地域
ユーラシア大陸のヒマラヤ山脈や崑崙山脈に挟まれ、平均高度約4500mの高原が広がるアジアの地域。主にチベット民族が住み、チベット仏教を信仰している。その最高位がダライ・ラマで、現在はダライ・ラマ14世。
現在は大部分が中華人民共和国(チベット自治区、青海省海西モンゴル族チベット族自治州州、海南チベット族自治州、海北チベット族自治州、玉樹チベット族自治州、黄南チベット族自治州、ゴロク・チベット族自治州、甘粛省甘南チベット族自治州、武威市天祝チベット族自治県、四川省カンゼ・チベット族自治州、アバ・チベット族チャン族自治州、涼山イ族自治州ムリ・チベット族自治県、雲南省デチェン・チベット族自治州)、小部分がブータン、ネパール北部、インド(シッキム州、西ベンガル州ダージリン、カリンポン、ウッタラーカンド州ウッタルカーシー県最北部)、マクマホンライン(中印係争地・インドがアルナーチャル・プラデーシュ州大部分とアッサム州極一部として実効支配)、カシミール南東部ラダック(印パキスタン係争地、インドがラダック連邦直轄領(2019年にジャンムー・カシミール州から分離)として実効支配)、北西部バルティスターン(印巴係争地、パキスタンがギルギット・バルティスタン州として実効支配)に分割されている。
中華人民共和国(中国共産党)による人権抑圧政策で有名になってしまい、現在でも文化の破壊が進みつつある、と主張される。一方でチベット仏教やチベット語の保護や衛生環境改善、交通網の整備など、評価される部分もある、とする論者もいる。
中心都市は中国領西蔵自治区の「ラサ市(拉薩市、ལྷ་ས་/La1sa4)」である。
名称
チベット語で”བོད”と表記され、bod(プー)と発音される。
中国語では「西蔵(Xi1zang4/シーツァン、せいぞう)」と呼ばれている。英語表記は「Tibet」で、中国側もこれを採用している。
これに従い「チベット自治区」は、中国では「西蔵自治区」、英語では”Tibet Autonomous Region”と表記される。チベット語では”བོད་རང་སྐྱོང་ལྗོངས།”(プー ランキョン ジョン)。
中国政府主導でチベット文字の電子化が行われており、チベット語のOS開発、チベット語の新聞発行行っている。
歴史
7世紀にソンツェン・ガンポによってチベット諸族が統一され、吐蕃(とばん)王朝が成立。唐朝と対立が続いて、一時は長安にまで侵攻したが、9世紀に両国は会盟を交わした。その際にガンポ王は唐の皇女文成公主を第二皇妃(チベット人の正室がいたとも言う)として迎える。また、ネパールのチツン姫とも政略結婚しており、吐蕃政権の対外同盟を盤石にした。
12世紀からモンゴル帝国の侵攻を受け、親モンゴルのサキャ派政権となり、サキャ・パンディタを指導者とするチベットはモンゴルの影響下に置かれた。サキャ・パンディタの甥であるパスパ(パクパ、八思巴)はクビライに仕えて帝師とされ、パスパ文字を開発するなどサキャ派は隆盛を極めた。モンゴル衰退後は政権が繰り返し変わり、17世紀からダライ・ラマ一族とそれを支えるグシハン一族の政権が成立。
清朝とチベットの関係交渉は順治帝の頃から始まり、康熙帝はチベットへの干渉を強め、グシハン体制による自治を維持させた。しかし、18世紀前半に雍正帝はチベットの支配体制を変えようと、後継争いによる内紛に乗じて出兵。グシハン一族を屈服させ、ダライ・ラマ領と四川や雲南といった清朝支配地などに地域を分割。完全に清朝の影響下に置かれた。
19世紀に反乱が起こるも、現地のガンデンポタン政府が収束させた。再び清軍の侵攻を受けるも、清朝の完全な消滅で、再びダライ・ラマとガンデンポタンの政権がチベットを統治した。
中華民国は清朝の支配領域を継承すべく、チベット支配を主張したが、独立は続いた。
