概要
1952年7月15日、兵庫県芦屋市生まれ。
通訳を経由してニュース解説系番組のキャスターとして活動。
カイロ大学在学時に一度結婚しているが、結局長続きせずに短期で離婚しており以降独身を貫いている。また病気で子宮を摘出するといった苦労を経験している。
細川護熙が結党した日本新党に入り、1992年に参議院議員として政治家デビューを果たした(翌1993年に衆議院議員に鞍替え)。
1994年からは小沢一郎率いる新進党に参加するも翌年にはその党が分裂し、小沢氏とは決別して保守党を経由し自民党に移籍した(清和政策研究会に所属していたことから、党内でもタカ派の人物とされていた)。
政財界に強い影響力を持つ人物や団体にすり寄り、それが力を失うとあっさり見限って別を探す彼女のやり方は「政界の渡り鳥」と揶揄されることもあるが、本人が気まぐれに離党をしているのではなく、その党自体が分裂や解党をしてしまった(若しくはそうなる危険性が高かかった)故という面も大きく、一概に非難できるものでもない。良く言えば状況を見極める能力に長けているということでもある。
小泉内閣で環境相として初入閣。第一次安倍内閣では女性初の防衛相となる。
2009年の政権交代で自民党が下野して以降、政権を奪還するまでの間、願掛けとして一切散髪をしなかった。のち2012年に再び自民党が政権を奪取した際、公の場で断髪式を執り行った。
東京都知事
都知事選
2016年、前職の舛添要一都知事の辞職に伴う東京都知事選挙への立候補の意思を表明するも、折り合いのよくなかった自民党東京都連や石原伸晃都連会長らの反発もあり推薦が得られず、無所属扱いで出馬する(尤も、都連に無断で出馬手続きを進めていたことなど、彼女の対応にもそれなりの原因があるのだが)。
党本体の支援こそ得られなかったものの、若狭勝をはじめとした党内からの勝手連的応援や元からの高い知名度、および女性人気を活かし、選挙戦を有利に進める。また野党対抗馬の鳥越俊太郎氏の女性問題によるイメージダウンや、宇都宮健児氏降板を巡る市民運動系の内紛で野党支持層が割れた状況の中、終盤は与党候補の増田寛也氏と激しい選挙戦を繰り広げ、見事当選。この一連の選挙戦は、彼女がメディアを味方につけて大勝したことから、かつての小泉劇場になぞらえ「小池劇場」とも呼ばれた。また、選挙後に安倍総理大臣と会談した際に「小池さんには一本取られました」と言わしめた。
都知事戦の結果を受け、8月より女性初の第20代東京都知事に就任した。
2020年6月で任期満了となり、東京アラートを廃止し東京都知事選挙に立候補する。その後、再選を果たす。その後、公文書の黒塗り提示や都庁のプロジェクションマッピングなどを行う。
2024年東京都知事選挙
6月13日、東京都都知事選に立候補した。討論会の回避やテレビメディアの報道自粛要請、DDTプロレスリングへの参戦など、独自の選挙戦を行っている。
小池旋風
都知事就任後、選挙時から使用していた「都民ファースト」のキャッチフレーズを掲げ、都議会を「ブラックボックス」と批判し、都知事選時の因縁から都連や都議会自民党との対立姿勢を鮮明にする。特に「都議会のドン」と称された内田茂氏の政治姿勢を激しく批判し、一触即発の空気が蔓延していた。そんな中、小池知事と内田氏の代理戦争と言われた2017年2月の千代田区長選挙では、自身の人気を利用して現職の候補者の推薦に奔走し、現職候補を勝利に導き人気の高さを見せつけた(内田氏は敗北の責任を取ることと自身の高齢を理由に、引退を表明した)。
リオデジャネイロオリンピックの閉会式にも参加し、和装の出で立ちで登場。リオ市長から五輪旗を引き継いだ。
選挙公約で、舛添都政に対する総括を行うことも明言しており、湯河原の別荘を始めとする、舛添氏の政治資金不正使用疑惑についても調査を進めることを表明している。しかし、後述の豊洲市場問題などのしわ寄せもあり、徹底的な追求は未だに行われていない。
また、舛添氏が決定した、東京オリンピックのボランティアユニフォームのデザインに対し顰蹙が集まっていたことから、デザインの見直しを決定。最終的に舛添時代のデザイン案はボツとなった。
五輪会場問題
2020年の東京オリンピックの競技会場に関して、すでにある程度の見通しを立てていた東京五輪組織委員会と対立。代替案を提示するなど交渉を重ねたが、結局小池が折れる形で元の案に従って計画を進めることを決定した。
また、東京以外の都道府県の会場設備費についても、小池が態度を決めかねたことで他県知事との交渉が難航し、会場計画の議論が遅々として進まなかったが、安倍総理と丸川珠代五輪担当大臣の仲介により、2017年5月に何とか交渉がまとまった。
豊洲新市場問題
知事に就任して間もなく、老朽化が進んでいた築地市場からの移転を計画していた豊洲新市場に関して、安全性に問題があるとして、急遽移転延期を発表した。
