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横綱の編集履歴

2021-03-24 15:03:06 バージョン

横綱

よこづな

大相撲において力士の番付上最高位となる称号。「日下開山」。メイン画像は第47代横綱・柏戸剛。

大相撲において力士番付上最高位となる称号。


2020年3月場所時点での現役の横綱は下記の1名である。

第69代白鵬翔 不知火型、幕内最高優勝44回



概要

特別な地位であり、土俵入りも大関以下の力士と分けられ、「横綱土俵入り」として、太刀持ち、露払いの2力士を従え登場することで知られる。


横綱審議委員会が定める横綱推薦の内規は次のようになっている。


  1. 横綱に推薦する力士は、品格、力量が抜群であること。
  2. 大関で2連続優勝した力士を横綱に推薦することを原則とする。
  3. 第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。
  4. 品格については、協会の確認に基づき審議する。

この基準は1958年に定められたものであるが、その条文の解釈及び運用は時代によって変わっている。特に、双羽黒(横綱昇進前の四股名は「北尾」)を準優勝1回、優勝同点1回で横綱昇進させ、結局優勝を一度もしないままトラブルで廃業となったという事態が発生して以降、鶴竜の昇進以前は2場所連続優勝が事実上の絶対条件となり、第3項の規定は考慮されないに等しい情勢となっていた。


大関以下と比べて、どんなに負け越しても地位が陥落しない、とあるが、実際は最低でも10勝以上挙げることが求められ、9勝以下で終わった時は厳しい批判を受ける場合が多い。負け越すとその進退が問題になる(※)。1958年以降、横綱で皆勤の上負け越したのは大乃国、若乃花(3代)の2例があるが、負け越す前に休場するのが通例であり、貴乃花は膝の大怪我のため7場所連続全休をした事がある(休場明けは優勝次点ではあったが、その次が全休の後、4勝4敗で引退した)。


最近では(品位はともかく)朝青龍、白鵬と好成績を残す横綱が続いているので、成績面では問題とされることは少ない。


※……実際に成績不振により「激励」を決議されたのは、2018年11月場所後、稀勢の里に対してのみである。稀勢の里は翌場所中に引退した。また、引退勧告書を提出されたのは暴行事件を起こした朝青龍(そのタイミングで引退)のみで、前述の大乃国が負け越した時には直ちに引退を申し出たものの、当時の二子山理事長(元横綱・初代若乃花)が「初心に帰ってやり直せ」と一喝し、これを許さなかった。なお、2017年11月に不祥事のため引退した日馬富士に対しては「引退勧告相当」との判断を下している。2020年11月場所後にはここ数年休場が多いとして白鵬と鶴竜に対して初めて「注意」の決議がなされた。


同時昇進の場合

2人以上の力士が同時に横綱に昇進した場合、先に引退した方を先代としている。これは常陸山谷右エ門と2代目・梅ヶ谷藤太郎が同時昇進した時、常陸山を先代としたが、結局は常陸山が先に引退し、これ以降は先に引退した方を先代と位置付けるようにしたためである。

横綱大関

何らかの事情により大関が1名以下になった場合、番付記入上の措置として、時の東西正横綱が大関を兼務する「横綱大関」という表記が為されることがある。直近では2020年3月場所において大関が貴景勝1名となったため、西横綱の鶴竜が横綱大関として番付表に記載された。これは、1981年11月場所、北の湖が「横綱大関」として番付表に掲載されて以降、38年半ぶりのことである。なお、横綱大関となった横綱は、当然のことながら番付表記以外では横綱として扱われる。


引退後

日本国籍を持つ横綱の場合、年寄名跡を持っていなくても引退後5年間は現役時の四股名のまま親方として協会に残る事が出来る。引退後1年を経過すれば、部屋の師匠の了承の下、部屋の新設が許可される。また、功績顕著(優勝20回以上が目安)の横綱の場合は、いわゆる一代年寄として当該横綱一代に限って、現役時の四股名を用いた特別な年寄名跡が与えられる。功績顕著の一代年寄には、大鵬、北の湖、貴乃花がいる。千代の富士は本人の意向により一代年寄を辞退した。


