プロフィール
経歴
和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。
西武に松坂大輔がいた頃はダブルエースとして活躍。松坂がいなくなり、涌井秀章、岸孝之、菊池雄星といった若手が台頭してきてからは彼らの影に隠れながらも長年エース級の働きをした。
2007年あたりから年齢のせいか勝ち星がつかなくなっていたが、統一球となった2011年には復活。6年ぶりの完封勝利を挙げるとチームで唯一二桁勝利を挙げ、プレーオフでは本来は先発ながら中継を任されていた石井一久と見事な投手リレーを演じる。なお、石井とはかつて97年の日本シリーズにて投げ合ったことがある(1-0で西口が敗戦投手)。
2002年8月26日ロッテ戦、2005年5月13日巨人戦で一度ずつ、9回2アウトからノーヒットノーランを逃している。
さらには2005年8月27日、楽天戦で9回をパーフェクトに抑えながら、味方打線も一場靖弘の前に点を取れず延長戦に突入して10回にヒットを打たれて完全試合を逃したことがある。9回まで27人を抑えたのにもかかわらず完全試合を逃してしまった初の事例であった(試合は1-0のサヨナラ勝ち)。
2015年の引退まで、現役時代21年間全て埼玉西武ライオンズに所属した。しかも21年の選手時代で一度もFAも行使せず、自分の意思から年俸更改で保留したこともなく、全て球団の査定に任せていた。その人望が評価され、コーチとしても上層部の信頼を受けている。現役時代の背番号は13。通算182勝は西武(=所沢移転以降のライオンズ)歴代最多勝利投手である(東尾修は252勝だが西鉄~太平洋時代も含めてである。なお西鉄から含めての最多は稲尾和久の276勝で、西口は稲尾と東尾に次いで3位)。
特徴
体全体を使ったムチのようにしなる投球フォームが特徴。このフォームはリリース直前までボールが見えないので実用的な半面、素人とキャッチボールするときは危険となる。スライダーが武器で、三振を取る際はフォークボールと間違えるほど鋭く縦に落ちる。
尻上がりに調子を上げ、点差が小さければ小さいほど好投する特徴がある。反面、点差が開くとホームランを簡単に打たれてしまう一発病持ち。そのため、1点差の試合が多い。また、立ち上がりも良くないため、リリーフで登板するとあまり結果を残せていない。
まだ近鉄バファローズがあった頃は相性が良く、毎年のように勝ち越していた。合併してオリックス・バファローズになった後も変わっていない。
反面、東京ドームのようなマウンドが高い球場は苦手としていた(特に1996年に日本ハムに勝ってから2007年に巨人に勝つまで13年間勝ちがなかった)。独特なフォームゆえ内念筋を痛めやすいからだと思われる。
かなり天然で飄々とした性格から西武のみならず他球団のファンからも好かれる。斉藤一美アナウンサーいわく「西武の予告先発で盛り上がるのは西口と菊池」と述べている。