牛頭天王
ごずてんのう
概要
日本の仏教において、神仏習合における天部の神で、薬師如来の垂迹であるとともに、須佐之男と同体とされており、現在の八坂神社(京都府京都市東山区祇園町)にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られている。
京都・祇園の八坂神社の他、広峯神社(兵庫県姫路市)も祇園信仰の総本宮を名乗っており、ここでは薬師仏が「素戔嗚尊の奇魂」として扱われている。
文献上、最初に名が現われるのは、平安時代、12世紀中ごろだという(忘れられた神 牛頭天王、再来願い 祇園祭ゆかりの旧神官家子孫、像など収集 /京都)。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視され、更に釈迦の生誕地コーサラ国にあった僧院「祇園精舎」の守護神とされているが、インド側の資料には言及されない。
祇園神という祇園信仰の神でもあり、祇園大明神の名で、『法華経』の守護神「三十番神」の一柱に数えられ、各月の24日目の守護を担当するとされる。
陰陽道では天刑神や天道神と同一視された。天刑神と別存在、かつ敵対的な描写もある。奈良博物館に所蔵の「辟邪絵 天刑星」では四本腕の鬼神の姿で描かれた天刑星が、「牛頭天王およびその部類ならびにもろもろの疫鬼」をとって喰らって退治する様が描かれる。
牛頭天王が疫病そのものを引き起こす悪神として扱われた事例でもある。
中世の津島(愛知県西部)では中国神話の薬神神農とも習合していた。
『神道集』によると、彼の従神には道教において男女の仙人の長とされる東王父と西王母が含まれ、『伊呂波字類抄』の祇園の項ではこの二神は彼の両親(ただし、道教では西王母の夫は玉皇大帝である)とされるが、午頭天王は中国の文献にも登場しない。
仏教の仏、神道の大神、陰陽道の星神と様々な神仏と習合し、神仏習合が当たり前であった中世において篤く信仰されたが、明治政府による神仏分離政策によって、各地の「祇園社「牛頭天王社」系の神社では祭神の名称をスサノオに、社名を八坂神社などへと変えざるを得なくなった。更に、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、牛頭天王の殆どの神像は川に流される等して失われた。
近年になって、秘匿される等して難を逃れていた牛頭天王像の再発見が相次いでおり、2019年末に発生したCOVID-19が世界的に流行する中、注目を集めている。
出生
『祇園牛頭天王御縁起』では十二の大願を発した薬師如来が、須弥山の中腹の「豊饒国」の「武塔天皇」の子として垂迹する。
このように垂迹神としての牛頭天王の本地は薬師如来とされるが、例外として広島県福山市の素盞嗚神社(旧称「戸手祇園社(早苗山天王院)」)の本地堂では聖観音菩薩(脇侍は毘沙門天と不動明王)が祀られた。神仏分離令の後取り壊しを免れたが菅原道真公を祀る天満宮に改装された。
安倍晴明に帰せられる書『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』の第一巻の巻頭では、彼の神としての出自と、地上界の天竺(インド)に生まれ変わり「午頭天王」を名乗ってからの物語が、蘇民将来説話(ただし舞台はインドと同じ大陸にある異国となっている)を絡めて解説される。この書によると彼は帝釈天の部下である天刑星が地上に生まれ変わった存在である。
家族関係
- 妻:頗梨采女
陰大女ともいい、八大龍王の一人「娑伽羅(サーガラ)」の娘の一人。『神道集』では次女、『祇園牛頭天王縁起』では三女とされる。法華経で女人成仏したとも解釈される龍女は妹(五女)にあたる。牛頭天王がスサノオと習合すると、スサノオの妻クシナダヒメと同一視された。本地は十一面観音とされる。
- 息子:八王子
