概要
その名称は「幺樂団の歴史」に阿求が初登場した際にともに登場している。
この能力は体験したものを忘却することなく記銘・記憶し、さらにその記憶を引き出す事の出来る「瞬間記憶能力」である。阿求本人と、阿求に至る「御阿礼の子」たちにも繋がる能力であり、それは転生を重ねる「御阿礼の子」の始まりである稗田阿礼にまで遡る。
稗田阿礼に関連しては実際の歴史上の人物として稗田阿礼があり、歴史上の稗田阿礼もまた高い記憶力とそれを回想する能力をもっていたとされる。
歴史上の稗田阿礼はその能力を通して古事記の編纂に携わっている。
「幺樂団の歴史」
本能力についての言及があるのは同サウンドトラックのシリーズのうち第一作にあたる「幺樂団の歴史1」である。
「幺樂団の歴史」は阿求が「 今にも消え入りそうな音楽 」としてのFM音源を愛した楽団である「幺樂団」の音楽を録音し、自身が執筆する「幻想郷縁起」に記録したというものである。
阿求の能力とも関連した「幻想郷縁起」については後述。
「幺樂団の歴史1」では原作者ZUNによるあとがきに阿求に関する紹介があり、その際にこの能力名も登場している。
稗田阿求自身曰く
阿求本人による能力や能力に関連した言及は複数の作品にみられる。
その描かれ方には主に二つのパターンがあり、一つは「幻想郷縁起」に自身が執筆した阿求本人の言葉で、もう一つは作中で阿求がその能力を語ったり使用したりする等のシーンである。
2015年11月現在では、前者は主に『東方求聞史紀』、後者は主に『東方求聞口授』や『東方鈴奈庵』に見られている。
「幻想郷縁起」
「幻想郷縁起」とは、妖怪の脅威に晒される人間が妖怪を理解し、対策するための啓蒙書籍として阿求の九代前にあたる稗田阿一によって執筆が始められた。阿一以後、稗田家は120年から180年の周期で「 幻想郷の目立った妖怪 」をまとめ、「幻想郷縁起」の更新を続けている。
その執筆に当たるのが稗田阿礼の魂の転生した存在であるところの「御阿礼の子」である。
阿求は「 九代目 」の「御阿礼の子」にあたる。
「御阿礼の子」は先述のような周期で幻想郷に生まれ、この地の妖怪等を調査研究し、「幻想郷縁起」にまとめる。
「御阿礼の子」は、転生に際しては阿礼が持っていた「 求聞持の能力 」を継承しており、阿求もまたこれを保持している。これは先述のように「 見たものを忘れない 」能力であり、絶対的な記銘能力といえるものである。
ただし記憶した内容そのものは多くが転生に際して失われ、転生前の記憶が次の転生者に継承されるものはほとんどないとされる。阿求は転生前の時代の記憶については一般的な過去の理解と同様に「 過去を知るには過去の資料を読むしか知る手段は無い 」ともしている。
「御阿礼の子」は「一度見たものを忘れない」という能力そのものは受け継ぐものの、具体的に記銘されるいわばソフト面はそれぞれの「御阿礼の子」だけのものとなるようである。
なお転生周期の百年単位のブランクについては「御阿礼の子」の魂は死後に地獄で閻魔の元で働く事になるため、今日のように冥界などの死者の世界との境界が緩やかになっていたとしても「 幻想郷の様子を見る事は出来ない 」。次の転生まで実際に幻想郷に触れる事は出来ず、したがってその頃の幻想郷を記憶する事もできないようである。
『東方求聞口授』
先の「幻想郷縁起」は阿求が執筆し広く他者に伝えた言葉であるが、阿求本人が登場しその活動が語られることもある。そしてその中で阿求の能力に関連したことが語られたり阿求が能力を使用する様子が描かれる事もある。
『求聞口授』では阿求は昨今の幻想郷事情の理解のための新しい試みとして幻想郷における宗教家たちの対談を企画し、八坂神奈子、聖白蓮、豊聡耳神子の三名の対談を実現させた。さらに妖怪に造詣の深い霧雨魔理沙を司会に頼み、阿求が書記として参加した。ここでは阿求の忘れないという能力が記録者としても発揮されている。
この対談では魔理沙も含めた四名の対話が主であり阿求は殆ど書記に徹しているが、まれに阿求本人が会話の流れに加わる事がある。そしてこの内の一つに自身の能力と、その能力にまつわる阿求の想いが語られるシーンがある。
その場面は次のようなものである。
近年の地霊の騒動の文脈で古明地さとりの話題が上がり、話はさとりが地霊殿へと隠遁を余儀なくされる事情についてのものとなる。神奈子はさとりが地霊殿に「 引き籠って 」いる事情についてさとりの能力である「心を読む程度の能力」と関連して考察し、「 彼女も本当は人の心なんて読みたくは無いのでしょう 」とも語る。
これに人間の欲を読み取る事の出来る(あるいは読み取ってしまう)「十人の話を同時に聞くことが出来る程度の能力」をもつ神子がさとりへの共感を寄せ、「 要らない言葉 」、「 辛辣な内容の言葉 」が本人の意思とは無関係に「 聞こえてきて 」しまう事の辛さを語る。
そしてこの神子の言葉に阿求も共感し、「 私の場合は聞いた言葉を忘れられない 」と阿求がもつ辛さが語られるのである。
さらに神子は「 声が聞こえてしまう 」という事への対策として「 耳当て 」をしているとする。この神子の言葉から、神奈子は能力への対応策という点でさとりにとっての地霊殿が神子の耳あてのように聞こえてしまう声からさとりを遠ざけ守っているのか、と考察する。
