概要
東京都台東区北部にある地名の一つ。日本三大ドヤ街山谷の核を構成する街。
街中は車が大通りを通行する以外閑散とした街だが、大通りが近づくにつれ尋常じゃない数の自転車が宿周辺に停まっていたり、いかにも某作品に出て来そうな怪しい雰囲気を放った中高年達がタバコを吹かしながらふらふらと道を歩き回るおどろおどろしい光景が目につくようになる。
泪橋交差点付近には山谷(南千住除く)唯一のスーパーマーケット「島田屋」があり、ここも怪しい老人達で客層が溢れかえっている。
駐車場には決まって「立ちション禁止」の張り紙が貼られており、また、かの吉原にも程近いため治安は決して良くない事が窺える。
なお、この場所に置いてある自販機の大半が飲み物を100円という格安価格で販売している。
あしたのジョーの舞台としても知られ、街中にあるいろは会商店街入り口付近には主人公・矢吹丈の像が建っている。
街中を歩き回っている中高年達の大半が、事業や博打に失敗し無一文となったホームレスや生活保護受給者といわれている。しかし最近はロードバイクに乗ったバックパッカーの姿も目の当たりにする事が多くなった。腐ってもここは東京の23区内だからだろうか…
それでもあの上野や浅草とは同じ台東区内にあるとは思えないほど物騒な街である事に変わりはない。上野や浅草がリア充達で溢れかえる台東区の光なら、社会のあぶれ者で溢れかえる日本堤、そしてその近辺たる吉原はその影と言っても過言ではない。
「あしたのジョー」でも丹下段平による「泪橋を逆に渡る」理想を語る際、『橋の向こうにある輝かしい街=輝かしい勝利を得る明日』、『背後のドヤ街=人生に破れ泪橋を渡り敗者となった昨日』に例えている。
そんな日本堤であるが、太平洋戦争終戦時の東京大空襲、とくに1945年3月10日夜の大空襲では、上野・浅草一帯が灰燼と化す中、日本堤は奇跡的に空襲から免れており、当地にある馬肉の老舗料理店・「中江」は現在も周辺ではほとんどない1923年の関東大震災復興時(ただし店は1905年創業、関東大震災時に初代店舗が倒壊)の店舗のままで営業しており、日本堤を代表する店となっている。