八人の王子。メンバーは相光天王、魔王天王、倶魔良天王、徳達天王、良侍天王、達尼漢天王、侍信相天王、宅相神天王。
陰陽道における8人の方位神で天体神でもある八将神(太歳神、大将軍、太陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄幡神、豹尾神)と同一視される。
このほか眷属神が眷属八万四千六百五十四柱いる。
図像表現
『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』では頭上に黄牛面(黄色い牛の顔)を戴き、その角は鋭く、風貌は夜叉の如くである、と記される。
二本腕でそれぞれの手に斧と羂索を持つ作例が多い。『仏像図彙』における「祇園大明神」の絵はまさにこれである。
肌色は淡黄色や薄茶色、「吉野曼荼羅図」をはじめ、赤であることも多い。ほとんどの作例において岩座や、天部神や人物神が乗るカラフルな縦縞模様のある方形台座の上に乗る。京都の天台宗妙法院の「神像絵巻」では虎に騎乗している。
松尾神社(京都府木津川市)の像は甲冑に身を包み、右手に矛を持ち左手は腰にあてる。岩上から右足だけを垂れた半跏像。四面(正面+左右+後頭部)の忿怒相の頭上に牛頭のある合計五面の像である。
朱智神社(京都府京田辺市)の像は三面の上に牛頭がある二本腕の立像。右手は人差指と中指だけをそろえて伸ばし刀のかたちをつくる刀印にし、左手には宝珠を持つ。
中仙寺(大阪府堺市)の坐像は、三面の上に牛頭が乗る。正面以外の顔は左右の斜め後ろについており、前からは見えにくい。腕の数は四本。持物は向かって左から宝棒、剣、(失われているが恐らく)羂索、宝輪である。
興禅寺(愛知県津島市)の像は椅子に腰掛けるような台座に座る「倚像(いぞう)」と呼ばれるタイプ。四つの顔に十二の腕を持つ。中央の顔は馬で両サイドに忿怒相の顔、そして頭上に牛頭がある。足首から先が鳥のそれになっている、という点でも独特な作例である。持物のいくつかが残っており、月輪、斧、剣、弓らしきものが確認できる。
富永神社(愛知県新城市長篠)の立像は一つの顔の上に牛頭がある。貫頭衣のようなゆったりとした唐装の作例で二本腕で両袖の先を孔子像のように前で重ね合わせて拱手する。
新宮神社(千葉県長生郡長柄町)の「木造伝牛頭天王立像」は頭二つ分の高さの立烏帽子を被る。烏帽子の先端には逆さにした円錐を傾けて前から見たような意匠がある。日本腕の神道の神道風の作例。頭に牛頭はない。
「祇園牛頭天王荒魂図」は二本腕で頭上に牛頭を戴く。スサノオとの習合を示す作例で、勾玉を鏤めたような装身具は日本神話の男神としての描写を反映している。左手には稲穂を持ち、右手で剣を構える。さらに腰にももう一振りの剣を佩いている。足下には狼、馬、牛、虎を従えている。
虎に乗る牛頭天王
福井県越前町の八坂神社(旧称「天王宮応神寺」「祇園天王宮」)には虎の上の荷葉座に左足を垂れる形で座す平安時代後期の半跏像が所蔵されている。唐風の甲冑に身を纏い、忿怒相の三面の髪はアーモンド型の髻のようになっており、中央のそれに牛の頭がある。腕は合計12本でメインの二本腕には斧と羂索があり、他に日輪と月輪、弓矢、金剛杵、剣、数珠などを持つ。
妙法院所蔵の「神像絵巻」掲載の図像でも、三面十二臂だが、三面にそれぞれ第三の目があること、虎の背に直接跨がっていること、持物じたいには斧と羂索が含まれるが、メインの二本腕には南瓜と巾着を合わせたような形状の壺のようなものと三鈷杵が持たされている、という違いがある。また牛頭の上に仏が座している。真言宗御室派総本山仁和寺にも破損により細部が確認できないが大まかなポージングが共通している室町時代の仏画がある。
創作での扱い
余談
- 近代以前は「牛頭天皇」と表記される事も有ったが、明治以降は、この表記はほぼ使われなくなる。理由は言うまでもない。