曖昧さ回避
お寺としての元興寺
読み方は“がんこうじ”
南都七大寺の1つで、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的な仏教寺院である法興寺が平城京内へと転移して現在の名前へと改名したとされる(ちなみに法興寺が元々あった場所には後身となる飛鳥寺が建立されている)。
奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降は衰退して.奈良市中院町と奈良市芝新屋町に残された寺の一部のみが残されているのみとなっている。
創作での扱い
元興寺を建立した蘇我氏を元ネタにした蘇我屠自古のスペルカードのモチーフ。
詳細は →雷矢「ガゴウジサイクロン」・雷矢「ガゴウジトルネード」
妖怪としての元興寺
読み方は“ぐわごぜ”、“がごぜ”、“がごじ”、“がんごう”、“がんご”とも呼ばれる事もある飛鳥時代、上述した寺に出没したとされる悪鬼。
また、出没した寺にちなんで元興寺の鬼と言う事もある。
平安時代に書かれた『日本霊異記』や『本朝文粋』などの文献にその名が記載されており、次のような話が伝えられているという。
時は敏達天皇の頃。尾張国阿育知郡片輪里(現在の愛知県名古屋市中区の古渡町付近)に住んでいたとある農夫が落雷に遭い、その時の落雷と共に雷神が落ちて子供の姿へと化身した。
農夫は驚き雷神を手にしていた杖で殺そうとするが、雷神は命乞いをし、もし助けてくれたならば恩返しに自分のような力強い子供を授けると言い、その言葉を信じ大臣のもの目に応じた農夫は楠の船を作り、雷神は彼の見守る中、それに乗ってそれへと帰っていった。
それからしばらくして雷神が約束した通り、農夫の妻が頭に蛇が巻き付き、頭と尾を後頭部に垂らしているという雷神の申子とでもいうべき異形の姿をした子供を授かった。
その子供は雷神が言った通り、生まれついて怪力を誇っており、10歳を迎えるころには時から自慢の有名な皇族の王の1人と力比べで簡単に勝ってしまう程だったという。
後にこの子供は仏門へと入り元興寺の童子となるが、折しもその頃、元興寺の鐘楼を担当する童子が毎晩のように変死するという事件が続発し、鬼に殺されたのではないかとの噂が立っていた。
この噂を聞きつけた童子は自分が鬼を捕まえて見せるといって自ら鬼退治を買って出る。話し合いの末、予め鐘堂の四隅に灯を置いて蓋をしておき、鬼を捕まえたら4人の童子たちに知らせて蓋を開けてもらい鬼の姿を実見してみようという取り決めになった。
その夜、童子は鐘楼で鬼を待ち構え、未明の頃に鬼が出現するや否や、その髪の毛をひっ捕まえると引きずり回し、待機している童子に合図を送るが、肝心の童子たちはこの出来事に肝を冷やして蓋を開けずに逃げてしまっていた。
そして夜が明けた頃、流石にこれはたまらんとすっかり頭髪を引き抜かれてほうぼうの体で逃げ去ってしまっていたが、その後を点々と血痕が残されていた為、正体を見届けようとその後を辿って行くと、かつて元興寺で働いていた無頼な下男の墓まで続いており、鬼の正体はこの下男の死霊であったことが発覚した。
なお、この出来事以来、鬼は二度と現れなくなり、童子は持ち前の怪力を使って活躍をし続けた末に得度出家して道場法師になったとされている。
創作での扱い
3期鬼太郎では劇場版で大きく脚色され登場した。
詳細は →ぐわごぜ
- その他
詳細は →ガゴゼ
余談
一説にはお化けを意味する児童語のガゴゼやガゴジはこの妖怪が語源となっているとされるが、真偽のほどは不明らしい。