ブラジル
ぶらじる
歴史
大航海時代、航海士によってアメリカ大陸が発見されたのを機に、ポルトガルの植民地に組み込まれる。
19世紀に入り、フランス皇帝ナポレオンのスペイン征服の影響で、ポルトガルの王族が当時植民地であったブラジルに亡命する。ナポレオン失墜後、王族のほとんどは帰国したが、このうち皇太子のドン・ペドロが帰国を拒み、それどころか本国とは別の王国の君主に即位したいということを声高に主張したのだった。
ブラジル帝国
こうして、ブラジル帝国として独立し、ドン・ペドロはブラジル皇帝ドン・ペドロ1世として即位したものの、アルゼンチンとの戦争に敗れたことにより国民の支持を失い、ウルグアイの独立を招いた。
即位してから10年ほどでペドロ自身はポルトガルの内戦、具体的には王位継承のいざこざであり、自らの弟と娘の争い、の支援のため帰国することになったが、その後継者として息子であるドン・ペドロ2世が即位する。比較的寛容な経済政策を推し進めたが、パラグアイとの戦争である三国同盟戦争も一因となり、摂政である娘がサインした奴隷制廃止をきっかけに、大きな被害となる大地主が軍部をそそのかしクーデターを起こし、皇帝及びその一族は亡命を余儀なくされた。
共和制
当初はカフェ・コン・レイテ、サンパウロとミナスジェライスの連合体が力を持っていた。ところが、第一次世界大戦後、不満が発生し軍部の反乱等で不安定となった。この支配形式は1930年に崩壊した。
数々の独裁政権の中でも、1934年に就任したゼトゥリオ・ヴァルガス大統領時代は、最も良く知られている。ヴァルガス政権は、当初は右派的政権であり、共産党弾圧を行い、ファシズム的傾向があったものの、連合国側として第二次世界大戦に参戦した。1945年にはクーデターにより失脚したものの、1951年には選挙により再び大統領となる、この時は左派政権となっており、支援者であったアメリカ合衆国にも見捨てられる形で1954年に自殺。また、ジュセリーノ・クビチェックにより首都をブラジリアに移転することになる。
経済と社会
この国は豊富な天然資源と優秀な労働力に恵まれ、経済力のポテンシャルが高いことは古くから指摘されてきたが、不安定な政治情勢及び極端な貧富の差、それと国の負債のため経済成長が長続きせず、「永遠の未来の国」と揶揄されてきた。
ところが1990年代のフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ政権時代にインフレを克服し、ブラジルはようやく安定的な経済成長の波に乗る。
2002年に政権を奪取した労働者党政権は社会福祉政策・インフラ整備を重視し、国民の生活環境の底上げが急速に進んだ。穏健な左派政権のもと、貧困層が中流層へと生活水準の向上を遂げていることが経済成長の原動力になっており、オリンピックおよびサッカーワールドカップの誘致にも成功した。ただし、経済の失速および政党の汚職により大統領が弾劾されたことをきっかけに政権交代が発生した。それがあるものの現在では名実ともに南米最大の経済大国である。
かつてはコーヒーの主産地として知られたが、モノカルチャー経済の代表例として経済がコーヒーに振り回されたこともあり、現代では多様な作物の栽培に力を入れている。大豆の生産高は既に世界でも五本の指に入る。