会社概要
1979年に愛知県や小牧市が株式の過半数を出資し、そのほか名古屋を活動の拠点とする企業などが出資した第三セクターとして設立された。目的としては「小牧 - 高蔵寺間を結ぶ中量ガイドウェイシステムによる公共輸送路線」の運営であったが、途中で桃花台ニュータウンを通すこととなり、費用の比較的かからない小牧への路線を先に開通させたものの、結局この路線の一部は未成線となったため、実現することはなかった。
1991年より新交通システム(AGT)である桃花台線の運営に当たったものの、2006年に新交通システムの運営を停止、会社は清算され2009年に消滅した。
桃花台線
愛称はピーチライナー。
この路線の特徴としては中央案内方式(案内軌条が中央に存在する形式、日本国内ではここと山万ユーカリが丘線のみであり、これは「標準型新交通システム」採用以前に計画されたものであるためであると思われる)を採用している点である。
路線は全線小牧市内にあり、起点の小牧駅では名鉄小牧線と接続していた。また本来は高蔵寺駅への延伸計画も存在し、これがきちんと完成していれば中央西線や愛知環状鉄道との連絡も可能となり、沿線住民以外の利用も見込めたと思われるが、利用者の見込みを誤り多額の負債を抱えたことと費用面の問題もあり、最期は断念した。
問題点
杜撰な計画から市民の足として機能せず、短期間で廃止された新交通システムとして有名。
まず、利用予想が甘かったとされる。当初桃花台ニュータウンに約5万人以上が入居し、その30%が利用するとの予測を立てていたものの、実際には約半分の3万人未満であり利用者も自動車を利用することが多いため6%に過ぎなかった(特定地方交通線の廃止基準を満たしている)。
また、当時の小牧線は名古屋市営地下鉄上飯田線が計画段階であり(上飯田線の開通は平成15年)、そのため名城線と直接接続しておらず(過去においては名古屋市電と接続していたが廃止の際代替路線が作られなかった、さらに過去には犬山線と接続する岩倉支線が存在したもののそちらはそれ以前に廃止されていた)、名古屋中心部へのアクセスは10分歩いて地下鉄に乗るか、路線バスでの連絡となった為、不便極まりなかった(そのため岩倉支線の廃線は妥当ではなかったとする意見もあった様である)。また住民がよく利用するJR春日井駅との連絡もなかったため、より一層利便性が劣ることになった。むしろ桃花台ニュータウンからJR春日井駅までのバスを要望する声が多かったがそれは当時実現しなかった。
さらに運賃が高額であった(営業キロ数7.4km、運賃は一番高い状況で350円)ため、これがさらに利用を妨げていた。そんな状態からピンチライナーと呼ぶ沿線住民も居た。
以上の要因が重なり、輸送密度が最大で「約2600人/日」であった本線は赤字がかさみ30億円を10年で使い果たしてしまった。有識者会議は磁気誘導式無軌条交通システム(IMTS)に切り替えることを検討したが転換のために当初の想定以上の費用がかかることが判明して断念。延伸してアクセスを改善するにしても廃止して撤去するにしても費用がかさむものの、廃止のほうがまだしも手っ取り早いとして2006年に廃止された。廃止話が具体化してからもニュータウン住民からの反応は無に近く、廃止後の代替バスや名古屋直通の高速バスも新設された結果、「廃止されて却って便利になった」と言われる始末だった。
ネット上では上記の様に計画の杜撰さが挙げられる一方、地元民と思われる人々からは、「高蔵寺駅の接続を優先するべきだった」「JR春日井駅と接続するべきだった」「小牧駅から岩倉駅まで延長するべきだった」(ピーチライナー開業前の代替バスは小牧駅〜桃花台を結び、後に岩倉駅まで延伸されていた)「一宮駅まで延長するべきだった」(ちなみに名古屋鉄道の路線として、岩倉駅と東一宮駅を結ぶ「一宮線」が実在していたが、こちらも岩倉支線とほぼ同時期に廃止となっている)との指摘も見受けられる。
駅一覧
車両
開業時から廃線時まで活躍した。
廃止後は山万や埼玉県の鉄道博物館に売却を打診したが、断られた。鉄道博物館は「置き場がない」という理由で断っているが、「JR東日本と何ら関係のない赤字路線の車両を保存する意義が無い」というのが本音であろう。もし展示されていたとしたら負の遺産として展示されていたのだろうか?
山万は同じシステムを使っているが、車体両側面への扉の設置改造が必要なだけでなく、車両限界の関係で物理的に入線ができなかった。
結局、合計5両が愛知県や三重県に保存され、他は解体された。
関連項目
新交通システム(AGT) 第三セクター 高額鉄道 廃線 未成線
三江線:同様に旅客の動線を無視した経路で建設されたため、利用が伸び悩み廃止になった路線