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プロフィール編集

生年月日1991年4月13日
性別
ナトルーン
マウイポーカー
母の父Poker(USA)
通算成績14戦2勝

ナトルーン編集

通算成績5戦3勝のバステッド種牡馬で主な勝ち鞍は1987年の仏ダービー。日本軽種馬協会によって輸入されたものの異系血脈という点や体調不良等が重なり種付け数は伸び悩んでしまった。重賞勝ち馬こそ現れなかったがオープン特別のエイプリルSを制したエスジーフラットクイーンC2着のグレイスナッキーといったスピード化に対応した産駒を輩出できた点を踏まえると潜在能力は侮れないものがあった。疝痛のため2005年12月に永眠。そしてバステッドの血は21世紀になってから再注目されることになる。


抽選馬編集

JRAが若駒をセリ市で購入・育成した馬を希望する馬主に抽選(ドラフトのようなもの)販売された馬の事。

→より詳しくは抽選馬の記事へ


戦績編集

(馬齢表記は旧年齢表記)

3歳時(8戦2勝)編集

1993年7月24日に小倉競馬場で開催された芝1000m新馬戦でデビューも10着。折返しの新馬戦で勝利し、4戦目の小倉3歳ステークスでは11番人気ながらも3着に奮闘した後に関東に帰っていった。トラストカンカンの所属は美浦の河野厩舎だったので実は滞在競馬だった。

関東に戻ってからは自己条件を飛ばして3連続格上挑戦を敢行し、芙蓉ステークス4着、アイビーステークス2着を経ていちょうステークスを勝ち朝日杯3歳Sに挑むことになる。3度の格上挑戦で全て掲示板着順だったのだから能力そのものはあったはずである。


朝日杯3歳ステークス編集

デビュー以来手綱をとってきた小迫次男騎手から田中勝春騎手に乗り替わりとなり8番人気で挑んだが3着だった。1着は後の三冠馬ナリタブライアンである。2着はセクレタリアトの2x3という強いインブリードで有名なフィールドボンバーだった。ナリタブライアンとの着差は7馬身半…完敗だった。


4歳時(6戦未勝利)編集

クラシック参戦を見据えた陣営が選択した始動レースは弥生賞だったが11着に大敗。スプリングS6着を経て皐月賞に挑んだ。


第54回皐月賞編集

ナリタブライアンが断然の一番人気で1.6倍に対し本馬は144.7倍の13番人気だった。結果も17着サムソンビッグのさらに5馬身差の最下位だったが、これはレース中に心房細動を発症していたことが原因である。


皐月賞以降編集

幸い、心房細動の方は重篤ではなかったので早期に復帰できたがNHK杯ではナムラコクオーの10着に敗れたが次走のNZT4歳Sでは久々の掲示板着順の4着に入った。約1か月後に福島競馬場で開催されたラジオたんぱ賞で7着に敗れたのを最後に屈腱炎を発症。二度とターフに戻る事はなかった。


余談編集

  • 皐月賞17着のサムソンビッグはこの年の牡馬クラシック皆勤を果たしている。しかし日本ダービー菊花賞では最下位に敗れ準裏三冠という珍記録を残している。
  • バステッドの血はディープインパクトにも流れている。(母母父がバステッド)父系としては衰退しているバステッドだが牝系に根付き、現在も影響を与え続けている。

関連項目編集

競馬 競走馬


関連タグ編集

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