概要
アウトローを主人公とするピカレスク作品が多く、超展開が特徴。三下ヤクザの描写が上手い。
最長連載作品は月下の棋士。
来歴
1951年1月22日、墨田区(東京都)に誕生。中学生の頃、少女漫画家・巴里夫のアシスタントをつとめる。
1971年、「COM」(虫プロ商事)に投稿した『錯乱』が佳作になる。その後は「漫画エロトピア」(ワニマガジン)などでエロ漫画を描いていた。
1982年、「別冊近代麻雀」(竹書房)に初めての麻雀漫画となる『わたしは雀』を連載。
1985年、「別冊近代麻雀」で『哭きの竜』を連載し、大ヒット。
1987年、「コミックモーニング」(講談社)で『翔丸』を連載。
1990年、「ビッグコミックスペリオール」(小学館)で『ゴッドハンド』を連載。
1993年、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で『月下の棋士』を連載。
1996年、「月下の棋士」で第42回小学館漫画賞(青年一般部門)を受賞。
2017年、「ビッグコミックオリジナル」で『昭和天皇物語』を連載。
その他作品
奇跡の少年(少年マガジン)
渇きのセイ(週刊モーニング)
余談
- 『哭きの竜』連載当初は麻雀初心者だったため、闘牌シーンは当時編集担当だった宇佐美和徳が考えていたが、宇佐美も初心者で、第1話で竜が純チャンを狙う場面で読者から「純チャン狙いならここで六索をツモ切りしないのはおかしくないですか?」という質問が来て、以後闘牌シーンは宇佐美曰く「麻雀詳しい人に頼んだ」そうである。能條も執筆の合間に麻雀の技術等を勉強した。
- 『サルでも描けるまんが教室』(相原コージ / 竹熊健太郎)でも「ルールを全く知らずに描いている」とネタにされたが、宇佐美は「能條先生が全然知らなかった訳ではない。あれは私のミス」と反論している。
- アニメ版『3月のライオン』のエンドカードを手がけた。