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モンゴルの編集履歴

2023-08-25 03:01:03 バージョン

モンゴル

もんごる

東アジア北部に位置する共和国

概要

首都ウランバートル
人口329万6866人(2020年1月)
面積156万4116平方キロメートル
通貨トゥグルグ
公用語モンゴル語
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

モンゴル国(モンゴルこく、モンゴル語:Монгол Улс、読み:モンゴル・ウルス、英語:Mongolian State)は、東アジア北部に位置する共和国。中国ロシアと国境を接する内陸国。国旗は社会主義時代のものから共産主義を示す星を外しただけのものである。現在の国土は清王朝時代に外モンゴルと呼ばれたモンゴル高原北部の地域であり、南部の内モンゴルは現在中国の内モンゴル自治区となっている。モンゴル人はモンゴル国よりも内モンゴル自治区に住んでいる人の方が多い。モンゴル人は騎馬民族として中国を征服した歴史があり、13世紀にはユーラシアを席巻していた。


歴史

近世以前

モンゴル帝国を参照されたし。


清朝からの独立

1636年5月以来旧モンゴル帝国の故地は、モンゴル系諸ハン国の衰退に伴って清朝に支配されていた。1911年12月に辛亥革命で清王朝が打倒されたのを契機に自立し、チベット仏教におけるモンゴルの化身ラマであったボグド・ハーンを君主とする政権を樹立した。ロシア帝国から支援を受け、外モンゴルに加えて一時は内モンゴルの大部分も制圧する。しかしロシア帝国は中華民国との外交配慮から内モンゴル放棄を求め、撤退を余儀無くされた。1919年11月にロシア革命に乗じた中華民国の侵略を受け、政権は崩壊する。


社会主義時代

1921年3月に人民党が結成され、人民党はソ連の援助を求めた。これに応じた赤軍・極東共和国軍はモンゴルに介入し、同年7月に人民革命が成功に終わった。外モンゴルを解放した後は、1924年11月にモンゴル人民共和国が成立した。


1939年3月にホルローギーン・チョイバルサンが閣僚会議議長に就任し、1941年3月にモンゴル語表記がキリル文字に切り替わった。1952年1月にチョイバルサンが死去し、後任にユムジャーギィン・ツェデンバルが就任した。ツェデンバルの治世では1960年4月から表面化した中ソ対立で、一貫してソ連支持の姿勢を取った。ソ連の方針でモンゴル文化の独自性は抑圧され、文化の東ヨーロッパ化が進行した。


一方でモンゴルなど東側諸国5か国・日本など西側諸国13か国の国際連合への加盟が同安全保障理事会で一括協議されたが、1955年12月に中華民国がモンゴルの加盟に領有権を主張して拒否権を発動した為、ソ連は報復に日本の加盟に拒否権を発動した。結局モンゴルの加盟は1961年10月まで持ち越しとなったが、ソ連と東ヨーロッパ諸国は戦略的要地であるモンゴルの支援に注力し、経済成長が続いた。


民主化・その後

1989年12月の冷戦終結後にモンゴルは方針転換を迫られる。1990年3月にドゥマーギーン・ソドノム閣僚会議議長(首相)の決断によって、モンゴルは人民革命党の一党独裁を放棄した。1992年2月にはモンゴル国に改称して新憲法を制定し、社会主義を完全放棄した。人民革命党は2010年11月に人民党に改名し、多党制の中でも重要な地位を占めている。


政治

立法府は"Улсын Их Хурал"であり、国家大会議と邦訳される。先述の人民党と民主派諸党が合流した民主党との二大政党制である。行政権は直接選挙の大統領と、国家大会議の多数派から選出される首相とが分有する半大統領制を採用している。大統領の行政権は首相あるいは国家大会議の支持を必要とし、首相の権限が強い。ただし大統領には国家大会議の議決した法案への拒否権があり、これを覆すには国家大会議3分の2多数の議決を要する。立法権については大統領が三権分立の牽制役を担っていると言えよう。


軍事

平時の編成としては5つの部門から構成されている。陸軍空軍、建設・工兵軍、サイバーセキュリティ軍、特殊部隊である。特に陸軍は精強でT-72型戦車を変態機動させる事で有名であり、戦車で蒙古騎兵の機動を行っていると例えれば分かりやすいだろうか。空軍ならMig-29など中国を牽制する両国の意図もあり、主にロシア製の装備を配備している。国際貢献の海外派遣に積極的であり、南スーダンコソボアフガニスタンなどで活動実績がある。


かつては内陸国でありながら海軍を保有していた。フブスグル湖の石油輸送を任務としていたが、後に民営化されて現在は輸送と共に観光事業も行っている。


地理

概ね南に行くほど乾燥しており、北部には森林・南部は砂漠が広がる。モンゴルのゴビ砂漠は恐竜の世界的産地の1つでもあり、これまで数多くの化石が発見された。


中部には草原が広がり、伝統的に遊牧や放牧が主産業である。主に肉などを利用するヒツジ・高級繊維のカシミアが得られるヤギなどが飼育される。特にカシミアはモンゴル産が世界的にも良質で珍重される。しかし寒暖の差が厳しい内陸気候に悩まされ、近年は南部からの砂漠化の進行も問題になっている。


国内に石炭レアメタルなど豊富な鉱物資源を埋蔵している。近年は重要な輸出産業に成長し、鉱業従事者も増加している。その重要性は銅と石炭とで輸出品目の大部分を占めるほどである。


