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小室哲哉の編集履歴

2020-07-21 14:45:28 バージョン

小室哲哉

こむろてつや

日本の音楽プロデューサー、作曲家、キーボーディスト。

1958年11月27日生まれ。東京都府中市出身。血液型O型。

愛称はてっちゃん、TK、先生などがある。

概要

音楽プロデューサーとしては20作品ものミリオンセラーソングを世に出し、内4作品はダブルミリオンという驚異の功績を持つ、90年代の音楽シーンを語る上では欠かせない存在。

また、彼が残した功績は数字だけにとどまらず、現在社会人の世代なら一度は聴いた事があるだろう名曲も沢山生み出している。

代表作としては自身が所属するTMネットワークの「Get Wild」で、シティーハンターのEDテーマとして起用された事でブレイクのきっかけとなった曲である。


音楽プロデューサーとしての才能が開花したのは、1986年渡辺美里に提供した「My Revolution」。

さらに93年にtrfがブレイクした事により、「TK」ブランドを確立させる兆しとなった。

彼からプロデュースを受けたアーティストは一概に「小室ファミリー」と呼ばれた。


90年代にミリオンセラーを連発したことにより、オリコンチャートでの通算売上は、作曲家として筒美京平に次ぐ歴代2位、作詞家として阿久悠秋元康松本隆に続く歴代4位となっている。


一方で金銭にルーズなこと、女癖が悪いことで有名で、実際彼の被害を受けた女性達から賠償金を要求された事例も数件ある。鈴木亜美の権利をめぐる訴訟や、華原朋美との恋愛トラブルも報じられた。小室の楽曲が飽きられたことに、1998年に起業した会社「Rojam」の撤退。相次いだトラブルが重なり、2001年頃を境にプロデューサーとしての小室哲哉ブランドが瓦解している。安室奈美恵hitomiなど彼の元を完全に離れた小室ファミリーの方が結果的に大きな成功を収めているのも皮肉な話である。


2008年11月4日、楽曲の著作権を譲渡する際に5億円を騙し取ったとして詐欺容疑で逮捕されたニュースは音楽業界に衝撃を与えた。世間では、絶頂期の総資産は100億円を超えていたという小室の「転落劇」が話題になった。


2010年にAAAのシングル「逢いたい理由/Dream After Dream ~夢から醒めた夢~」で再び作曲家として復帰。オリコンシングルチャートで1位を獲得し、全盛期ほどではないが勢いを取り戻しつつある。


2015年12月、パチンコ業界に参入し、2016年2月から自身の提供楽曲を使用したパチンコ台「CR PROJECT TK」を販売することを発表した。

引退

2018年1月19日、看護師である女性との不倫疑惑記事が前日発売の『週刊文春』に掲載されたことを受け、突如音楽活動からの引退を表明した。小室は会見で、女性との不倫関係を否定した上で、妻の介護をする中で、C型肝炎や左耳の突発性難聴により左耳がほとんど聞こえなくなったことで、自身の創作能力の限界を感じていたことを明かしている。


90年代は安室奈美恵氷室京介とともに「平成の三室」と呼ばれていたが、氷室は2016年5月の最後のライブですでに歌手業を引退、安室も小室が引退する以前の40歳の誕生日に翌年の9月16日に引退する事を予告しており、奇遇にも平成の元号が終わる直前に三室全員が挙って表舞台から引退する結末となってしまった。

そして復帰

引退会見から2年半ほど経過した2020年7月16日乃木坂46の配信限定シングル「Route 246」の作曲を担当していたことが明かされ、音楽界に復帰を果たす。

小室と35年来の付き合いである総合プロデューサーの秋元康は「曲を書いてよ」と何度もラブコールを送っていたと明かしており、小室本人も「悩みに悩んだ結果」楽譜を書き上げた。但し、リテイクも7回食らっていたと明かしている。

独特のマーケティング戦略

小室は現在どんなジャンルの音楽が流行っているか、またはどんな音楽がこれから流行るか、自分のファン層の傾向や推移などを研究し、それに合わせたジャンルの音楽を研究・制作するというマーケティング戦略を得意とする。その先見性は異常なほどに正確で、音楽センスと共に彼に与えられし先天的才能だといえる。落ち目になっていた2000年前後ですら「2000年代はR&Bが一世を風靡する」と言い当てていた。


例外として、globeの売り上げが落ち込み始めた1998年頃にブレイクしたL'Arc~en~cielだけは小室は自分の計算外の売れ方をしていたと語っており「時代の中心はラルク」「globeのファン層はラルクに流れた」とすら主張し特別視していた。

globeの「wanna Be A Dreammaker」はラルクの曲(おそらく「浸食 lose control」)を意識して作られ、この曲から始まる4枚連続リリースもラルクの3枚同時リリースを意識して行われたというのは有名な話。

