2. 「天の時・地の利・人の和」のこと。物事が成功するための要素。出典は「孟子」。
3. 上記に由来する小説及び同作を原作とするNHK大河ドラマの題名。本項目で説明。
NHK大河ドラマ「天地人」
「天地人」は、2009年1月4日~11月22日まで放送された第48作のNHK大河ドラマ。
スタッフ
原作:火坂雅志
脚本:小松江里子
音楽:大島ミチル
題字:武田双雲
語り:宮本信子
登場人物
お船…常盤貴子(少女時代:並木瑠璃)
大国実頼…小泉孝太郎
真田幸村…城田優
評価
現状では平均視聴率が20%を超えた最後の大河ドラマである。(2020年現在)
だが、従来の大河ファンや歴史通からの評判は最悪に等しい。
人気を博した主な要因は、当時流行していた『花より男子』や『メイちゃんの執事』、韓流ドラマといった人気コンテンツに範をとった、主に女性層をターゲットにした趣向を追求、すなわち流行への徹底した迎合であったと考察されており、それは俳優のキャスティングにも表れている。
その反面、大河ドラマとしてのストーリーの根幹を成す歴史考証に関してはお世辞にも正確とは言い難く、というより歴史へのリスペクトよりも悪意を感じさせるレベルで魔改造がされていた。
具体例としては、
- 直江兼続の兜の『愛』をLOVEや愛情・親愛と解釈 ※本当は愛染明王のリスペクト
- 長篠の戦い敗戦後の武田勝頼と上杉家との同盟交渉を当時ほとんど無名であった筈の兼続が行っている。
- 関ヶ原の戦い前に兼続が家康に送った「自陣営の釈明文」にして「家康陣営に対する抗議文」であるはずの直江状を、何故か全国各地の大名にも送っている
- 雲上人の信長に対して当時は無名の若者でしかない兼続が“義”を説く
- 大阪夏の陣で真田幸村と兼続が千姫を大阪城から脱出させた。 ※そんな事実はない。
等々、細かいところも合わせればツッコミ所ばかりできりがない有様であった。
さらには、徳川家康ら上杉側に相対する権力者が単純極まりないステレオタイプな悪役に人格が歪められていた上に、相対的に主人公の兼続が周囲から正義の具現者であるかのようにチヤホヤされるが、そこに確たる根拠は無くよく吟味すれば優柔不断な性格なだけの無能者でしかないというのが実態であった。このため、登場人物のキャラクターからしてチープなご都合主義に彩られている状態で「加熱具(かねつぐ)」や 「安易すぎるメアリー・スー」と揶揄されてしまい、ブームが去った現在となっては総じてドラマ本体のクオリティからして良くできているとは言い難いと評価されてしまっている。
こんな状態であった為に、本作のご当地となった新潟県や山形県では『天地人』ブームである程度の経済効果が地元にもたらされたにも関わらず、軍神と畏怖された上杉謙信に次ぐレベルで『一本気であった偉人』として尊敬されていた直江兼続とその主君上杉景勝が「現代の若者じみた口ばかりの軟弱者」や「兼続を引き立てるための無個性な人物」に矮小化されたとして半ば黒歴史に近い扱いをされている。
ネット界隈に至っては、視聴率で大いに健闘したにも関わらず内容のチープさや歴史への無理解の酷さが祟って「軽薄で中身が無い」と評され駄作の烙印が押されてしまっている。その中には低クオリティの大河ドラマを総称した『スイーツ大河』、その筆頭に本作をなぞらえる向きすらある。
補足
時代が下るにつれて長所よりも短所のほうがクローズアップされている『天地人』だが、同時に本作の脚本を手掛けた小松江里子がその悪名を『歴史の改悪屋』として歴史ファンの界隈にも轟かせた記念すべき(?)作品でもある。小松は以前より内容の深さよりも(いささか誰得な)ご都合主義な作風で鳴らした人物であったが、『天地人』制作にあたった際には歴史考証の担当者から何回もシナリオの修正を求めらるなどいくつもの逸話から根本的な日本史の知識が皆無と評価されており、この悲劇は同じく小松が脚本を手掛けた6年後の『花燃ゆ』でも繰り返されることになる。
関連タグ
わしはこんなとこ来とうはなかった!:同年の流行語大賞を受賞した加藤清史郎の名演。だが、一部では「わしはこんな大河見とうはなかった!」と変換されてしまった。