概要
1988年(昭和63年)11月、東京・綾瀬で少年グループが工場でのアルバイト帰りの女子高生(当時18歳)の自転車を少年の一人が蹴り、言いくるめて女子高生を誘拐し少年の一人の自宅に監禁した。
その後、聞くに堪えない激しい暴行や虐待を加え41日後に死に至らしめた事件である。
犯人の少年の主犯ら4人は逮捕され、それぞれ裁判で刑が確定したが、犯人には出所後も社会に出て更生はおろかこの犯行を引き合いに自慢げに語る者までおり、未成年による凶悪事件として現在でも語り継がれている。
また量刑に関しては賠償金として主犯格の親が自宅を売却し5000万円を支払っており、これが考慮されたのではないのかという説もあるが、彼女が事件に巻き込まれず生きていたと仮定した場合、単純な割り算をするだけでも少ないことがわかる。
創作においても、特に法律では裁けない悪を裁く趣旨の作品においては本件を元にした犯罪者が描かれることが多い。
事件名は当時、処分に困ったその遺体をコンクリート詰めにし、東京湾埋立地に一人の人間の遺体をゴミのごとく捨て去ったことに由来する。
別件での警察の揺さぶりによる犯人側の自供による発覚のため、白日の下にさらされず暴かれない可能性も充分にあり得た。
11月も終わりに入り、家電量販店への就職の内定も決まりこれからの人生に夢を膨らませていた娘が突如の行方不明となり、周囲が新年を祝う中で娘の安否もわからぬまま娘の無事を祈って不安な年越しを迎え、年が明けて冬の終わりとともに告げられたのが娘の訃報であった。
犯人
犯人たちは15~18歳の少年で、足立区内の同じ中学の出身。
いずれも犯行当時は高校を中退し、犯行現場付近で悪事を働いていた。
うち一人は逮捕後に少年院でいじめにあい、引きこもりになったとニュース番組の取材で報じられている。
しかし、
と、4人のうち3人が再び犯罪に手を染めていることから、凶悪犯を更生させることの難しさを知らしめた。
その他
- 事件当時、余りに残忍な犯行から週刊誌はこぞって犯人たちの実名を掲載した。これがきっかけで、今後の少年法のあり方について活発な議論がなされた。
- インターネット上でも、この実名報道に触発される形で、犯人たちの実名とその関係者を暴きだそうとする動きが活発化したが、その過程で事件とは無関係の人物までも「犯人一味」としてやり玉に挙げられ、誹謗中傷の標的とされることもあった。。
- この事件が発生した時、幼少期だった人達は、後に「キレる17歳」という世代を生み出してしまう(神戸児童連続殺傷事件が発生したのはこの事件の10年前後経過した後である)。
モチーフとした作品
あまりの残虐さから、漫画やドラマに小説などのモチーフになることが多い。
関連タグ
キレる17歳:この事件が起きたときの世代が幼少期である。
伊集院茂夫による焙烙刑と凌遅刑:作中でこの事件を元にした殺人事件が描かれ、その主犯である外道はこの拷問によって始末された。