藤田伸二
ふじたしんじ
概要
経歴
サラブレッドを生産する牧場の従業員夫妻の下、三人兄妹の次男として誕生。
小学生の頃に両親の離婚に伴い、1歳上の兄と共に母に引き取られた後、母の再婚により「藤田」姓となる。
幼い頃から周囲の子供と比べて背丈が低かったものの運動神経抜群かつ目立ちたがりな性格であったことから、周囲に「騎手が向いているのでは?」と薦められ、中学生のときに本格的に騎手を志すようになる。
しかし、騎手を目指すことを決意した際は競馬学校への入学手続きが間に合わず、中学校卒業後は単身で滋賀県に移住。清田十一調教師のツテで1年ほどの牧場での勤務を経て、競馬学校に入所。同期には、四位洋文・安田康彦・郷原洋司らがいた。
騎手課程修了後は清田への弟子入りを希望するも、清田が体調不良を理由に引退していたため実現せず、清田からその門下生であった境直行を紹介され、境厩舎からのデビューが決まった。
騎手時代
デビュー年である1991年には計39勝を挙げて、新人賞を受賞し、翌1992年には17番人気のタケノベルベットでエリザベス女王杯を制しGⅠ初制覇。
1996年には、7番人気のフサイチコンコルドに騎乗して、史上3位の24歳(戦後では4位)の若さで日本ダービーを制覇。
このとき、武豊が騎乗するダンスインザダーク(1番人気)を差し切り、後にダービー最多勝利を掲げることになる武のダービー初制覇を阻止したことから、「ヒットマン」と評されることの多かった的場均さながらの人気馬キラーとして注目され、後述の人物像も相まって個性派ジョッキーとして独特な地位を築き、仕事人さながらの活躍で重賞93勝(うちGI13勝)を掲げた。
しかしながら、2011年にトランセンドでジャパンカップダートを勝利してからは重賞勝利からは遠ざかり、2015年9月6日を以って突如現役引退を表明。
藤田は「外国人騎手への騎乗依頼増加・エージェント制度によって日本の騎手に公平な機会が与えられない傾向などからモチベーションが保てなくなり、JRAへの不満が高まっていったこと」をその理由に挙げていた。
引退2年前に上梓した自著『騎手の一分』においては、終始JRAの体制に辛辣な姿勢を崩さない傍ら、モチベーションの低下を認めており、「昔のように活躍できることを期待するファンも多いかもしれないが、残念ながらその思いに応えることはできない」・「自分は然るべきタイミングが来たらひっそりと引退するつもり」とも記述するなど、既に引退を示唆していた。
引退後
騎手引退前後より北海道に帰郷し、引退後はマネージメント会社のバックアップを受けて、札幌市すすきの地域内に「現役時代のファンとの交流を図ること」をコンセプトとした完全予約制のバー「bar favori」を開店。現役時代のファンのほか、騎手時代の先輩・後輩も時折来店している。
また、『財界さっぽろ』にて「生涯、やんちゃ主義」というコーナーコラムを連載したほか、数々の競馬番組にゲスト出演した。
一時期は騎手時代の馬主ら関係者やファンからの要望もあり、ホッカイドウ競馬からの再デビューを目指して騎手免許試験を受験したものの一次試験で不合格であった。
自身のYouTubeチャンネルより時々生配信をしてファンとの交流を行っているほか、近年では騎手時代の経験を生かしてGI・重賞レースの予想なども行っており、元川崎競馬場所属騎手である滝川寿希也とも予想トークを配信している。
人物
- 普段は「競馬界の番長」・「競馬界の兄貴」を自負する破天荒でヤンチャなキャラクターで知られた一方で、なるべく他の馬や騎手に迷惑を掛けない安全で公正な騎乗を心掛ける姿勢が評価され、現役生活25年間でフェアプレー賞を計19回受賞した。このポリシーから後輩たちが危険な騎乗をした際は検量室や控室で叱責することもあったが、自著においてはこの事実を認めつつも「彼らに公正で安全な騎乗を心掛けてほしい」という強い思いがあるからであると主張している。
- 現役時代より騎手仲間との交友を描いたエッセイやコラムにも定評があるが、機械類が不得意なため、原稿は全て手書きで行っている。
- 田原成貴や武豊を尊敬しており、エッセイでも度々田原や武への敬意を表している。田原の調教師転向後は田原厩舎の主戦騎手となり、2000年には弥生賞でフサイチゼノンに騎乗して、田原に調教師としての唯一の重賞勝利をもたらしている。
主な騎乗馬
※勝鞍は藤田とコンビを組んだもののみ記載。
※海外重賞は()に開催国を、地方交流重賞は〈〉に開催地を記載する。
GI勝利馬
- タケノベルベット(17番人気、1992年エリザベス女王杯)
- フサイチコンコルド(7番人気、1996年日本ダービー)
※ダンスインザダークを差し切って勝利。
- アドマイヤドン(1番人気、2001年朝日杯フューチュリティステークス)
- ショウナンカンプ(3番人気、2002年高松宮記念)
※アドマイヤコジーンやトロットスター、スティンガーらを抑えて逃げ切り勝利。
※ツルマルボーイやエアシャカール、ローエングリンらを抑えて勝利。
※サイレントウィットネスを差し切って勝利。
※ウオッカを差し切って勝利。
- ローレルゲレイロ(2番人気、2008年高松宮記念/6番人気、2009年スプリンターズステークス)
※ビービーガルダン、スリープレスナイト、ファイングレインらを抑えて逃げ切り勝利。
- トランセンド(いずれも1番人気、2010年・2011年ジャパンカップダート/2011年フェブラリーステークス/2011年マイルチャンピオンシップ南部杯<東京>)
※エスポワールシチー、スマートファルコン、ワンダーアキュートらを相手に勝利。
※ドバイワールドカップ(アラブ首長国連邦)でも2着と連対。