横綱土俵入り

現役横綱の特権及び責務として、幕内力士とは独立して本場所の幕内取組前や巡業に於いて行う土俵入りの儀式である。片屋入りと呼ばれることもある。現在は雲龍型(メイン画像参照)と不知火(しらぬい)型(せり上がる時に両腕を広げる)の二つの型が伝わっている。但し、指導する親方や横綱自身による個人差が見られる。


いずれの型に於いても冒頭に記されている通り、太刀持ち・露払いを従えるが、これを務める力士は同部屋あるいは同じ一門の関脇以下の幕内力士から選ばれることが近年の慣例となっている(大関が務めることが禁じられている訳ではない)。このうち、番付上位の力士が太刀持ちを務める。

 

例えば、日馬富士の場合は、同部屋の兄弟弟子である安美錦と宝富士をそれぞれ太刀持ち・露払いに起用している。白鵬の場合は同じ伊勢ヶ濱一門に属する友綱部屋の魁聖らがこれらを務めていたが、2014年1月場所後の一時期、白鵬の師匠・宮城野親方と、旭天鵬・魁聖の師匠である友綱親方とのトラブルが原因で、太刀持ち・露払いが豊ノ島(時津風部屋:時津風一門)と臥牙丸(木瀬部屋:出羽海一門)に変更される異例の事態になっていた(※1)。2014年3月場所の白鵬の土俵入りについては、魁聖と旭天鵬の組み合わせに戻ると友綱部屋のブログに書かれていたが(※2)、実際に本場所の土俵入りに太刀持ち・露払いとして登場したのは豊ノ島と臥牙丸であった。


横綱の所属部屋以外から太刀持ち・露払いを起用する場合、どちらか一方が横綱と対戦するときは当該力士が、あるいは太刀持ちと露払いの力士で対戦が組まれる時はどちらか一方が、その日に限りその任を外れる。


※1……伊勢ヶ濱部屋、友綱部屋以外の伊勢ヶ濱一門の幕内力士には追手風部屋の遠藤がいるが、当時は大銀杏が結えなかったので、太刀持ちや露払いを務めることが実質的にはできない。白鵬と同じ宮城野部屋の大喜鵬(当時)が幕内に在位していたときも、大銀杏が結えなかったので露払いを務めることができなかった。

※2……友綱部屋ブログ『みんなの部屋』より「土俵入り」


横綱土俵入りの型について

二つの型の内、不知火型は短命横綱のジンクスがあるとして人気がない。事実、不知火型を選択した力士は、現役中に死去した玉の海、30歳を過ぎて昇進し、型の保存の目的で継承した琴櫻と隆の里、全盛期を過ぎていた旭富士(現・伊勢ヶ濱親方)、若乃花勝、トラブルで廃業した双羽黒、日馬富士がいる。


しかし、2007年に横綱に昇進した白鵬が、2017年11月場所終了時点で歴代最多となる40回の優勝を記録、2012年に昇進した日馬富士も引退までに9回の優勝を記録し、この悪いイメージは払拭されつつある。不知火型の横綱が複数同時に在位するのは、白鵬と日馬富士のケースが初めてであるが、2017年11月現在、不知火型の土俵入りを経験した在職中の年寄が伊勢ヶ濱親方(第63代横綱・旭富士)しかおらず、やむなく引退した日馬富士は相撲界を離れ、型の継承が危ぶまれる状態にある。もっとも、現役の不知火型の横綱である白鵬が2019年に日本国籍を取得し引退後に親方として活動する条件である年寄襲名資格を得た。