20世紀になってイギリスがチベットへの干渉を始め、一方のチベットは近代化を図った。第二次世界大戦では中立を保った。
1949年に中華人民共和国が成立し、毛沢東率いる中国共産党はチベットを「中国の一部として解放する」として(清朝時代チベットのほとんどが領土であり、孫文らによって建国された中華民国も自国領としていた)、1950年に人民解放軍がチベットへ侵攻し、完全に併合支配した。幼少期にマルクス主義に影響されていたダライ・ラマ14世は、当初中国共産党への入党を希望していた。しかし、北京で毛沢東との会談時に「宗教は毒である」と発言され、彼は疑念を深めた。その後のチベットに対する中国共産党の本格的なチベット侵攻に対抗し、チベット側の抗中武装組織が結成され、侵攻に対する戦闘へと発展した。(チベット動乱)
そのチベット動乱がラサまで波及する見込みとなり、ダライ・ラマ14世は生命の危機を感じた。そのためCIAの援助を受け、1959年にインドへ亡命した。ちなみにスターリンはこの侵攻を認め、毛沢東に「結構なことだ」と述べた。
1965年にチベット自治区が設置され、中国人の大量植民や寺院の破壊が続き、核ミサイル基地が作られた。抵抗空しく弾圧と虐殺が繰り返しされた。1966年より文化大革命期に突入し、鮮烈さを極めた。80年代に改革・解放政策の中で胡耀邦総書記はチベット自治区のチベット人による自治と文化を回復させようとしたが、亡命政府との交渉が失敗し、更迭後はこの政策は撤回された。
現在においても状況は悪く、中国による弾圧や文化破壊、民族浄化など地域・民族問題は続き悪化している。一刻も早い全容解明が期待される。
なおインドに亡命政権「ガンデンポタン」が存在し、独立(「高度な自治」を要求する場合も)を主張している。ちなみにダライ・ラマ14世は、独立を標榜せず高度な自治を要求している。これは「地政学的、経済的観点からチベットと中国は切り離せない」と猊下が考えているためである。
当然ながら独立派も存在する。2008年のチベット騒乱時では、ガンデンポタン内の独立急進派が、「北京五輪北京オリンピック>前なら中国政府は弾圧しないだろう」と見越してデモを繰り広げたものある。
なお現在、台湾を実効支配する中華民国政府も、チベットを自国領土とみなしている。これは清朝の支配地域が、中国領土だと考えているためである。
なお、チベット独立は日本国内においては反中を標榜する右翼団体によって利用されており、右翼団体に協力する者もいる。
日本の国会に、チベット問題を考える議員連盟が存在する。本議連は反中の立場に沿ったものではない。ダライ・ラマ14世と中国国家主席の対談を要求している。代表は枝野幸男(立憲民主党)。
余談
- 某人気漫画に登場する秘術のようなものがあるのかは定かではないが、東洋武術の発祥地とされることもある。
- ソンツェン・ガンポ王と文成公主の成婚はチベットと中国の和合を象徴する事例として長く尊ばれてきたが、中国共産党はパンチェン・ラマ10世と李潔女医との結婚をその再来のごとく喧伝した。無論、前者のような平和的・和合を重んじたものではないのは明白である。
- 仏教国(チベット人からはそう見えるとのこと)である日本の仏教界と親交が深く、河口慧海をはじめ多田等観、青木文教など多くの僧侶や探検家がチベット入りしている。また、今でも僧侶だけでなく登山家やバックパッカーにとって“聖地”と言える人気を持つ。
関連タグ
中華人民共和国 [[[ブータン]] ネパール インド パキスタン イギリス
キャラクター
ガンデンポタン(チベット国政府。現在はチベット亡命政府)
モンゴル帝国 清朝 中華人民共和国(中国) 新疆ウイグル自治区
チベット自治区、青海省、四川省、甘粛省、雲南省…中国支配のチベット地域