小池は、「市場の地下に謎の空間が存在し、その地下水の中に基準値を超える放射性物質のベンゼンが溜まっており、危険性が排除できない」と主張。この発表は世間の注目を集め、テレビなどで連日取り上げられた。また、2008年に豊洲への移転を決断した石原慎太郎元都知事の責任にも言及し、小池VS石原対決の様相を呈した。後に、石原氏の都議会への証人喚問も行われた(石原氏は証人喚問の中で、一貫して移転手続きに問題はなく豊洲市場は安全であると主張した)。
10月以降、豊洲市場に関するモニタリング調査が複数回実施され、安全性の有無に注目が集まった。調査の結果、豊洲市場には小池が主張するほどの危険性はなく、細かな対策を行っていれば、人体に悪影響が出るような事態は発生しないという結論が、いずれの調査からも公表された。つまり、豊洲市場は安全であり、すぐにでも移転できると証明されたのである。また、築地市場でも調査を行った結果、豊洲よりも明らかに健康に関するリスクが高いことも判明した。しかし、小池は「安全性が確保されたとしても、都民の安心を得なければ移転は行えない」と主張。調査の結果が出たにもかかわらず、再び移転の決断を先送りした(当然、維持費だけでも莫大な費用がかかる)。
世論も当初は小池の主張に賛同する意見が多かったが、移転決断の先送りを続ける小池に対し次第に不信感を示すようになり、支持率は緩やかに下がり続けている。
そして2017年6月20日、市場移転に関する決断を表明したが、その内容はなんと「最初は豊洲に市場機能を移転するが、その間に築地を再整備し、5年後に再び築地に市場機能を戻す。豊洲はIT・物流に関する施設に、築地は食のテーマパークにする」というトンデモ案であった。そもそも築地市場は解体したのち、五輪に向けて環状2号線に整備される計画であり、それが遅れれば、五輪開催に支障が出ることは明らかであった。また、この案は両方の市場の維持のため、費用もバカにならない。
移転派・残留派の双方に良い顔をしようとしている魂胆が明らかであり、多方面からの批判は避けられないとされている。
小池の優柔不断な姿勢に対して、菅義偉官房長官などは彼女のことを「決められない都知事」と厳しく批判している。
都民ファーストの会
知事就任後、小池を支持する議員が政治団体「都民ファーストの会」を設立。会の名称は先述のキャッチフレーズに由来する。
10月に小池自ら政治塾「希望の塾」を開校。最初の講演会では2900人を超える受講生が参加した。
その後、2017年1月にこれまでの政治団体から、新たに地域政党として活動を開始した。会所属の都議と塾の受講生の中から選考で採用された者を公認候補とし、7月の東京都議会議員選挙で立候補させ、都議会で多数派を狙う方針であるとしている。また、公明党と選挙協力を結ぶことを表明した。
小池自身は当初、会の役職に就く予定はないとしていたが、4月に特別顧問に就任。さらに6月、自ら代表に就任。それに先立ち、対立関係にあった自民党を離党した(正式に受理されたのは7月3日)。
一方で、党の運営および候補者の選考過程が不透明だとの指摘が出ている。
もともと二元代表制を採っている東京都では、都知事と都議会はそれぞれ独立した存在であり、双方の権力が暴走しないよう監視する役割がある。小池自身が代表を務める都民ファーストが第1党になれば、知事による都政の独裁状態ができてしまうのでは、と言う懸念が出ている。また、候補者の中に都議会民進党から離党した都議が複数いることや、共産党系の政治団体「東京・生活者ネットワーク」との選挙協力を表明していることから、党および小池の姿勢を疑問視する意見も少なくない。
そんな中、7月2日に投開票が行われた都議選で55人が当選し、都議会第1党に躍進した。それに対し都議会自民党は大幅に議席を減らし、惨敗を喫した。これにより、多くの政治未経験者が都政運営に参加することになるが、当選した都議の中には過去に横領事件を起こしたり、強姦疑惑のある者がいるなど都議の質が問題視されている。
ブーメラン?
豊洲市場問題などで現場を混乱させているという批判が出てきた彼女だが、民主党政権時にツイッターで、普天間移設問題で迷走した当時の鳩山由紀夫総理を辛辣に批判していた。そのときのツイートが完全にブーメラン発言だとされている。
ツイッターで「#小池ブーメラン」と検索すると、それらしき発言が確認できる。
新型コロナウイルス対応
2020年2月から流行している新型コロナウイルスではオリンピックを延期し、「密です」とか「東京アラート」とか「夜の街に注意」などといった対応を行った。
コロナ関連でほぼ毎日メディアに出ずっぱりになった事で心労が重なったのもあり2021年は6月と10月で2度入院している。