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概要編集

インドの独立運動家で、インド国民会議派議長(1938~1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。 イギリスによるインド支配に反発し、大日本帝国の力を借りて独立を成し遂げようとした。同じく日本と協力して独立運動を行っていたラース・ビハーリー・ボースは同姓の別人


民族的出自はベンガル人。ネータージー(指導者、नेताजी, Netāji。ネタージ、ネタジ とも) の敬称で呼ばれている。なお、スバスの部分は、シュバス(Shubhas)とも発音される。


経歴編集

生い立ち編集

英領インドにて誕生。

父は弁護士であり、イギリスによる抑圧を受けていたインド人の人権を擁護することが多く、ボースはこの影響を受けた。


カルカッタ大学へと進学。しかしそこではイギリス人教師がインド人に対して差別的な差別的な態度をとっていたため、それに反発したインド人学生がストライキを決行。ボースは首謀者と見られ停学処分を受けるも、最終的に卒業。その後ケンブリッジ大学大学院留学した。


イギリスによる支配に反発編集

1921年、マハトマ・ガンディーによる反英非暴力運動に参加。しかしボースは「イギリスが武力でインドを支配している以上、インドが独立するためには武力の使用はやむを得ない」と考えており、ガンディーとは目的(インド独立)は同じであったものの、それを達成するための手段(武力使用の有無)に関する考え方は対照的であった。


こうして、ボースは本格的にインド独立を目指していった。


亡命編集

1939年、第二次世界大戦の勃発に伴いイギリスがドイツと開戦。

これをインド独立の好機と捉えたボースは独立戦争の準備を開始。ガンディーに広範な蜂起を提案するも、「準備不足の現在に蜂起すれば多大な犠牲が出る」という理由で却下された。


1942年、ボースは回教僧へと変装してドイツへと亡命。ドイツの支援により「自由インドセンター」が設立された。さらに自由インド軍団の結成がなされ、北アフリカ戦線にて捕虜になったインド人から志願者を募り、約2000人の兵士が集まった。さらにボースは反英プロパガンダ放送にも参加した。

しかしドイツ総統アドルフ・ヒトラー有色人種を見下しており、さらにイギリスとの講話を望んでいたため在印イギリス軍の駆逐には消極的であった。これによりボースはドイツからの支援は引き出せないと考えるようになった。


自由インド仮政府編集

その頃、大日本帝国(以降、日本と表記)は太平洋戦争にてイギリスと交戦。大日本帝国軍マレー作戦香港の戦いにてイギリス軍に対して勝利していた。

これを好機と見たボースは、ドイツではなく日本の支援を得ようと考えて1943年に来日。インド独立連盟総裁とインド国民軍最高司令官に就任した。

当初、当時の日本の首相・東條英機はボースを気にしていなかったが、ボースの会談を果たすと彼に注目するようになる。ボースの人柄に魅了された東條は、ボースによるインド独立運動の支援を了承。ボースは当時、日本軍の占領地域だった東南アジアにおいて国民軍の募兵を実施。さらにラジオを通して対英独立戦争の継続を訴えた。さらには日本にてインド独立への支援を訴えた。


1944年、ボース率いるインド国民軍はインドの軍事的解放を目指してビルマへと拠点を移動。そこで日本軍ビルマ方面軍司令官・河辺正三と出会った。河辺は、ボースのインド独立の意思に感動し、「立派な男」と評価した。


その後、ボースはインパール作戦に参加するも、イギリス軍による反撃に遭い敗北。


そして、1945年に日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏。太平洋戦争に敗戦した。


最後編集

ボースは、戦後にイギリスと対立することが明確なソ連への移動を計画した。台北から大連行きの飛行機に乗り、そこからソ連へと移動しようとしていたとされる。しかし彼の乗っていた飛行機が離陸直前に事故を起こし、ボースは重傷を負った。その後、病院にて手当てを受けたにもかかわらず亡くなった。


没後、彼の碑が杉並区蓮光寺に建てられた。ネルー元インド首相などのインドの歴代首脳もこの碑に訪問している。


イギリスは、元インド国民軍の兵士約2万人を裁判で裁こうとした。しかし、インド人はこれに反発。こうして、インド人によるゼネストや暴動が発生し、ついにイギリスはインド支配を終了させることを決定。こうしてボースの死から2年後、インドはついに独立を果たすことができた。


関連タグ編集

インド 大日本帝国 チャンドラ・ボース

インパール作戦


関連人物編集


関連図書編集

  • インド独立の志士・朝子⋯インド婦人部隊に所属していたアシャ・バーラティー・チョードリー氏の伝記。アシャ氏の両親も独立運動家で、チャンドラ・ボースや上記の中村屋のボースとの関わりが出てくる。

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