その他キャラクター・人物については「ユキ」または「ゆき」を参照。
概要
1972年2月17日生。北海道函館市出身。夫は真心ブラザーズの倉持陽一(YO-KING)。
五十路とは思わせない童顔の持ち主で、可愛らしいルックスと奇抜なファッションでファンから支持される。
来歴
1992年にJUDY AND MARYを結成。2001年の解散まで在籍。バンド時代については当該記事を参照。
1999年、Charaとの合同ユニットChara+YUKIを結成。「愛の火 3つ オレンジ」をリリースした。
2001年、YUKI、ちわきまゆみ、CHARAが中心となってバンドMean Machineを結成。ドラマーとして参加。
2002年、シングル「the end of shite」でソロデビュー。1stアルバム「PRISMIC」が最高3位、25万枚の売り上げを記録。
2003年、アルバム「commune」リリース。最高11位。また、妊娠が発覚し、出産、育児の為一時活動休止。4月、長男を出産。
2004年、シングル「Home Sweet Home」リリース。劇場版NARUTOの主題歌に起用され、最高9位のヒットを記録。
2005年1月19日、シングル「JOY」をリリース。最高10位を記録し、YUKIのスタンダード・ナンバーとして長らく愛される楽曲となる。
2月23日、同名のアルバムをリリース。ソロとして初の1位を獲得し、30万枚を売り上げる大ヒットアルバムとなり、人気絶頂期を迎える。
しかし、3月に長男が乳幼児突然死症候群により急逝。そんな災難に見舞われ、予定していた全国ツアーを延期するが、結果として大成功を収める。最終日、ソロ初の武道館公演を行う。その際に「33年生きてきた中で、一番辛かった。でも、今が一番幸せです」と辛かった心境と、ファンへの感謝を発した。以降、家庭を優先して活動のサイクルを緩めていく。
2006年、アルバム「WAVE」をリリース。前作に続き、1位を獲得。35万枚を売り上げる大ヒットとなった。8月には次男を出産。
2007年、ソロデビュー五周年記念ベストアルバム「Five-star」をリリース。前作に続いて1位を獲得。40万枚を売り上げる。また、2年ぶりに大阪城ホールでライブを開催し、武道館でも公演を行い、大きな話題を呼ぶ。
2008年、3年ぶりの全国ツアー「New Rhythm Tour2008」を敢行。ツアーラストにはソロ三度目の武道館公演を2日間に渡り行う。
2009年、「ランデヴー」(3月4日)と「COSMIC BOX」(11月18日)のシングル二作をリリース。5月には三男を出産。
2010年、アルバム「うれしくって抱きあうよ」をリリース。アルバムの発売に先駆けてMUSIC STATIONに出演。長男が急逝した2005年以降、5年ぶりのテレビ出演となった。バンド時代から衰えない若々しいルックスが話題となり、奇跡の38歳として取り上げられ、某サイトのニュースアクセスランキングで1位を獲得。話題が功を奏してか、前述のアルバムも1位を獲得。アルバム四作連続1位という、バンド時代に成し得なかった記録を打ち立てる。以降、メディアへの露出が活発になり、同年、全国ツアーも敢行。
2011年、アルバム「Megaphonic」をリリース。1位を獲得。
2012年、ソロデビュー10周年記念ベストアルバム「POWERS OF TEN」をリリース。絢香の復帰作「THE BEGINNING」に阻まれ、最高2位に留まったが、10万枚を売り上げ、ゴールドディスクに認定される。同年、ソロ初の東京ドーム公演を開催。ユニットとソロでの両方で東京ドーム公演を行うのは女性史上初。公演中、YUKIは高らかに「史上初、いただきました!」と叫びあげた。これを皮切りに全国ツアーを開催。年末にはソロとして初の紅白歌合戦出場を果たす。紅白で歌唱中に星形の紙吹雪がYUKIのちょうど額のど真ん中に付着するというハプニングに見舞われる。
2013年、シングル「STARMANN」をリリースした事以外、目立った活動は見られず。
2014年、アルバム「FLY」をリリース。同時期にリリースされた竹内まりやのTRADに阻まれ、最高2位となり、久々に1位を逃す。同年、2年ぶりの全国ツアーを敢行。
2015年、7月にシングル「好きってなんだろう…涙」リリース。
2017年9月、JAM時代からの所属だったソニー・ミュージックアーティスツとの契約を満了し退社したことを発表した。ただし、あくまで事務所における所属ではなくなっただけであり、完全にはSonyMusicからは離れていない。レーベルは据え置きで独立した。
2020年、Chara+YUKIが20年ぶりに復活。新作「echo」をリリースした。引き続きエピックレコードジャパンからのリリース。
2023年2月、パレードが続くならをリリース予定。
人物
独創的な世界観を持ち、ファッションや楽曲、歌唱に至るまで与えた影響は計り知れない。また、様々な不幸に見舞われても決してめげない芯の強さと自分なりのスタイルを貫いてる所が大勢の人々に憧れられている。
年を重ねても少女のような輝きを保っており、和製シンディ・ローパーと呼ばれる事もある。YUKIも2014年、テレビ出演時にシンディ・ローパーの楽曲、True Colorsを推しており、シンディへの憧れを語った。
GLAYの各メンバーとは同郷で、TAKUROとは中学時代の同級生。高校時代、TAKUROの通う学校ではYUKIが大人気だったという。また、GLAYが1999年に20万人を動員する伝説のコンサートを成功させた直後、打ち上げの席に偶々YUKIが同席し、盛り上がるGLAYのメンバーに何も知らないYUKIが「なに?何か良いことあったの?」と尋ねたという(その際にGLAYのメンバーは「ああ、20万人動員しても俺たちのやった事ってそんなものだったんだ」と甚だ落胆した)。
そのような芯の強い人物ゆえTAKUYA同様JAMの再結成には否定的な立場を取っており、その姿勢は解散後は一切JAMの過去曲を歌っていないほど徹底している。
しかし他メンバー曰く「YUKIがJAM時代の音源の事実上の差し止め権を握っている」ほど徹底しすぎているため、JAM時代の曲をそのまま収録することは出来ても現代に合わせた音源のリマスタリングすら出来ない状態になってしまっている。
ファンからもメンバー本人たちの意志を尊重して再結成しないのはしょうがないにしても、JAMのアルバムのリマスター盤くらいリリースしてほしいと望む声は多い。
ソロ時代には恩田と五十嵐が自身のライブ会場に面会に行っても追い返すなど、元メンバーには頑なな態度を取っている。
名言
「悲しいことや落ち込むことは誰にでも普通にあって、別に自分だけが特別ではない。だったらそれを悲しんでばかりいる人ではなくて、笑わせてくれる人のそばにいたいなと思うんです」
「人生って辛いことも沢山ありますよね。でも、それって避けることはできないし、辛いことがあったとしても人って生きなきゃならないじゃないですか。なら、どうせ避けられないなら、辛いときでもできるだけ笑顔で居たいですね。」
「喜怒哀楽の起伏が激しい人って、よく感情的な人って言うじゃないですか。でも、私は感情そのものなんです。感情=歌なんで、歌を聴くだけで私に触れられるんです。」
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