホラー映画『怪談おとし穴』と、梶山季之が発表した一連の産業スパイもの小説を原案に大映テレビ室が製作し、1966年2月から6月にかけてTBS、CBC、朝日放送、北海道放送、RKB毎日放送ほかで放送された『土曜日の虎』は、そんな数少ない主演作である。
本来は詩を書き、将棋を嗜む、とても思いやりのある好人物だったのだが、若い頃から悪役ばかりこなしてきたため、母親から「本当に悪い人間にならなければいいのだが」とガチで心配されたことがあった。
1970年頃に結婚、娘を2人もうけているものの、家族のことを人に話したことは全くと言っていいほどなかった。
酒好きとして悪名高く、そのせいか30代半ばで胃潰瘍を患ってしまった。ただし酒は仕事仲間達と飲むよりは一人で飲むタイプだったという。また、少年時代に野球の試合中にボールが右目に当たってしまい、結果右目をほぼ失明してしまった。だがそのハンデを乗り越え、名悪役として名をはせたのだった。
1990年4月9日、胃癌のため東京都内の病院で死去。55歳没。