概要
概要
「お前が我妻か…… 話は聞いている。金はちゃんと払えよ」
「本来、戦場ってのは相手をぶち殺してナンボだ。卑怯もクソもねえ」
CV:ヤシロこーいち
古武術の達人にして師範。自身の道場も持っており、我妻京也が免許皆伝を得た15才になるまで、短刀などの武器を教えていた。我妻が門を叩いた頃でもすでに推定70代であり60代の天羽桂司や人食い伊能らよりもかなり上。
人物
人物
性格
道場を持つほどの古武術の達人。同じ古流武術の師範でも宮沢永徳のような外道ではないだろうが以下に述べるように出来た人物とは言えない。特に金勘定には厳しく指導料を始めとする料金さえ払えばどんなに人間性に問題があっても教えられる限りの指導をするほどである。
我妻も田宮が技を教えてくれた事には感謝していたが個人的には全く慕っておらず、田宮もあくまで金と引き換えに指導していただけで我妻の事は気味の悪いガキとしか思っておらず、お互いに師弟愛は皆無であった。
経歴
経歴
彼の下で我妻は多くのことを学び、金銭面を理由に去る時までには口には出さなかったものの「もう教えることもねえわ」と才能に感心しつつも、「どえらい奴を育てちまったもんだぜ」と思わせるに至った。しかし、我妻が途轍もない化け物に変わり後に東北最大の半グレ組織のボスにしてしまうと言う皮肉な事態を間接的に招いてしまった。
京極組御用達である情報屋の風谷が守若冬史郎に語った我妻の過去についての話で再登場。我妻に史上最短で免許皆伝を与えたことなどが改めて語られた。我妻に指南している時、左手に苦無、右手を大鎌という構えだったがこの構えを我妻は受け継いでいない。我妻死後の話になるがエルペタス戦争で三門一郎太と戦った雷一族の万雷がこの構えを用いた。万雷は左手に構えた苦無を防御に用いていたが、田宮も万雷と同じく左手の苦無を防御にも用いていた可能性が高いと思われる。