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高山良策の編集履歴2018/09/17 22:32:49 版
編集者:走り坊主
編集内容:リンク、イラスト追加。

高山良策

たかやまりょうさく

高山良策とは日本の画家、怪獣の着ぐるみ制作者。その仕事の偉大さから「怪獣の父」と呼ばれている。

概要

1917年3月11日-1982年7月27日

大工の次男として生まれ、後に画家になった兄の影響で自身も絵に親しみ画家を目指すが、21歳で徴兵され中国戦線に送られる。

23歳で退役後、画家・福沢一郎の絵画研究所で学び、シュルレアリスム絵画の影響を受ける。

太平洋戦争中は東宝航空研究資料室に入社し国策映画のミニチュア制作に参加、同時に多くの美術家と知り合い、彼らが集う「池袋モンパルナス」のアトリエ付き住宅に転居する。

東宝退社後はフリーとなり、特撮関係の造形物、人形劇の人形制作などの仕事を受け始める。

1959年の5月に転居した練馬区のアトリエを、後に怪獣制作工房として有名になる「アトリエ・メイ」と名付けた。

おもに大映ピープロ円谷プロなどで怪獣着ぐるみ制作を次々と担当。

映画で使われていたものよりも軽くて安全で動きやすく、デザイン画を元に独特の生物感を持たせたものを制作した。さらに親しみやすい姿に立体化したといわれる縫いぐるみ(着ぐるみ)は、TV特撮の黎明期を支え好評を博した。

特に初期ウルトラ怪獣の独特の目は、ファンから「高山目」と言われ愛されている。

1982年7月27日肝臓癌のため死去。

余談

  • 詳細な造形日誌を付けており、当時を知る貴重な資料となっている。
  • 工房で怪獣造形のアシスタントをしていた美大生たちには「これは、生き物を作っているのだからそのつもりで」と指示をしていたといわれ、彼らが帰った後も手足に指紋をつけるなど、手直しを丁寧におこなっていたという。
  • 妻の利子夫人は、着ぐるみに使う素材を選定および購入を担当していた。ガマクジラの皮膚に使われたビーズ、イカルス星人の髭に使われたタワシや、ロボット怪獣の電子部品などが有名で、怪獣の質感の向上に寄与していた。
  • 怪獣のまぶたや口の開閉に、紐を使ったギミックも仕込んでおり「ヒモコン」と名付けていた。
  • ラテックスやウレタンなどの素材を組み合わせ、軽くて動きやすい着ぐるみを制作した。東宝の怪獣映画用のものと比べると破損しやすく劣化も早かったといわれるが、TV撮影の現場では重宝された。
  • 重いゴムで出来たゴジラを演じるほどの体力を誇った中島春雄氏は、「軽すぎる」という感想を述べている。
  • 大映では『釈迦』の特撮セット、『鯨神』のミニチュアを制作。『大魔神』では等身大、実物大の造形物を制作し、崩れ落ちる大魔神は素材から選定し成功させた。ガメラ怪獣バルゴンも造形したがウルトラ怪獣と並行していたこともあり、仕上げはエキスプロに任せている。
  • ピープロは社長のうしおそうじとは東宝時代の同僚であり、高山自身が発起人の一人でもある。『神州天馬侠』の大ワシのクロ、『怪獣王子』の恐竜、『ゴケミドロ』『豹マン』のパイロット版の造形物を制作した。
  • 円谷プロでの仕事は、よみうりランドの水中ショー用のウミガメの作り物が円谷英二の目に留まり、『ウルトラQ』の14話より成田亨とタッグを組み次々と名怪獣を生み出した。
  • 成田のコスモスに対するカオスであるという思想による怪獣デザインは、高山が造形することでやさしく温かみがあるものになり、敵であるはずが親しみやすいものとなった。
  • 初代レッドキングの段々はカッチリ作りこまれているわけではなく、左右の段の数も異なる。そのため『ウルトラマン80』のレッドキングはカッチリ作りすぎて似なかった。『ウルトラマンマックス』以降、現在の技術で耐久性なども高めて出来るだけ似せられているが差異はある。※メイン画像
  • 当時の円谷プロは20代前後のスタッフが集っていた若い会社だったが、高山は年長者として見守っていたといわれる。なお、全てを担当したわけではなく、佐々木明や開米プロによる怪獣もある。
  • キングジョーの膝パーツを納品し忘れてしまい、無い姿が定着してしまった。
  • 操り人形の制作技術を生かし、ポール星人プラチク星人の骨格を造形した。
  • 成田が降板した『ウルトラセブン』31話以降は池谷仙克と組んだが、池谷のファッション画のようなスタイリッシュな体型のデザイン画に対し、人体の基本となる図を描いて渡して指導した。池谷はその図を大切にしてデザインにあたったという。
  • 自身が画家であるためにデザイン画を大切に扱い(トレースして造形検討デザインを起こしている)、写真記録も残していた。そのおかげで成田、池谷が画集を刊行した際に掲載することが出来たデザイン画が多数存在する。
  • 宣弘社では池谷のデザインした『シルバー仮面』のすべての怪獣を担当。『アイアンキング』、野口竜のデザインした『スーパーロボットレッドバロン』の造形も担当した。
  • 寺山修司の映画『田園に死す』の空気女の造形と仕掛けも担当した。
  • ピープロで未制作で終わった『シルバージャガー』に参加した後は特撮業界から退き、土俗的なテーマのシュルレアリスム絵画や彫刻を制作していた。
  • 晩年は「残るものは、同じだから」とウルトラ怪獣のミニチュア人形を制作して残している。

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