この対話は阿求にとって個人的に得るものがあったようで、対談の後の執筆の際に記載したと思われる注釈にて「 その手があったか 」と語っている。
ただし阿求は「 見た物も忘れない 」ので「 目隠しも必須ですね 」とするなど神子やさとりと同様に、阿求もまた能力の副次的な要素への対処には苦慮している模様である。
『東方鈴奈庵』
先の『求聞口授』での機会と同様に阿求本人の登場と能力への言及が伴う機会が『鈴奈庵』にもあり、同作では阿求が能力と関連して描かれる様子が複数ある。
例えば人間の里で起こっていた一夜のうちに酒樽の中の酒が無くなると言う怪異を阿求が追っていた際、捕えた見た事もない生き物についてその記憶をたどる様子が描かれている。
結果記憶に無い事が判るとその生き物について「 私の記憶にはない 」とはっきりと言い切っている(第六話)。
記憶が鮮明であればこそ、見た事が無いという事の断言にも力を込める事ができるのだろう。
『鈴奈庵』において阿求が頻繁に出入りする貸本屋である鈴奈庵の蔵書についても、鈴奈庵で働く本居小鈴以上に記憶している一幕もある(第十四話他)。
蔵書を回想する場面は他の場面でも見られ、稗田家の女性がもたらした僅かな情報を元に関連する書籍とその記述を回想し、その頃小鈴が陥っていた「 罠 」について、博麗霊夢や魔理沙とは別のアプローチからそれを看破している(第二十五話)。
また阿求特有の能力との関連に限った文脈ではないが、広く「記憶力」という点からは小鈴の「靴」に見覚えがあったことで事が大きくならないよう手を打てたりもする(第十三話)など阿求個人もまたその記憶力を上手に活用している様子も描かれている。
とあるエピソードで寺子屋の障子に現れた謎の文字についても、それを見聞した後にいつのまにかそれが張り替えられていても阿求の記憶には鮮明に残っている様子が語られている(第十八話)。
本作での阿求の記憶について特徴的な点は、阿求が阿求以前の記憶を基に語る機会も多い点である。
例えば「聴耳頭巾」の一件では「 先代の記憶 」を元に先代が取った対策についても
小鈴に語っている(第八話)。
さらに能楽に関連した小鈴との会話の中でもその能力や「御阿礼の子」としての阿求の姿が描かれている。とある経緯から能楽を調べる小鈴に阿求が書籍とともにその様子を語るのであるが、その延長で能楽の前身である猿楽、さらには書籍として記録されていない民間芸能時代の猿楽についても話が至る。
ここに至って阿求は自身について「 全ての時代を見てきて覚えている 」と、歴史書に記載されていない頃の猿楽についても語る事が出来るとするのである。
しかしその阿求の勢いに小鈴が押され、阿求の前世の記憶について「 眉唾 」とつい口を滑らせてしまう。これが阿求の怒りに触れてしまったようで、小鈴は阿求の猿楽講義を通して阿求の「記憶」を堪能することとなったようである(第十話)。
この後のストーリーでは小鈴は阿求の記憶に基づく阿求の判断に全幅の信頼を置く様子が見られる。
例えばある書籍の語る説について阿求が「見た事がない」としたことでそれのオリジナリティを確信するといった様子に小鈴の自然な心理が現れている(第二十四話)。
なお同作では阿求は小鈴が持ち込んだ描写のきつい絵巻絵図を直視してしまっており、気分を悪くするような描写がある(第十話)。これも先述の『求聞口授』での対話中に語られるような「忘れられないことの辛さ」にも繋がってしまうのだろうか。
文々。新聞によれば
上記のもの以外に他者から見た阿求の能力が語られる場面として、阿求に関連した「文々。新聞」(「幻想郷縁起」掲載、『求聞史紀』)がある。
これは阿求誕生にかかる御阿礼神事を取材した射命丸文が「御阿礼の子」について記述したもので、文によれば御阿礼の子は「 一度見た聴いた事を全て憶えることが出来たという稗田阿礼の生まれ変わり 」である。
さらに記憶について文は歴代の御阿礼の子の記憶をすべて持つと記述したが、この点については「幻想郷縁起」に本記事を掲載した際に別途阿求によって記述されたことによって否定されている。
曰く、「 先代からの記憶は幻想郷縁起に関わる一部しか残ってないです 」。
pixivでは
pixivでは阿求の能力を通して阿求が物事を「忘れない」様子と「忘れられない」様子などが描かれている。
阿求が「忘れない」ことで個々の人間たちの生きた姿や忘れられる事で存在が消滅する妖怪などの存在の証明となり、阿求が「憶えている」ということことそのものが幻想郷とそこに住まう全ての存在を温かく包むのである。
一方「忘れられない」というアプローチにはコミカルなものとシリアスなものなど多様な姿があり、例えば阿求にとって(各々の理由で)衝撃的なものを忘れられずにそれぞれの形で苦悩する様子などが描かれている。
先述の『求聞口授』での対話における面々の二次創作を見る時、さとりや神子にも「心が読めてしまう」、「声が聞こえてしまう」ことによる苦悩や関連したドタバタが描かれるなどの創作アプローチがあるが、阿求もまたその能力を通した種々の苦労が描かれる事があるのである。