人物
1947年5月27日、鹿児島県出水市に生まれる。
1965年、川崎製鉄に入社し、翌年には千葉製鉄所に勤務する。
1967年に川崎製鉄を退社。日活演技所の第一期生として入所。卒業後は久坂龍馬という芸名で劇団日活青年劇場に在籍。69年に日活所属の俳優となる。
1970年に三船プロダクションに移籍し、芸名を中山剣吾に改める。ちなみに上西弘次は事務所の先輩にあたる。
1971年の『ゴジラ対ヘドラ』のヘドラ役でスーツアクターとしてデビュー。1984年の『ゴジラ』で身長が185cmを超える俳優とのオファーでゴジラを演じ芸名を現在の薩摩剣八郎に改める。これ以後1995年の『ゴジラVSデストロイア』までゴジラを演じた。
エピソード
- 趣味は水彩画、剣術、空手。
- 以前からゴジラのことは知っていたが、映画館で鑑賞したことはなく、ゴジラシリーズへの出演は特技監督の中野昭慶との出会いによるもので、自分は顔出しの役だと思っていたため、ヘドラのスーツアクターと知って落胆したが、事務所からギャラが良いと勧められ、引き受けたという。ヘドラが煙突から煙を吸うシーンでむせ返るなどの苦労もあったが、撮影が終わる頃には面白いと感じるようになったと述懐している。一方、ヘドラやガイガンでは、ただ演じるだけで精一杯であったとも述べている。
- その後の平成ゴジラでは「185cmを超える役者」とのオファーに対し、当時主宰していた劇団の役者を推薦したものの辞退されたことから、代わりに自分(当時身長170cm)が演じることとなった。その結果、スーツはサイズが合わずブカブカで、覗き穴の位置も合っていなかったため、自ら穴を開けたという。また撮影時にメイキングを担当していた川北紘一に対し、メイキング用の撮影を断るなど不遜な態度をとっていたため、川北が特技監督を務めた次作『ゴジラvsビオランテ』以降のシリーズに降ろされることなく起用されたのは意外だったという。そんな彼を推薦したのはほかでもない川北監督であった。薩摩は『ゴジラ』での演技に悔いが残っていたため、薩摩流のゴジラを作り出そうと改めて研究したといい、撮影で東宝映画会長の田中友幸から評価されたことにより、自身を得られたと語っている。
- 『ゴジラVSデストロイア』でバーニングゴジラを演じた際、メカニックや電飾も含めたスーツの重量が120キロを越えるトンデモスーツであり、スーツ内の炭酸ガスの噴射ギミックによる酸欠で4回ほど卒倒したため、酸素ボンベを常時入れるようにしてもらったという。その後も、レギュレーターが外れそうになったり、ボンベのホースが捻れて酸素が来ないことから何度も窒息しかけたらしい。『デストロイア』で完全燃焼はしていないが、最後と決めて演じたため、ゴジラに対して未練や後悔はないと語っている。
主な出演作とキャラクター
ゴジラシリーズ
ゴジラ対メガロ(ガイガン)
以下、全てゴジラ
その他
サンダーマスク(サンダーマスク)
風雲ライオン丸(タイガージョーJr.)
プルガサリ(プルガサリ)