国際関係

外交方針は隣国の中国・ロシアとのバランスを維持しながら、それに過度に依存せずに「第3の隣国」である日本・アメリカ・ヨーロッパなどとの関係を発展させる事である。2015年9月にエルベグドルジ大統領がモンゴルを永世中立国にすると宣言したが、2020年5月に事実上頓挫している。


ロシア連邦

1921年11月に外交関係を樹立し、ソ連と政治・経済・軍事・文化の分野で協力した。鉄道の建設などを含むインフラ整備に貢献したロシアとは友好的な外交関係にあり、その影響から公用語のモンゴル語はキリル文字を使用している。社会主義時代はソ連従属政策を徹底し、1960年4月に表面化した中ソ対立ではソ連側に付いた。


1991年12月のソ連崩壊後に経済関係は大きく後退したが、軍事ではソ連製装備の導入など密接な両国関係にある。


中華人民共和国

1949年10月に外交関係を樹立し、1960年5月に友好相互援助条約を締結した。ウランバートル平和橋などの建設・モンゴル縦貫鉄道の完成など当初は友好関係にあったが、中ソ対立の期間は中国との激しい抗争を継続してきており、対立が沈静化しつつあった1988年11月には、両国の国境問題処理に関する条約と領事条約が締結された。


冷戦後に一時流入した西側資本が撤退するのに伴い、最重要産業の鉱業を中国資本が主導するようになり、これを規制しようとするモンゴル政府と激しい対立が生じている。輸出の主軸である銅・石炭も大部分が中国に輸出されている。


歴史的に何度も中国からの侵略を受けたモンゴルは、今でも中国に対する激しい敵対心を抱いており、中国人がモンゴルで襲撃されるほどである。国内の極右団体が極端な反中国・反中国人運動を展開しており、中国人の男と寝たとの理由で、複数のモンゴル人女性の頭髪を丸刈りにする・中国と関係が深かったモンゴル人を殺害する事件が発生している。ウランバートル市内にはハーケンクロイツのマークと共に「中国人を射殺せよ」とする落書きが多く見られる。


北朝鮮

2010年4月に横綱の朝青龍が、金正日総書記のもとを訪問して話題になった。


韓国

1990年3月に外交関係を樹立し、特にモンゴル人男性の出稼ぎ先として最も多く選ばれている。彼らの出稼ぎ後の帰国に伴って韓国の大衆文化がモンゴルに流入しており、映画・テレビ番組など、人気次第では放映直後にモンゴルでも放映されている。食文化ではキムチなどの従来のモンゴルには無かった辛味食品が導入されるようになった。


日本

1972年2月に外交関係を樹立し、1977年8月に経済協力協定を締結してノモンハン事件の対日賠償請求を取り下げた。その代わりに日本は50億円を無償贈与し、ウランバートルにカシミア工場が建設された。しかし社会主義時代は冷戦構造とソ連の影響下にあって密接な外交関係を有さず、本格的な交流の強化は1990年3月の民主化を待たなければならなかった。社会主義時代の反日教育があったものの、伝統的にモンゴル人の日本へのイメージは良好で、モンゴルは日本にとって北東アジアの安全保障の為に極めて重要なパートナーとなっている。


モンゴル相撲ブフ)という伝統格闘技がある事もあり、日本の角界の強豪力士はモンゴル出身者が多い。ゴビ砂漠の化石調査には日本の調査団が参加しており、先述した相撲や映画などの撮影・ゴルバンゴル計画(チンギス・ハーンの墳墓捜索)への協力などから、日本との関連性が年々増加している。


社会

国民

モンゴル系が多数派であり、少数民族にテュルク系・ツングース系などが存在する。ソ連の影響にあった時代に用いられたキリル文字表記が民主化によって撤廃され、政府はモンゴル文字表記を推奨した。しかし横書きができないという弱点があり、必ずしも全面的な移行は進んでいない。パソコンでの横書きではラテン文字も推奨されているが、現時点はキリル文字も含めた諸々の表記法が混在している。


宗教はモンゴル系を中心に約半数がチベット仏教である。その指導者であった化身のラマ、ボグド・ハーンことジェプツンダンバ・ホトクト8世は、1921年7月の人民革命後に帝位に復帰した。しかし共産主義政権は、8世で転生は終わったと称して後継者の捜索を禁止した。その後は人民革命党の政治局が任命したガンダン寺の僧院長が指導者とされ、民主化後にチベットでダライ・ラマに認定された9世がガンダン寺の指導者を兼ねることになった。モンゴルでは他にシャーマニズムも盛んであり、冷戦後に復権している。


ソ連の影響下にあった時代は、建国の英雄であるチンギス・ハーンがロシアの侵略者として手厳しい評価が規制されていたが、ソ連崩壊と共に復権し、各所に像が設置されるようになった。ウランバートルの中心のスフバートル広場でも、人民革命の英雄であるスフバートル像と向かい合ってチンギス・ハーン像が立てられ、結婚式の記念撮影場所としても人気を集めている。


人口

2020年1月に実施された国勢調査では、329万6866人であった。


関連イラスト

無題


関連タグ

地域

アジア 北アジア 東アジア


歴史

チンギス・ハーン 元寇 モンゴル帝国


文化

モンゴル人 モンゴル神話 蒼き狼

馬頭琴モリンホール) モンゴル相撲 スーホの白い馬


キャラクター


その他

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