小室にとってラルクとはそれだけ特別な存在であり、2015年にはglobe20周年を記念して発売されるカバーアルバムに収録される「DEPARTURES」をカバーするアーティストに小室自らボーカルのHYDEを指名、曲のアレンジも全て自分が徹底的に行うほどの力の入れようである。


また、XJAPANYOSHIKI同様派手な記者会見を開いたり、TV番組出演もアーティストによくありがちな新譜発売前後ではなく4月や10月などの番組編成期や特番の多い夏休みや年末年始に集中させる事で「ユニットの特別感」を出すなどマスコミ受けの良い演出も得意としていた。


しかしいくら先見の明があっても、小室の音楽が飽きられているという「時代の波」には逆らえず、売り上げが落ち込んでいくこととなってしまった。

社会現象を起こすほどのヒットを量産したのは事実なのだが、本人の飽きっぽい性格を反映したかのように顧客も飽きっぽい人ばかりが集まってしまい、彼がプロデュースをした所謂小室ファミリーで「長らく音楽シーンの頂点に君臨し続ける」歌手は誰一人残すことはできなかったのが小室最大の悲劇と言える。


単純にプロデュースした歌手では最も成功を収めた安室奈美恵の根強い人気も、小室を離れセルフプロデュース転向後の彼女個人の努力の比の方が圧倒的に大きく、小室の力とは言えない。

1999年に復活したTM Networkは解散からたった5年で過去のものとなり、globeは2003年に6年ぶりに開催するつもりだった東京ドーム公演はろくにチケットが売れず白紙になったという。trfですら最近注目を浴びているのは懐メロによる傾向が強い。

小室は表舞台に復活することこそ実現できたが、結局それはエイベックス社長の松浦勝人の力が大きく「90年代に社会現象を起こした過去の人」のイメージを払拭できず、結局引退するまで「音楽シーンを誘導し続ける現役アーティスト」に返り咲くことは出来なかった。


一方、彼が嫉妬したL'Arc~en~cielも、親友のYOSHIKIのいるX JAPANも、後輩の松本孝弘のいるB'zも依然大量のフォロワーを抱え、音楽シーンのトップの座に君臨し続けているのが何とも皮肉である。

最近では若手でも曲の売り上げに左右されず5~10年近いブランクを開けても根強いファンに支えられ、東京ドーム級の会場でも余裕で何度も満員にするアーティストも珍しくなくなっている。


CD売上枚数では敵わなくても小室が一度も出来なかったことをやってのけてしまう後輩が続々と出てきてしまった。彼が勝てないだろうと高をくくっていた後輩たちに続々追い抜かれることとなってしまったのである。

小室が詐欺に手を染めざるを得なくなるほど音楽面で追い詰められたのはこういった理由からなのかもしれない。

余談

  • かなりの偏食家であり、大の魚嫌い。魚嫌いの原因は幼い頃、目の前に鯉のぼりが突然落ちてきたというもの。
  • ファミレス好きでTM NETWORK時代にとあるラジオの企画で組んだバンド名が「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」。すかいらーくでお気に入りだったメニューから。
  • TM NETWORKの「TM」は小室の希望によるネーミング。地元・多摩に強いこだわりがあったために「TM」となった。
  • あるTV番組で漫画の『ケロロ軍曹』にハマっていると述べていたことがあった。この縁かアニメでED,OPの曲を提供していたことがある。(歌い手は麒麟次長課長
  • TV番組『笑う犬の冒険』で内村光良が演じていたコント「ハンサム侍」で「超ハンサム侍」として演じていた頃があった。演じた本人は緊張していたためか、ウッチャンとのセリフが揃わずかみまくりだった。
  • TM時代に作詞家の小室みつ子とよく組んでいたが、苗字が同じなのはただの偶然で、縁戚関係はない。TKが小室みつ子に「お姉さん」と呼びかけたりするのはネタである。
  • 名曲や名盤を大量に生み出した一方、絵に描いたような駄作も少なからず発表している。特に破局寸前の時期に出された華原朋美の「nine cubes」、SonyMusicとの亀裂が生じていた頃に出された鈴木亜美の「INFINITY EIGHTEEN Vol.2」は当時の小室の投げやり同然の精神状態もあってテイクが最悪だったり歌と曲とが噛み合ってなかったりといった理由で2大怪盤とも揶揄されている。

