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田崎潤

たざきじゅん

日本の俳優。(1913年〈大正2年〉8月28日 - 1985年〈昭和60年〉10月18日)

概要編集

本名は田中実。青森県青森市出身。新東宝入社前は本名または月波洋三郎、毛利賢二の芸名で活動していた。


1933年から地方巡業の役者として芸能活動を始め、1935年に森川信らのレヴュー劇団ピエル・ボーイズに入団。この時、月波洋三郎月波貫一の芸名を名乗る。

1936年に退団後は中華民国だった上海にわたり、劇場の踊りの振付師を務める。

1937年に帰国して名古屋の劇団に身を寄せるが、まもなく応召。1938年に除隊し、1939年に毛利賢二の芸名で新興キネマ演芸部に所属。

1942年にはピエル・ボーイズ時代の仲間である清水金一堺駿二らとともに新生喜劇座を結成。本名の田中実名義で活動するが座長である清水の横暴ぶりに不満を抱き堺と共に退団。

その後は水の江瀧子主宰の劇団たんぽぽに堺や有島一郎と共に入団し、軽演劇の舞台に出演を続けるが、1944年に再び応召、終戦まで軍隊生活は続く。


1947年に一旦たんぽぽに戻るがすぐに空気座に移り、1948年に舞台『肉体の門』が、マキノ雅弘監督によって映画化される際、舞台で演じた復員兵役にキャスティングされ、映画デビューをかざる。これをきっかけに新東宝に入社する。

1950年、新東宝の大作『細雪』に出演する際、共演者である田中春男と同姓であったため宣伝部から改名を求められ、『細雪』の原作者である谷崎潤一郎から名を取って芸名を田崎潤に変える。


1951年に連載が始まった『次郎長三国志』を読んで、作中人物・桶屋の鬼吉を自ら演じたくてマキノ雅弘監督に映画化の企画を持ち込み、この『次郎長三国志』は東宝映画でシリーズ映画化され、東宝のドル箱シリーズとなる。


1960年代からは東宝を中心に、黒澤明監督作品からゴジラシリーズなどの特撮・怪獣映画、戦争映画に至るまで、数多くの作品に出演。力強い顔立ちで強烈な存在感を残す役どころが多い。

代表作としては1957年の新東宝の大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』での東郷平八郎連合艦隊司令長官や、1963年の東宝特撮映画『海底軍艦』の神宮寺大佐、1967年の東宝35周年記念映画『日本のいちばん長い日』の小園安名大佐など、叩き上げの軍人役が挙げられる。神宮寺大佐のような武断的な軍人役が目立ち、サラリーマン喜劇では悪徳実業家を演じることもあった。

『明治天皇と日露大戦争』の東郷平八郎役では、日本海海戦で艦隊に号令をかける際、演技指導の元海軍軍人が左手で号令をかけるように指導したのに対し「左手に刀を持っていますので」と右手で号令をかけ、元海軍軍人も「これは失敬。弘法も筆の誤りじゃ」と収めたという。

八甲田山』では地元民役で出演し故郷の津軽弁を披露している。


NHKのクイズ・ゲーム番組『連想ゲーム』のレギュラー回答者でもおなじみだった。スタジオ中に響く大声で答え、他の回答者の前には置かれていたスタンドマイクが田崎の前には置かれていなかったという逸話もある。


1985年10月18日午前3時18分に玉川病院で死去(享年72歳)。遺作となった黒澤監督作品『』の撮影時にはすでに肺がんにかかっており、盟友である黒澤の求めに答えて無理を承知で長期ロケに参加したという。


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