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加藤康介

かとうこうすけ

静岡県出身の元プロ野球選手。現役時代はNPB4球団と独立リーグ・福島ホープスに所属した。

概要編集

1978年7月2日生まれ、静岡県出身。

ポジションは投手。左投左打。


日本大学から2000年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズを逆指名し、2位で入団。ロッテを指名したきっかけは、シドニーオリンピックの野球日本代表候補としてロッテの鹿児島キャンプに参加したからだという。

ロッテでは「期待のサウスポー」として将来を嘱望されていたが、故障や2軍落ちを繰り返していた。2007年に金銭トレードでオリックス・バファローズへ移籍。同年は2軍スタートだったものの、翌2008年1度も1軍登板出来ずに最初の戦力外通告を受けてしまう。その後トライアウトで横浜ベイスターズ(→横浜DeNAベイスターズ)に入団し、中継ぎとしてプレーしていたが、2010年に2度目の戦力外通告を受けた。


同年に左の中継ぎを探していた阪神タイガースに入団すると、2011年は7月に一軍初昇格。4試合に中継ぎ登板するも安定感を欠き、およそ2週間で登録抹消された。2軍では31試合に投げ、防御率2.83であった。

2012年西村憲の怪我による戦線離脱もあり、中継ぎとして41試合に登板。敗戦処理または大量リードしている場面での登板が主となるも、防御率0.83と安定感を見せた。

2013年はMLB挑戦となった藤川球児の代わりにクローザーやセットアッパーを任され、シーズンを通じて自己最多の61試合に登板し16ホールドを挙げるなど大活躍し、福原忍と安藤優也らと共にリリーフ陣を支えた。

2014年は3度の1軍登録抹消を経験。2015年には長年酷使し続けた右股関節にある大腿骨の骨頭に骨棘が出来、肥大化したため日常生活でも激痛が走るほど深刻な状態に。その為に登板が6試合にとどまったこともあって10月に3度目の戦力外通告を受ける。


2015年11月10日に、地元・静岡市の草薙球場で開催の12球団合同トライアウトへ参加、打者3人を8球で三者凡退に抑えた。

NPB他球団への移籍は至らなかったが、独立リーグであるベースボール・チャレンジリーグBCリーグ)で福島ホープス(→福島レッドホープス)の岩村明憲監督の誘いを受けて、12月に投手コーチ兼任選手として入団。2年間コーチ兼任選手としてプレーしたが、2017年に同年限りでの選手としての現役引退を決断した。


現役引退後、2020年からは元いた日本大学に戻ってコーチをしている。


人物編集

  • 登板時にはゴーグルを着用していた。ゴーグルを着用した姿の方が定着しているため、ゴーグルを外すと誰なのか分からない。
  • ボールを投げる時は左であるが、筆記は右。
  • 苦労人。2013年8月31日の広島東洋カープ戦(甲子園)では、1点リードの8回表に3番手で登板すると、3者連続三振を奪ってホールドポイントを記録。チームも勝利したため、試合後には、移籍後初めてヒーローインタビューを受けた。ゴーグルを外して臨んだインタビューでは、「(甲子園のお立ち台からの眺めは)最高です…。(お立ち台は阪神移籍後)初めてです。涙が出そうなんですけど、本当に嬉しいです。(同じくインタビューを受けた先発投手の藤浪)晋太郎が頑張っていて、(高卒新人投手ではセントラル・リーグ史上5人目のシーズン)10勝がかかっていたので、(自分も)頑張りました」と言いながら、感極まって号泣している。

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