アニメ・ゲーム関係の仕事

なぜか、活動の節々でアニメ主題歌を手がけることがある。

ザ・ベストテン」と「ミュージックステーション」に初出演したときの楽曲である、TV「シティハンター」のEDである「Get Wild」、その1年後に映画「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」の主題歌「Beyond the Time」(以上TMネットワーク)をリリースしている。

さらに1994年のTMN活動終了の後、映画「ストリートファイターII」の主題歌「愛しさと切なさと心強さと」(篠原涼子 with t.komuro)をリリースしている。(この曲は過去に発売されたアニメ主題歌では最多の約220万枚という売上枚数を誇る。)

この3曲はいずれも後付けタイアップなどではなく、作品ありきの楽曲として作られているという共通点があり、とくに「愛しさと~」では当初提出した楽曲に対し監督からNGが出され、その際に「trfの『寒い夜だから…』みたいな、イントロで爆発する感じで」というリクエストに応じた結果が、あのイントロのドラムである。


なお、本人のソロデビュー作は、アルバムが1985年のOVA「吸血鬼ハンターD」のサウンドトラックで、シングルが1989年のTV「シティハンター3」のOPである。

ということは「アルバムもシングルもデビュー作がアニメの歌手」と言えなくはない。


ただし全盛期は声優へのオリジナル楽曲提供はない。逮捕からの釈放後は声優にもオリジナル楽曲を積極的に提供するようになり、日笠陽子にアルバム曲を提供したり南條愛乃属するfripSideの楽曲を共作したりしている。


2017年、スマートフォンアプリゲーム「アイドリッシュセブン」のユニット「TRIGGER」に楽曲提供したことで話題となる。1stフルアルバム『REGALITY』の収録曲『DAYBREAK INTERLUDE』と九条天のソロ楽曲『U COMPLETE ME』の作曲を担当。これは本人自身がTV番組の企画やよほど自分と気が合う人物で無い限り、男性アーティストには楽曲を書かない為、なおさら話題となったようだ…。


B級アイドルマニア

有名な話かもしれないが、1980年代はB級アイドルマニアとしても知られている。

メジャーアイドルにも楽曲提供をしているが、本人がファン過ぎて楽曲提供を申し出た相手は当時B級アイドルで現在レポーターの八木さおりだったり、最初の結婚相手は元「キララとウララ」の大谷香奈子だったりする。

その素養が1990年代のブームに生かされているのかもしれない。


内田裕也ファミリー

TMネットワーク以前に、安岡力也ホタテのロックンロール」の編曲や白竜のバックバンドなど、内田裕也関連の活動がある。一時期は年末の「ニューイヤーロックフェス」にプレイヤーとして参加している。

現在の奥様との結婚式に内田裕也・安岡力也・白竜というどこからどう見てもVシネマヤクザかという取り合わせで参加しているのは、そのためだと思われる。


その他の関連人物

秋元康:上記の通り復帰に大きく関わった人物。秋元×小室のタッグはやしきたかじん「その時の空」以来であるが、実は1980年代中~後半頃から渡辺美里等の楽曲を共同制作している。

小室みつ子:主にTMの楽曲の作詞を担当。なお、姓は同じだが血縁関係は無い。

松本孝弘B'zのギタリスト。TMネットワーク時代にサポート参加。

浅倉大介accessのキーボーディスト。TMネットワーク時代にサポート参加。

YOSHIKIXJAPANのドラマー・ピアニスト。X名義時代からの旧友。ユニット「V2」で共演。

globe:ボーカルのKEIKOは現

軟式globe:globeのパロユニット。KEIKOとの結婚式で共演。

柴田亜美:自身をモデルとした作品「TKman」を黙認。

NAOKI:ゲーム「pop'n music」では彼にリミックスされた「GET WILD」がプレイ可能。

L'Arc~en~ciel:上述したように小室がかなり影響を受けたバンド。

宇多田ヒカル:ラルクと並んで小室が特別視している存在。自身を完全に終わらせたのは彼女だと主張している。

浜崎あゆみ:KEIKOが病気療養中のため、逮捕後は専ら彼女に楽曲を提供し、ひところは専属ボーカリストのような扱いを受けていた。最初に楽曲提供したのは2001年の浜崎あゆみ&KEIKO名義の「A song is born」。

日笠陽子:オリジナルアルバム『Glamorous Songs』の収録曲『Through the Looking-Glass』の作曲を担当。日笠自身が安室奈美恵の熱烈なファンということもあり、以前からコラボを切望されていたものを小室側が受け入れて実現したもの。

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