なお、横綱在位期間(場所数ではない)歴代2位の記録を持つ36代横綱・羽黒山政司も不知火型の土俵入りを行っていた。

  • 現在伝わっているのは上記の二つの型であるが、過去にはこの二つに当てはまらない型の土俵入りをする横綱もいた。また、「雲龍型」と「不知火型」が、かつては逆の型を指していたのではないか、との指摘もあり、今日の定着に至るまで混乱があったようだ。
  • 雲龍型、不知火型両方の土俵入りを経験したのは、北の富士と白鵬である。北の富士の場合は二班に分かれて行われていた巡業中に、別の班で巡業していた横綱玉の海が入院し、急遽玉の海の班に合流して土俵入りを行うことになったが、その際に諸事情で玉の海の綱を使うことになった為である。白鵬は双葉山生誕100周年を記念して大分県の宇佐神宮で行われた奉納土俵入りに際し、双葉山への敬意を表するとして雲龍型の土俵入りを行った。

還暦土俵入り

原則として、引退相撲を最後に横綱土俵入りが出来なくなるが、満60歳を迎えた時に、長寿を祝い赤い綱を締めて還暦土俵入りを行うことがある。健康状態その他の事情によって、赤い綱だけを受け取り土俵入りそのものは行わなかったり、土俵入りが完全なものにならなかったりするケースがある。引退相撲及び還暦土俵入りに於いて、横綱経験者が太刀持ち・露払いを務める場合(このときは二人のうち、先に横綱に昇進した者が太刀持ちを務める)は、自らも綱を締めて土俵に上がる。


