安倍晴明
あべのせいめい
概略
延喜21年(921年)の生まれとされるが、出自は定かでなく、西日本とされる。賀茂忠行・賀茂保憲父子のもと修行し、陰陽道と天文学を学んだ。
天暦2年(948年)に官職に就き、天徳4年(960年)に天文博士となり、村上天皇や花山天皇、藤原道長などの信頼を得て主計権助、左京権大夫、播磨守などの官職を歴任し、位階も従四位下にまで昇った。寛弘2年(1005年)に84歳で没した。
この安倍氏は土御門家とも呼ばれ、晴明一代で陰陽道の名家になれた。
なお先祖に阿倍仲麻呂もいる。
白狐(妖狐)の葛の葉を母に持つと言われ、呪術や祈祷に長け、式神(十二神将)を自在に操ったとされ、数々の伝説を生んだ。ライバルの蘆屋道満とは対決を繰り広げた。
ただ幼い頃から神童として抜群の才能を発揮し、成人前には蘆屋道満を下して弟子とした逸話もあるが、彼が本格的に名声を得たのは40代と当時としてもそれなりに遅咲きであり、皇家の護り刀である七星剣の彫刻の復元と、後の一条天皇となった皇太子の病祓いの祈祷を成功させたことから、藤原兼家の目に止まったことに端を発している。
そして先述通り、陰陽道でも天文による占星術を専攻としており、星読の精度の高さは現代の天文学に匹敵するものだったことが、近年の研究で明らかになっている。
その後兼家の援助を得て、息子の道長の代まで懇意となり、天文博士となって多くの占星術を成して日本の政を陰で支え続けた。
晩年には80歳の老体に鞭打ち、記録的な旱魃に対して夜通しの雨乞いを主催し、見事これを成功させたと伝わっている。
現在、京都市内の晴明神社と大阪市内の阿倍王子神社があり、そこに祀られている。
また奈良県葛城市の阿部(安倍)家の発祥地である安倍文殊院でも仲麻呂と共に夢殿で祀られ、境内の外側には晴明が天体観測に利用したという山際がある。彼の母と噂される妖狐の姫葛の葉御前も、境内の一際高い丘に稲荷神社を置いて祀っている。
後世
様々な古典文学や歌舞伎の演目に取り上げられたが、近代以降は陰陽師の存在とともに影を潜めた。西洋に合わせたグレゴリオ暦の採用と共に陰陽寮は廃止され、土御門家の家業として続いていた陰陽道も衰退することとなる。
だが、荒俣宏の小説『帝都物語』(のちの映画版を含む)で昭和の世に息を吹き返すこととなり、さらにその後に発表された夢枕獏の小説『陰陽師』の大ヒットにより、平成の世に知名度が飛躍的に向上。「安倍晴明」は確固たる地位を築くこととなった。
夢枕版は漫画、映画、ドラマ化もされ、その後の和風ファンタジー系漫画・アニメ・ゲームの世界観にも多大な影響を及ぼすことになった。
外見イメージとしては黒髪に狐を思わせる涼し気な目元と面長の端整な顔、黒の立烏帽子に赤の袖括りの白い狩衣に濃紫または紺色の袴姿が強く、ゲームだと銀色に近い長髪かつ白狐を肩に乗せていることが多い。
一方、家業を失った土御門家では、戦前期に「大日本陰陽会総裁」などを当主が務めたものの、戦後以降陰陽道やそれに類する様々な宗教的な活動からも手を引いている。
更には、最後の男性当主である土御門凞光・範忠兄弟の没後は、範忠の娘が当主を務めるも、近年動向そのものが不明になっているという。範忠没後23年となる2017年には、先祖代々の墓地のある梅林寺とも連絡がつかなくなっているらしく、先祖代々の墓が劣化などにより危機的状況を迎えている。このような中で、日本古来より1000年以上に渡って人文天文学・占星術分野における功績を讃え、天文学や陰陽道の研究者による墓参が行われているという。
「安倍晴明」が登場する作品
各作品の晴明
余談
本筋の伝説かどうかは不明だが、比較的ヒーロー的な扱いをされる安倍晴明だが、婚約者だった延命姫をヤリ逃げしたあげく結果的に殺してしまった話に関しては明らかに加害者であり、延命姫を供養する寺や安倍晴明が罪滅ぼしのために寺籠もりした寺が残っている。