概要
上方落語を学ぶ上で基本とされる旅噺のうち、伊勢神宮への参詣をテーマとした全26編の大ネタ『伊勢参宮神乃賑』(いせさんぐうかみのにぎわい、通称『東の旅』)の7段目に位置する狐狗狸(こくり=化かされ)噺。
2004年に発刊された同名小説については後述を参照。
構成
大坂を発って伊勢参りに向かう2人連れの旅人、喜六(きろく)と清八(せいはち)が知らず知らずのうちに「1度恨みを抱いたら7回化かして仇を討つ悪辣な化け狐」と怖れられる妖狐・七度狐の怒りを買い、行く先々で手酷い化け騙しに遭い続ける様子を描いた滑稽噺。
元々は江戸時代・寛政年間に生まれた『野狐』(のぎつね)という独立した寓話の1つであったが、これに目を付けた落語家が内容を整理して練り直し、6段目『煮売屋』(にうりや)との繋がりを持たせた『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)と銘打って『東の旅』に組み込んだ。
高座に掛ける際は『煮売屋』で七度狐の恨みを買う経緯を描き、そこから本題『七度狐庵寺潰し』へ移行する2編1話形式を以て『七度狐』とし、後半部を「中程」(なかほど=区切りの良い途中部分)で切り上げる場合が多い。『東の旅』を修練の基礎とする3代目桂米朝一門および米朝一門筋から教伝された噺家はこの形式を忠実に守っているが、近年になって5代目桂文枝門下の桂文珍が廃れていた『七度狐』後半部分の断片資料を元に独自の工夫を加えて再構成し、7回の騙しを全て演じる『新版・七度狐』を発表した。
推理小説『落語シリーズ』を手掛ける大倉崇裕は、これに着想を得てミステリー要素を含んだ現代版殺人事件に組み直し、2004年にシリーズ第2弾として原題のまま発表した。
七度の騙し
煮売屋(=簡素な食堂)を営む老主人の目を盗んでくすねたすり鉢一杯の烏賊の木の芽(山椒の若葉)和えを食い尽くし、証拠隠滅のために草むらの中へすり鉢を投げ捨てた所、折悪しく昼寝をしていた七度狐の頭にぶつかった(米朝流:「狐の額にカツーン!」、2代目桂枝雀流:「狐の頭に…!コン」、文珍流:「狐にコーンと。狐だけに、コーン」)。額から鮮血を滴らせる七度狐は、呑気にその場を立ち去る喜六・清八の背を憎々しく見つめて
「悪い奴な!おのれ、憎いは二人の旅人!よぉも稲荷の使わしたる狐に、かかる手傷を負わしたな!思い知らさん、今に見よ!」
と恨みを吐いてぱっと消え、手練手管の妖術を駆使して2人の進む先々で巧妙な化け騙しに掛けていく。
- 底すら見えない長大な川に差し掛かった2人が褌一丁で川渡りをする→この近くに住む百姓の麦畑を踏み荒らしていた
- 山奥の尼寺で一晩の宿を求める→べちょたれ雑炊(赤土、切り藁、蛙などを水入りの鉄鍋に入れたもの)を食わされ、子守り幽霊や死人返りに胆を潰される
- 騙しに掛けた狐を捕まえる→逃すまいと力を入れた拍子に尻尾を根元ごと引き千切ってしまうが、それは畑に植わった立派な大根だった
先述の通り、多くの噺家はこの噺の根幹である尼寺の場面を含む3つの騙しを披露して切り上げる。以下に示す残り4つの騙しは『新版・七度狐』のものである。
- 七度狐を知る百姓に神社でお祓いを受けるよう勧められる→石段を上っているつもりがいつまで経っても社に着かず、実はずっと水車を踏み回していた
- 遠くから2人の知人らしき者が大声で呼んでいる→「おーい!俺や俺や!」「お前、佐兵衛かー?」「そうそう佐兵衛!振り込んでくれ!」
- 峠を越えた宿場町で温泉に入る→旅の侍に「その方ども、川の中で『いい湯じゃいい湯じゃ』と何を申しておるか」とたしなめられる
ところが、騙され続けて芽生えた疑心暗鬼からこの侍も狐の騙しだろうと勘繰った清八が「山の夜道は物騒で旅の供を願いたい」と申し出、頃合を計って背後から殴り殺すも一向に狐の姿にならない。その後、一介の町人が武士を、それも騙し討ちで殺めたあるまじき重罪によって奉行直々の裁きを受ける運びとなり、「即刻入牢、明日斬首」を言い渡されて牢内で打ちひしがれるしかなかった。
そこへ件の七度狐が高笑いと共に姿を現し、
「そこな二人め、よぉもこの儂を酷い目に遭わせよった。『七度狐』と言いながら、六度しか騙さぬがこれ七度目の騙し。ほんまもんの侍を殺しよったその罪咎(つみとが)で、明日はその首打たれて死んでしまえ!」
と怒り露わに言い残して消えていった。
眠れぬ夜が明けると、2人は後ろ手に縛られて目隠しをされ、ごまめ筵(編目の粗い筵)一枚を敷いた土壇場へ座らされるや深い穴に向かって首を突き出され、腕に覚えのある首切役の一刀の下に首を落とされた。あまりの事に仰天した喜六と清八は慌てて首を探し始め、それぞれ自分の首を見つけて安堵するが同時に「何で儂は首が離れてんのに生きてんねやろ?」と疑問を抱く。すると、周りに自分たちの首が次から次から現れてますます動転する2人。
そんな2人の様子を遠巻きに見た百姓が「これお前ぇら、儂ん畑の西瓜取って何するんじゃ!」
※実は、六度目の騙しは侍殺しから打ち首までが1つの騙しであり、牢内で語った「六度しか騙さぬがこれ七度目の騙し」は2人を打ち首という極限の恐怖へ追い詰める意地悪な脅し文句に過ぎず、西瓜を刎ね落とされた自分たちの首だと思い込ませるのが正真正銘の七度目の騙しでありサゲ(噺のオチ)である。