主な歴代横綱

  • 常陸山谷右エ門(19代) 大相撲に武士道の精神を持ち込み、地位を高めたことから、「角聖」と称される。
  • 太刀山峯右エ門 (22代)強烈な突っ張りで56連勝を記録した。史上初の還暦土俵入りを行った。
  • 栃木山守也(27代) スピード感ある相撲で近代相撲の創始者とされている。幕内最高優勝9回。引退した6年後に行われた第1回大日本相撲選士権で年寄・春日野として出場し優勝を果たした。
  • 双葉山定次(35代) 年間2場所の時代でありながら、3年以上にわたる69連勝の記録を持つ。連勝をストップさせた安藝ノ海も、後に横綱昇進。幕内最高優勝回数12回。年寄・時津風として相撲協会理事長在職中の1968年に死去。
  • 羽黒山政司(36代) 12年以上(1941年5月場所後より。番付上は11年9カ月)も横綱に君臨し、在位期間は歴代横綱で第2位。ただし、当時は年2~4場所であった為、場所数としては30場所となる。
  • 栃錦清隆(44代) 初代若乃花と一時代を築く。引退後は年寄・春日野として後進の指導に当たり、相撲協会理事長も務めた。定年の僅か1か月前に死去。幕内最高優勝10回。
  • 初代若乃花幹士(45代) 「土俵の鬼」と称され、栃錦と共に一時代を築いた。必殺の呼び戻しは多くの相撲ファンをうならせた。引退後は年寄・二子山として実弟の大関・貴ノ花俊彰をはじめ、隆の里や二代目若乃花(いずれも横綱)を育てた。若乃花勝、貴乃花光司の伯父。幕内最高優勝10回。1988年から92年まで相撲協会理事長。ちなみに、稀勢の里が初めて奉納土俵入りした際に使用した化粧まわしは初代若乃花が現役時代に使用したもの。
  • 柏戸剛(47代) 優勝回数こそ5回に留まるが、大鵬と共に一時代を築く。引退後は年寄・鏡山として後進の指導に当たるも、在職中の1996年に死去。本記事のメイン画像を飾る横綱。
  • 大鵬幸喜(48代) ※柏戸と同時昇進。幕内最高優勝は32回を誇る。土俵上の実績にも拘わらず、引退後に脳梗塞で倒れて車椅子生活となった為、理事長などの要職には就けなかった。国民栄誉賞受賞(2013年、死後追贈)
  • 佐田の山晋松(50代) 「平幕優勝した力士は横綱や大関に昇進できない」というジンクスを破り横綱昇進を果たす。幕内最高優勝6回。引退後は義父の出羽海(元前頭筆頭出羽ノ花)から年寄株を受け継ぎ部屋を継承。関脇・出羽の花、小結・大錦、佐田の海、舞の海などを育てた。特に舞の海に関しては異例の指導を行い、「技のデパート」を開花させたことでも知られる。2017年4月27日、肺炎のため死去。満79歳没。
  • 玉の海正洋(51代) まさに全盛期を迎えようとしていた矢先の1971年10月、虫垂炎の悪化により27歳で死去。大鵬の引退相撲直後の悲劇であり、同時昇進した北の富士も、当初は訃報を信じなかったという。幕内最高優勝6回。
  • 北の富士勝昭(52代) 2014年11月現在、十両と幕内の双方で全勝を達成した唯一の力士。引退後、九重部屋の師匠として千代の富士と北勝海の2横綱を育てた。現在はNHKの解説者としておなじみ。幕内最高優勝10回。 ※玉の海と同時昇進。
  • 輪島大士(54代) 日本大学在学中に学生横綱となり、卒業前に花籠部屋に入門。「黄金の左」と言われた腕力の強さを武器として横綱として君臨、北の湖と「輪湖時代」と呼ばれる名勝負を演じた。引退後、花籠を襲名したが借金問題を起こし相撲協会を退職、プロレスラーに転向、ラグビーの監督も務めるなど数奇な運命をたどっている。2018年、70歳で死去。幕内最高優勝14回
  • 北の湖敏満(55代) 後に相撲協会理事長、北の湖親方(一代年寄)。21歳2か月での横綱昇進は2016年現在も最年少記録である。輪島とは「輪湖時代」と呼ばれる名勝負を演じた。「憎らしいほど強い横綱」と評されたが、横綱として高い矜持を持ち続けていた。2015年11月、九州場所13日目に理事長在職のまま62歳で死去。横綱在位場所数は歴代2位の63場所。幕内最高優勝24回
  • 千代の富士貢(58代) 渾名は「ウルフ」。若いころは脱臼癖に悩まされていたが、腕立て伏せなどの筋トレで克服した後は一気に番付を駆け上がり、ウルフフィーバーを巻き起こした。その後は53連勝、幕内通算807勝、生涯勝利数1045勝の大記録を打ち立て、昭和最後の大横綱として記憶されることとなった。角界で初の国民栄誉賞受賞(1989年)。幕内最高優勝31回。躍進著しい貴花田(後の65代横綱・貴乃花)に敗れ、その2日後に引退。引退後は年寄・陣幕を経て九重を襲名し、大関・千代大海(現・九重親方)をはじめとして、小結・千代大龍、小結・千代鳳など、数々の関取を育て上げたが、2016年7月に膵臓がんのため死去。
