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概要編集

本名そのままの筆名は「えいこう」と読まれることもある‥‥が、無論この人物とは何の関係もない。自分の身体の大きさに引っかけたとされる「出方名(でかたな)英光」というペンネームを使ったこともある。


1913年1月10日東京生まれ。早稲田大学卒。身長六尺(約182センチ)と当時としては並外れた大きさで、その体格を見込まれて始めたボート競技(エイト種目)では1932年のロサンゼルスオリンピック代表に選ばれ出場している。


大学卒業後現在の横浜ゴムに入社、京城(今のソウル)へ赴任。この時同人誌に発表した小説が太宰治の目にとまり賞賛と叱咤激励の葉書をもらったことがきっかけで、以後太宰に師事するようになる。

またこの外地時代に召集を受け、従軍経験がある。


戦後会社をリストラされ、学生時代もつながりのあった共産党活動にのめり込むも周囲とのギャップに苦悩して脱党し挫折。更に愛人問題・家庭内不和・師匠太宰の死が追い打ちをかけ、睡眠薬に耽溺する文字通りの無頼派生活を送る。


1949年11月3日、三鷹禅林寺の太宰の墓前で自殺。享年36。


SF・冒険小説作家の田中光二は次男。



作品と評価編集

昔も今も熱狂的ファンの多い太宰の弟子筋で、その墓前で敬愛する師の後を追った‥‥というセンセーショナルな最期を遂げたわりには、その死後あまり顧みられなくなった不遇な作家のひとり。書店で気軽に入手できる作品も、新潮文庫に長らくラインナップされていた『オリンポスの果実』ぐらいだった。現在は著作権が消滅したため、青空文庫で作品の公開が始まっている(が、まだまだ数は少ない)。


代表作『オリンポスの果実』は前述したロス五輪出場時の洋行体験と、その道中で起こる終わりまで何ひとつ進展しない淡くじれったすぎる片想い恋愛模様を綴った(一番最後のひと言を書きたいがための壮大なネタ振り的な)作品で、「活字をピンセットで拾って食べちゃいたい♡」と評した人もあったほどの昭和青春文学の金字塔のひとつ。‥‥ただしその一方で当時の一見華やかで男らしくみえるスポーツ組織内の陰湿な体質(早い話が後輩いじめ)を容赦なく暴きたてたり、ヒロインのモデルとなった人物の関係者からは事実無根だとして抗議されるなど、なかなかに油断ならない問題小説でもある。

拾う活字はよく選ばないと絶対に食中毒を起こすのでくれぐれも注意の程を。


ちなみに当初別タイトルだった表題を『オリンポスの果実』と変えさせたのは、師の太宰である。



関連リンク編集

青空文庫「田中英光」


関連項目編集

太宰治


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