概要
テレビ朝日にて1999年10月から2008年3月まで放送された、料理バラエティ番組。司会は城島茂(TOKIO)、磯野貴理子(途中から)。アシスタントは武内絵美(テレビ朝日女性局アナ)。アシスタントは稀に武内アナ以外の人が代役を務める事もあった。
元々は土曜の深夜番組として放送されていたが、2004年10月からは水曜夜7時台全国ネットの番組に昇格した。
内容
【普段から料理をしない女の子たちに料理を頑張ってもらおう!】という、(二重の意味で)わかりやすいコンセプトを軸としたクッキングバラエティー。
キャッチコピーは概要欄にある通り「料理は愛だ!愛があればLove is O.K.!!」。「不器用な料理でもそこに愛があれば大丈夫!」という意味合い。
家庭でも作られるお馴染みのメニューを、エプロンガールズと呼ばれる女性挑戦者がスタジオ内の特設キッチンとそこに用意した数々の食材を用いて、制限時間内に完成させる。
ただしレシピはまったく教授せず、自分の記憶と勘だけを頼りに調理しなければならないという料理の鉄人とは真逆のコンセプト。料理は仕上がりにかかわらず、食すことが危ういと判断されない限り必ず審査員へと供される。
出来上がった料理はジャッジマンと称される男性ゲストと番組レギュラー陣、料理研究家の先生が試食し、それを基にエプロン番付なるランキングを作成する。
ちなみに食材はどれもスタッフが厳選した一級品で、予算が許される場合にはフォアグラやアンコウなどの高級品まで揃えている。
レシピを見ないで料理を作らなければならない、という制約故に、壮絶な料理がたびたび登場し(回によってはジャイアンシチューやグレーリング飯を越える凄まじい料理が登場した事がある)、ジャッジマンや司会陣を困らせまくった。そのなかで、アシスタントの武内アナが眉間のシワを寄せながら悶絶することから、『眉間のシワメーター』なるものが登場した。また、ジャッジマンとしての出演頻度が高い志村けん、東野幸治、勝俣州和に関してはやたら壮絶な料理にぶつかる事が多かったため、『汚物処理班』と言われる事がある有様だった。
どうしても耐えきれず粗相をする場合は、スタジオ裏に設置された「愛のバケツ」にゴメンナサイすることになるが、その度に審査員の壮絶かつリアルな呻き声が谺する……。ちなみにゴールデン進出後は時間帯的に配慮してか、「エチケットタイム」と称され、その間お題となる料理(正しく作られた物)や作った人・食べた人のプロモーションビデオ(MVやドラマ・映画のワンシーンなど)を流す様になった。
とりあえず塩と砂糖を間違える、食材の黒焦げor生焼けくらいは全然優しい方。だって重曹を入れる人がいるくらいだもの…。
一応、試食をする先生とは別にお題の料理に関するプロがお手本を作るため、それを食べてお口直しという場面もある。また、そのプロの先生が作る場面をすりガラス越しに見ることは出来たので、全くのノーヒントという訳ではなかった。
ちなみに、たまに男女が逆転し、エプロンボーイズと称される男性挑戦者がジャッジウーマンと称される女性ゲストに料理を作る回もあった。
エプロン番付
エプロンガールズの指標となるシステム。この番組ではその日の出演者間で勝敗を決めるのではなく、全エプロンガール間でランキングを争う形式になっている。食べた料理を元に、ジャッジマンがエプロンガールズのネームプレートをピラミッド型のランキングボードに貼る事で評価する。ボードは上から「特エプ」「上エプ」「中エプ」「下エプ」、ピラミッドにも入らない「ランク外」に分かれているのだが、あまりに酷い料理を食べさせられたジャッジマンは怒り、あるいは仕返しの意を込めて作った人のネームプレートをボードどころかスタジオの外の廊下、大道具、ゴミ箱、排水溝、トイレ、果てはテレ朝社屋外の道路に置いたり、リーダーや服部先生の足の裏に貼ったり、作った人の実家や東京都外から来た人や作った本人に持ち帰らせたりする。
深夜時代の最終的な最下位はインリン・オブ・ジョイトイで、偶然社屋の近くを歩いていた青森県のカップルにネームプレートを持ち帰らせた。ちなみにテレ朝社屋のある六本木ヒルズから青森県まではおよそ700kmある。(更に余談であるかこちらの青森県のカップルはその前に青木さやかのネームプレートも持ち帰ったことがあり、それ以前には同じく偶然社屋の近くを歩いていた栃木県のカップルが井上和香のネームプレートも持ち帰ったことがある。)なお、あくまでその回の料理のみで決まる様で、下位にいた人が奇跡的に美味しい料理を作って一気に上位に来たり、次の回でまた酷い料理を作ってランク外に戻るという事が度々あった。
鉄の掟