  • 隆の里俊英(59代) 幕内最高優勝4回。若い頃の不摂生が祟り糖尿病を発症。その苦しみに耐えながら30歳11ヶ月で遅咲きの横綱昇進を果たし、「おしん横綱」と呼ばれた。引退後は年寄・鳴戸を襲名して稀勢の里若の里隆乃若らを育て上げたが、稀勢の里の大関昇進直前に59歳で急死した。
  • 双羽黒光司(60代) 幕内最高優勝経験の無いまま昭和61年(1986年)秋場所で昇進。「仮免横綱」とも揶揄されたが、一時は千代の富士の「一人横綱」状態を解消できるものと期待された。しかし在位8場所の末に親方夫婦とトラブルを起こし、半ば角界追放同然に廃業した。この一件以降、横綱昇進には2場所連続優勝またはそれに準ずる成績を収めるという条件が課せられることとなった。2019年2月10日、慢性腎不全のため55歳で死去。
  • 北勝海信芳(61代) 幕内最高優勝8回。千代の富士の弟弟子であり、彼との激しい稽古を重ねて横綱に昇進した。また、一度だけ千代の富士と優勝決定戦をしたことがある(これについて二人は「もう二度とやりたくない」と語っている)。現・八角親方、相撲協会理事長。
  • 大乃国康(62代) 幕内最高優勝2回。当時好調だった九重勢(千代の富士・北勝海)の活躍に押され、また、睡眠時無呼吸症候群による体調不良も相まって、何度も終盤まで優勝争いには加わるも昇進後の優勝は1回に止まった。引退後は自身が大のスイーツ好きであることを公言し、親方業とともにタレントとしても活動。また稀勢の里が72代横綱に昇進した際には雲龍型の土俵入りを指導した。現・芝田山親方。
  • 旭富士正也(63代) 平成初の横綱。幕内最高優勝4回。得意は右四つ、寄り、すくい投げ。引退後は横綱・日馬富士、大関・照ノ富士、関脇・安美錦、関脇・宝富士など多くの関取を育てている。ユーモアのある人物だが、非常に厳しい親方としても有名。ネットでは「組長」と呼ばれていることもある。現・伊勢ヶ濱親方。
  • 曙太郎(64代) 幕内最高優勝11回(ただし全勝優勝が一度もない)。初の外国籍横綱(帰化は1996年)。
  • 貴乃花光司(65代) 平成の大横綱の一人。幕内最高優勝22回。引退後は一代年寄として貴乃花をそのまま襲名していたが、2018年9月に相撲協会を退職。
  • 若乃花勝(66代) 貴乃花光司の兄。幕内最高優勝5回(但し、横綱昇進後は優勝していない)。現在は「花田虎上」名義でタレントとして活動。
  • 武蔵丸光洋(67代) 外国出身ではあるが、横綱昇進は日本国籍取得後である。幕内最高優勝12回。現・武蔵川親方。
  • 朝青龍明徳(68代) 帰化せずに引退した最初の外国出身横綱。幕内最高優勝25回
  • 日馬富士公平(70代) 幕内貴ノ岩への暴力問題の責任を取り引退。現役中に日本国籍を取得できなかったために親方にはなれず、現在は伊勢ヶ濱部屋のコーチとして協会に残っている。幕内最高優勝9回。
  • 鶴竜力三郎(71代) 幕内最高優勝6回。現役引退直前に5場所連続休場。再起を図ったが叶わなかった。尚、横綱は現役時代の四股名で5年間相撲協会に残る資格があるため(2020年12月に日本国籍取得済み)、当面は鶴竜親方を襲名して後進の指導にあたる。
  • 稀勢の里寛(72代) 幕内最高優勝2回。昇進直後の2017年3月場所13日目で日馬富士と対戦した際、左大胸筋と上腕二頭筋を負傷。同場所は何とか優勝し連覇を果たしたが、この傷が後の相撲人生に大きく影を落とすこととなった。現・荒磯親方。

創作作品に登場する架空の横綱

  • 播磨灘勲 漫画『ああ播磨灘』の主人公。破天荒な人物で角界の伝統を尽く批判し第1話より一度でも負けたら引退すると言い放ち作中で連勝街道を続ける。
  • 太刀風貢 漫画『ああ播磨灘』に登場。「平成の双葉山」と呼ばれる大横綱で千秋楽にて播磨灘に立ちふさがる。
  • 北道山剛 漫画『ああ播磨灘』に登場。角界一の怪力を持つが播磨灘に敗れたのを恥じて自ら名誉大関に降格した。
  • 大江川康 漫画『ああ播磨灘』に登場。作中で唯一播磨灘との対戦で水入りに持ち込むが播磨灘相手に連敗を続けて廃業した。
  • 大和国清一 漫画『火ノ丸相撲』に登場。作中では既に引退し一代年寄大和国親方となっている。幕内優勝回数は31回を誇る。
  • 刃皇 漫画『火ノ丸相撲』に登場。モンゴル出身で通算優勝数が40回を超える大横綱。
  • 泡影 漫画『バチバチ』に登場。作中における第72代横綱でモンゴル出身で日本人を母親に持つ。

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