プロフィール
身長は174cm、血液型はB型。
愛称は「キネ」や「キネっち」があることはあるのだが、小室哲哉やファンからは普通に「木根さん」と呼ばれている。
概要
1979年にロックバンド『SPEEDWAY』のリーダーとしてデビュー。
SPEEDWAYが活躍を休止した後、バンドのメンバー同士でもあった小室哲哉、宇都宮隆と3人で音楽ユニット『TM NETWORK』を1983年に結成する。
TM NETWORKでは主にバラード系の作曲を担当する。
ファンには「木根バラ」でお馴染みである。
楽器は主にエレキギターの担当だが、ピアノやコーラス(初期はキーボードも)も担当している。
ちなみにピアノの腕前はキーボード担当の小室哲哉を凌ぐ程である。
アコースティックギターやブルースハープでの演奏もこなし、1988年からは小説家としても活動する等、非常に多才である(小室哲哉から「木根さんは器用貧乏」だと揶揄されることも)。
現在はTM NETWORKの活動のほか、ソロミュージシャン、音楽プロデューサーとしても活躍している。
人物
元々はフォークソングの出身でアコースティックギターで弾き語りをしたり、ピアニスト兼キーボディストとして自らリーダーとしてバンド活動を行なっていたが、TM NETWORKの結成後はリーダーの小室哲哉の意向によりエレキギターに転向している。
10代のころから吉田拓郎やかぐや姫などのフォークに傾倒し、アコースティックギターを弾いていた。
サングラスがトレードマーク。
TM NETWORKのデビューの際に「小室哲哉は三つ編み、宇都宮隆は赤毛」と奇抜なビジュアルを繰り出してきたコーディネーターから、木根だけ「見た目がパッとしない」との理由で危うく丸坊主にされかけたが、木根はこれを「僕としては普通の感じでいいと思うんですけどね。坊主はちょっと」と全力で拒否した。
これに対し、コーディネーターは「そうだな。坊主はなぁ…やめよう。じゃあ、君はふつうでいいや」と持論をあっさりと撤回し、さらに「それじゃあ……サングラスでもしようか」と妥協案としてサングラスの着用を提示してきたので、木根はすかさず「それなら問題ないです!」と即答して丸坊主を回避したと云う逸話がある。
私生活ではサングラスをしていないが、TM NETWORKデビュー以後の音楽活動では公の場で常にサングラスを掛けていなければならなかったために視力が大幅に低下してしまった。
ソロライブやTV番組の単独出演では普通の眼鏡で活動しており、後に視力は訓練を受けてある程度は回復している。
木根の実家は立川市にある水道工事店であり、創価学会の二世信者。会では副芸能部長を務める。
3人兄弟の次男で、兄と弟が上と下に1人ずつおり、現在は実家の水道工事店は兄が引き継いでいる。
SPEEDWAYが事実上の解散となり、TM NETWORKの活動が軌道に乗るまでは家業の水道屋を手伝っていた。
家には昔からピアノが置いてあり、この為に木根家はバンドメンバーや音楽仲間達が頻繁に集まる「溜まり場」となっていたという。
この時期に木根が移動手段の足として使っていたのが実家の営業車であり、それは「屋根に黄色い回転灯(パトランプ)が付いていて、青いボティーには黄色の文字でデカデカと【水道110番】と書いてあったワゴン車」だった。
そのため、この青いワゴン車で頻繁に立川市から府中市にある小室哲哉の実家に行っては、用事が済むまで小室家の敷地に車を停めていたせいで「近所からは『小室さん家はいつも水道が壊れているみたいだけど大丈夫なのかしら?』と誤解されていたみたいで、すごく嫌だったんだよねぇ…。」と、後に小室はTM NETWORKデビュー当時の状況を回想して苦笑いしていた。
自身は運転免許証を取得せず、音楽仕事のみならずプライベートでの移動時までも木根から青いワゴン車の助手席に乗せてもらっていた宇都宮隆は「乗せてもらってばかりいてなんなんだけど、青くて黄色いパトランプが付いた車体が結構目立つから、通行人からジロジロ見られて恥ずかしいんだよ。ただでさえ目立つ水道屋の車に派手な格好と髪形をした輩が乗ってるんだからさ…。」と当時を述懐していた。
