経歴
前橋商業高校時代には甲子園に出場し、「上州のイチロー」の異名を取った。
外れ外れ外れ1位
2010年のドラフト会議で、オリックス・バファローズに1位指名され入団。
オリックスは、大石達也(西武)、伊志嶺翔大(ロッテ)、山田哲人(ヤクルト)を3度続けて外しており、くじを引いた岡田彰布監督(当時)は落胆していたが、本人は「1位で指名してもらえて嬉しい」と前向きに発言。
背番号は球団の期待の現れから高卒新人としては珍しく1ケタの「8」が与えられ、同姓の後藤光尊がいた関係から、名前の「駿太」を2017年まで登録名としていた。
プロ入り後
50m6.0秒の俊足と遠投120mの強肩が持ち味だが、やや非力で打撃に課題がある。
2013年からは(2017年まで)シーズンを通じて一軍に帯同するようになり、2014年には規定打席未到達ながら打率.280・5本塁打・30打点とキャリアハイの成績を残した。
登録名を本名に戻した2018年からは、二軍暮らしが増えたり一軍試合途中からの起用が増えたりなどして成績がダウン。2022年シーズン途中、石岡諒太との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍した。