概要
洋画と呼ばれる海外映画の多くがアメリカ産であることからも、その市場規模は図り知ることができる。
アメリカ映画に「日本よ、これが映画だ。」というキャッチコピーが付いてくる程度には映画のメインストリームを走っている。
こうなった背景には、圧倒的な経済力や地の利、二度の世界大戦でヨーロッパの映画人が亡命してきたことなどがある。
アメリカの映画といえば《映画の都》ことハリウッドであるが、ここが映画の中心地となったのは、晴れが多く撮影がしやすいことと、映画会社同士の抗争の歴史による。
また、ハリウッドに限らずアメリカの主要な映画製作会社はカリフォルニア州を本拠地としている場合が多い。(ただし、インディペンデント系はその限りでなく、また、大手でも1990年代にはニューヨークなどに本拠が有る映画会社の作品がアカデミー賞を独占していた時期が有った)
関連事項
- 大列車強盗
1903年公開。アメリカ映画の始祖。12分の短編ながら世界初のアクション映画であり、西部劇映画でもある。
- モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC)とハリウッド
1908年、エジソンら大手映画会社が組んだ大型トラスト。これによってアメリカ映画が本格的に作られるようになり、配給・上映の方式が標準化された。しかし映画業界の占有を図ったため、中小企業のインディペンデント系と抗争が発生。血を血で洗う世紀末となった。インディペンデントの映画人たちは、トラストに見つかると機材を破壊され、裁判沙汰になった。ここでハリウッドが登場する。トラストの目から逃れ、撮影に適した環境でもあった新天地こそがハリウッドだった。その後1917年、MPPCが崩壊すると大手会社もハリウッドに活動を移し、ハリウッドは映画の都になったのだった。
- ハリウッド黄金期
1930-40年代。メジャー映画会社のスタジオシステムとスターシステムが全盛であったころ。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、パラマウント映画、20世紀フォックス、ワーナーブラザーズ、RKOの大手五社を《ビッグ5》、それより規模が小さいコロンビア映画、ユニバーサル・ピクチャーズを《リトル2》と呼び、それに配給専門会社のユナイテッド・アーティスツを合わせた八社が主体であった。このころは映画監督よりもスタジオ(映画会社)の方が地位が高く、監督は一部の巨匠を除いて、指定された脚本を映像化する職人扱いだった。世界恐慌や第二次世界大戦により、現実逃避のできるハッピーエンドの映画が好まれた。黄金期の終わりは、戦後の赤狩りでスタッフが失われたことと、テレビが普及したこと、《ビッグ5》が司法省に独占禁止法違反で訴訟され、49年に判決が下されたことで訪れた。
また、この時期は「映画産業が金になる」事が判ったせいで逆にアメリカの映画業界が男社会化していった一面も有り、例えば女性の映画監督はこの時期に大幅に減少する事となった。(アメリカの映画業界における女性監督の割合がこの時期より前の水準に回復したのは1990年代〜2000年代になってから)
- ヘイズ・コード
1934年から1968年まで実地されていた自主規制。悪徳・性的な描写に規制を敷き、夫婦が同室で寝るのもNG。殺人などの暴力や同性愛も規制された。このため映画人たちは必要な表現のために知恵を絞った。
なお、ヘイズコード以前のアメリカ映画は「アフリカ系などの人種的マイノリティが重要な役割を果たす」「同性愛を匂わせる描写が有ったり、女性同士の連帯が描かれる」「今でいうセクハラを男女逆転させて描く事で、男性にとっての『当り前』を批判・否定する」「監督やスタントマンなどの後の時代に『男性の仕事』のイメージが有る仕事をやっていた女性が多かった」など、逆に今日的な観点からすると「過剰なポリコレへの配慮」と見做されかねない作品が少なくなかった。
ある意味で、現代の少なからぬ日本人が娯楽作品における「当り前」「テンプレ」「ポリコレをガン無視した自由な描写」だと思っているものの中にはヘイズ・コードの呪縛が今でも続いているに過ぎないものも有る可能性も考慮すべきであろう。
例えば、「後の時代の価値観で過去作を改変してしまう」の一例としてあげられる「スターウォーズ」の「ハン・ソロが相手を警告なしに先に銃で撃つ→相手から攻撃されたので反撃する」も「改変した時代の価値観に合わせた」と言うよりも「アメリカン・ニューシネマ以降の『ヒーロー』像をヘイズコード時代の『ヒーロー』像に改変する」=「現代の価値観に合わせて過去作を改変するのではなく、過去作をその作品が作られたよりも前の時代の価値観に合わせて改変する」という一面も有る。
40年代から60年にかけてアメリカで作られた犯罪映画。フランスの批評から発生した言葉で、《暗黒映画》を意味するフランス語。探偵、警察、ギャング、悪女らが暗躍するハードボイルドな作風。多くはモノクロのB級映画だった。先述の通りヘイズ・コードがあったため、間接的な描写、あるいは隠喩を使った。
1967年の『俺たちに明日はない』を皮切りに、体制に反旗を翻すカウンター・カルチャーとしての映画が流行した。ケネディ暗殺、公民権運動への弾圧、ベトナム戦争への米軍の介入などで政府や警察に対する不信が飛び火した結果だった。総じて反社会的な生き方をする若者が主役であり、バッド、あるいはビターな終わり方をする。1976年の『ロッキー(映画)』や1977年の『スター・ウォーズ』が大ヒットしてからは再びハッピーエンドの映画が増えた。
- ブロックバスター
桁外れのヒット作。1区画(ブロック)を破壊する爆弾の名に由来。70年代にコッポラの『ゴッドファーザー』、スピルバーグの『ジョーズ』、ルーカスの『スター・ウォーズ』といった世界的ヒット作が次々に公開されたことから、話題を一本の映画に集中させ、大量の観客を動員しようという戦略が生まれた。ブロックバスターになることをあらかじめ見込まれて製作される場合、制作費より宣伝費の方が高騰することも。