駅弁大学(えきべんだいがく)は、太平洋戦争後の学制改革によって新設された地方国立大学を指す俗称。
概要
ジャーナリストの大宅壮一(※1)が、各地方に新制の国立大学(多くが旧制高校からの改組であった)が設立されることに対し、「急行の止まる駅に駅弁有り、駅弁あるところに新制大学あり」と風刺したことが始まりとされている。このことから、地方にある新制国立大学を『駅弁大学』、更に略して『駅弁』というようになった。
しかし、戦前は今とは比べ物にならない格差社会であり、階級、性による差別も激しかったから、非常に優秀・有能な人材でも額面上の最終学歴が低い人が大勢いたので(高等小学校卒であった田中角栄や本田宗一郎など(※2)。家庭の事情による中退もザラ)、大宅壮一のような物言いはあまり妥当ではない。
現在のインターネットでは旧帝大等の有名国立大学や、東京圏・関西圏の有名私立大学(早慶上理・GMARCH・関関同立などの大学群)に比べて地味な大学という、揶揄的なニュアンスで使われがちな言葉であるが、国立大に進学できている時点で私大を含めた大学生全体の平均よりは学力は高いとされる。
駅弁大学とみなされにくい大学
- 旧帝大(東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学)
- 旧商大(一橋大学、神戸大学)
- 旧文理大(筑波大学、広島大学)
- 旧工大(東京工業大学)
- その他東京都内の単科大学等(東京外国語大学、東京農工大学、東京海洋大学、電気通信大学、東京学芸大学、東京医科歯科大学、東京藝術大学、お茶の水女子大学)
駅弁大学とみなされやすい大学
基本的に「都道府県名(または都市名) + 大学」という名前で、入試難易度や知名度が低く各種方面の実績に乏しい地方の国立大学が駅弁であると揶揄されることが多い。
脚注
※1当の大宅は京都帝大の出身であった。
※2ただし田中は錦城商業学校と中央工学校を修了しており実質的に専門学校卒、本田も現在の静岡大学工学部の聴講生となっている