加藤登紀子
かとうときこ
1943年12月27日生まれ。
旧満州ハルビン生まれ、京都育ち。
本名は藤本登紀子。加藤は旧姓。
東京都立駒場高等学校を経て、東京大学文学部西洋史学科を卒業。高校時代は放送クラブに所属していた。
愛称は「おときさん」。
軽快な語り口と明るいキャラクターで、テレビなどに出演した際に楽曲とのギャップから驚かれることがある。
学生運動に参加していたことや、後述の夫の影響もあり、革新的な政治活動や発言でも知られている。
しかし、本人は「私はあくまでも歌手なんですよ。運動家じゃありません。」と発言している。また、プロパガンダとしての音楽の利用には否定的な意見を持っている。
1995年6月21日、北海道公演に赴いた際、「全日空857便ハイジャック事件」に実母とバックバンドと共に巻き込まれ、16時間以上拘束された。無事解放され、翌日の苫小牧公演も開催したほか、ライブ後は記者会見に応じている。
近年の流行に敏感で、若いアーティストやタレントの活動に好意的な反応を示している。
インターネットの活用にも積極的であり、2008年にYouTubeチャンネル、2009年にTwitterアカウント、2017年にInstagramアカウントをそれぞれ開設し、自ら情報発信を行なっている。
1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。翌66年 「誰も誰も知らない」でデビュー。
1971年 「知床旅情」(作詞・作曲: 森繁久彌、ミリオンセラー)で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1987年 「百万本のバラ」が大ヒット。「難破船」(中森明菜)「わが人生に悔いなし」(石原裕次郎)といった提供曲も、好セールスを記録。
NHK紅白歌合戦には1971年、1989年、1990年の3回出場している。
シャンソン、歌謡曲を中心に幅広いジャンルの楽曲を披露している。また、校歌も手掛けている。
1983年の映画『居酒屋兆治』で高倉健の妻役、1986年のテレビドラマ『深夜にようこそ』では千葉真一の妻役で共演。
1992年 スタジオジブリ『紅の豚』(監督: 宮崎駿)に声優(マダム・ジーナ役)として出演、主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当。
ポルコ役、森山周一郎が死去した時、死去の報を聞き自身のYouTubeチャンネルにて、追悼として「時には昔の話を」をギターソロで歌った動画をアップした
父・加藤幸四郎は音楽プロデューサー、実業家。ロシア料理店『スンガリー』の創業者として知られている。また、藤田まことの芸名の名づけ親でもある。
母・淑子は『スンガリー』の店主を務め、2017年1月に101歳で没した。
(父の死後に登紀子が『スンガリー』運営会社の代表取締役もしていたが、現在は退いている。)
両親はロシア人の多いハルビンに滞在していたことや、一時期ロシア人の住居に間借りしていた経験からロシア語が堪能だったという。
なお、『スンガリー』の由来はハルビンの「松花江」であり、満州語で「ᠰᡠᠩᡤᠠᠷᠢ
ᡠᠯᠠ(スンガリ・ウラ)」と呼ばれていたのを、入植したロシア人が「Сунгари(スンガリ)」と呼んだことに因む。
1972年、学生運動の指導者であった藤本敏夫(2002年没、享年58)と獄中結婚。
出所後、藤本は有機農業の普及に努め、鴨川自然王国を創設した。
藤本との間に三女をもうける。次女は歌手のYae。なお、Yaeの夫の藤本ミツヲは、現在鴨川自然王国の代表を務めている。