2005年11月2日から「50回(得点制のスペシャル回を除く)以内に特エプを取れなかった者はエプロンガールズから強制引退」という鉄の掟が制定された。このルールで強制引退になったのは同日が50回目の出場だった磯野貴理子のみ。しかし、なぜか翌週2005年11月9日から司会として参加(本人曰く野球選手も引退後は解説に回るからとのこと。)。その後もドッキリなどでたまにだが料理をさせられている。
変遷
「愛のエプロン」
当初の放送時間は土曜日深夜1時過ぎ。
この頃は舞台は「愛のクッキングスクール」、城島はそこの見習い講師という設定があった。また、まだ「エプロンガールズ」という呼び名はなく、タレントではなく一般人が料理を作る番組だった。
その多くが料理経験も皆無な女子高生ギャルや、普段忙しくて包丁を触ったこともないキャバ嬢など、まさに「予測可能回避不可能」「どうあがいても絶望」を地で行く阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。
その中でも稀に奇跡的に美味しいものを作ったり、親の背中やにわか知識を必死に思い出してまともなものを作り上げる女性も登場し、そういった「隠れた料理上手の卵」を発掘するのも、この番組の「通な」楽しみ方だったりした。
余談だが、城島はこの時期のある収録で「砂糖と塩を間違える」という初歩的なミスを2回もした女性に対し、「ミスをするのはしゃあないけど、それを繰り返すのはゲストや食材用意して下さった方に失礼やろ‼︎」とブチギレてしまった事があるらしい。その後、凍りついた空気を察して「深夜やからもっと楽しくやろうね」と声をかけて一件落着したとの事。城島は後年、当時TOKIOとしてTBS「ガチンコ!」にも出演しており、その番組では出演者同士が本気でケンカをする場面を度々目の前で見ていたため、その影響で血気盛んになってしまっていたと振り返っている。
「愛のエプロン2」・「愛のエプロン3」
曜日はそのままに放送時間が少し早まり、2では深夜1時ちょうど、3では0時半になった。
「エプロンガールズ」の名称が登場し、挑戦者が一般人からグラビアアイドルやモデル、新人女子アナウンサーなど芸能関係者へとシフトして行き、一種の「登竜門」的な番組とされた。
この頃は、まだまだ料理下手と料理上手の判定を見極める意図が強く、全員が大惨事に陥ることもあれば、自炊経験豊富な挑戦者のガチの美味い料理にあたるなど、落差の大きさを楽しむ従来通りの路線を重視していた。
またこの時代、準レギュラーのように定期的に出場する料理下手な女性芸能人も登場し、そうした準レギュラーが徐々に成長していく姿を見せるようにもなった。
例えばインリン・オブ・ジョイトイはこの準レギュラー枠の一人で、当初は最下位常連だったものの、番組末期にはかなりまともに料理が作れるようになっていた。
放送エリアも少しずつ拡大していったほか、「3」からは不定期でゴールデンタイムでの特番も行われる様になり、その視聴率も13〜14%と高い水準をマーク。
「愛のエプロン(ゴールデン)」
長きにわたって視聴率を稼いだ功績から、ついに水曜7時のゴールデン進出。上述通り、2005年11月9日から磯野貴理子が司会に参加。
そして肝心の番組内容は、1回の放送で登場するエプロンガールズやジャッジマンは増えたものの、当初は深夜時代と特にテイストは変わらず、そこそこの視聴率を維持していた。
しかし――
2006年10月以降、裏番組が視聴率を伸ばしてくると、テコ入れとして杉本彩や梅沢富美男をはじめとした料理自慢芸能人による頂上決戦が定番化してしまい、当初の「料理と縁の薄い女の子が料理を頑張る」という番組の骨子が消え失せた、ただの芸能人による料理自慢番組へと凋落してしまった。
特に2007年以降は2時間スペシャルを乱発・スポーツ中継に伴う休止が多発するなど放送頻度自体が減り、かつての素人参加型・芸歴の浅い女性芸能人の登竜門としての番組の在り方は潰え、旧来の「女の子が慣れない料理を頑張る番組」が好きだった古参ファンから完全に見放されてしまった。
当然視聴率もどんどん下がり、その度にテコ入れ(「スピード料理王」など企画のバリエーションを増やすなど)してはまた視聴者が離れるという悪循環に陥ってしまう。更には司会の城島が2008年春からテレ朝で新たに始まる深夜冠番組「LEADER'S HOW TO Book-ジョーシマサイト-」への出演が決まり、スケジュールにも不安が出るなど悪条件が重なった結果、愛エプは2008年春で終了する事に。
終盤では2週に渡り「最弱料理女王(ワーストエプロンガール)決定戦」という、旧来の趣旨に乗っ取った(?)企画も一応放送された。最終回2週前は城島がイメージのみで決めたこれまでの料理ランキングという名の総集編、最終回は「最強料理王決定戦」を放送し、8年半の幕を閉じた。ちなみに今後は不定期特番でやって行くと発表されたが、2024年現在に至るまで一度も放送されていない。