1983年12月23日、この日のレコーディングが終わって宇都宮隆を家まで送っていた帰り道で青いワゴン車は黄緑色の車に後方から追突され、あろうことかこの黄緑色の追突車に逃走されてしまう(所謂「当て逃げ」である)。
更に運が悪いことは重なり、この時に青いワゴン車はなんと車検切れだったのだが、当て逃げ事件の被害者ということもあってか事故処理を担当した警察官は同情的で、車検切れに関しては特にお咎めは無かったという。
木根は作曲家としてTM NETWORKの楽曲以外では当時同じEPIC/SONY RECORDSのレーベルメイトだった渡辺美里をはじめ、南野陽子、浅香唯などの80年代に名を馳せた有名アイドルや、小森まなみ、椎名へきる、寿美菜子、寺島拓篤、福山潤などと言った声優アーティストにも多数楽曲を提供している。
声優・アニメ業界への楽曲提供は同じTM NETWORKの小室哲哉より多い。
エアギター疑惑
TM NETWORKの初期は演奏が打ち込みになり、「キーボード2人にボーカル1人は絵面が地味」という小室の意向によりエレキギターを担当することになる。
しかし、「アコースティックギターは弾けるが、エレキギターは弾いたことがない」と断ると、「音出さなきゃバレないって」と小室に押し切られてしまい、結局しばらくは当て振り(エアギター)でライブをこなすこととなった(ファーストツアーのみ。以降は練習の成果もあり、自身で演奏している)。
また、エレキギターのパートはレコーディングでは後にFENCE OF DEFENSEのメンバーとなる北島健二が、ライブでは1985年のファーストツアーから1989年のCAROL TOUR FINALまでは後にB'zのメンバーとなる松本孝弘がサポートとして演奏していた。
ライブでは松本らサポートメンバーがリードギターやソロパートを担当し、木根は手元があまり動かず、音が目立ちにくいカッティングやオクターブ奏法を担当しているために「木根のギターから音がしていない」「木根が弾いてないのにギターの音がする」とファンから勘違いされることもあったという。
1988年に松本がB'zとしてメジャーデビューした後に木根は本格的なエレキギターの練習を始めたようで、ライブビデオを確認すると1989年以降は木根のギター音がはっきりと確認できるレベルになっている。
これらの経緯は木根が2016年にバラエティー番組『しくじり先生 ~俺みたいになるな!!~』にゲスト出演した際に自ら公表している。
しかし、ライブの裏話やファンサービスとして「昔はエレキギターが弾けなかった」と木根本人が度々語っており、古参ファンの間ではよく知られた話ではあった。
この『しくじり先生』の出演が仇となってしまい、現在でもエアギターの部分ばかりがクローズアップされて「猛練習したおかげで現在は弾けるようになっている」部分が過小評価、または無かった事にされているために、木根は「TMの二人やファンの皆さんからは『自分で自分の価値を下げるような真似をするな』と御叱りの声を沢山いただきました。」と反省していた。
実際に『しくじり先生』出演前の2014年には『TM NETWORKの木根尚登が全力でGet Wildを弾いてみた』という動画をニコニコ動画に投稿し、「木根尚登はギターが全く弾けない」という世間の噂を払拭していたのだが、これをテレビ出演で本人が再びぶち壊してしまった結果にファン達が激怒したのは言うまでもないだろう。
関連タグ
喜矢武豊:エアギターつながり。
清春:木根と似た経歴を持つ人物。現在でこそ見事にギターを弾きこなしているが、実はデビュー当時はまったく弾けず、諸事情により木根以上に切り詰められた状況でギターの猛練習をすることとなった。
椎名へきる:木根がプロデュースしたアーティストの一人、2人でユニット・ひだまりを結成したこともある。