概要
(1991年3月12日~2014年8月18日)
馬主:大樹ファーム
所属:藤沢和雄厩舎
通算戦績:23戦6勝
主な勝ち鞍は安田記念、産経大阪杯、京王杯スプリングカップなど。
父は無敗アメリカ三冠馬にして大種牡馬シアトルスルー、母はツリーオブノレッジ(母父は凱旋門賞でニジンスキーを破ったササフラ)という超良血。
半兄にブリーダーズカップ・ターフなどアメリカGⅠで6勝を挙げたシアトリカルがいる。
雄大な黒鹿毛の馬体、風格ある容姿を備え、1990年に発足したばかりの大樹ファーム初のGⅠ馬となる事を期待されたが、好走するもツメが甘くシルバーコレクターと呼ばれた。
海外遠征を行うも結果は出なかったが、藤沢厩舎の遠征ノウハウを築きタイキシャトルの快挙に繋がったとされる。
略歴
誕生より
1991年3月12日、H&Yブラッドストック(アメリカ)で誕生し、大樹ファームが購入。大樹レーシングにより総額8000万(100口募集)で募集された。
1994年
2月14日、東京競馬場の新馬戦(ダート:1400m)でデビューし圧勝。2着は後にアメリカジョッキークラブカップで勝利するカネツクロスだった。
3月6日、中山競馬場の500万下(ダート:1800m)で圧勝。2着は1996年にJRA賞年度代表馬となるサクラローレルだった。
3月27日、阪神競馬場の毎日杯(GⅢ)で初の重賞挑戦。メルシーステージにクビ差で敗れ2着。腰部不安のため休養に入る。
7月3日、福島競馬場のラジオたんぱ賞(GⅢ)に出走するが、ヤシマソブリンの2着。
7月30日、札幌競馬場の道新杯に出走するが、ワコーチカコの4着。
8月21日、札幌競馬場の函館記念(GⅢ)に出走するが、ワコーチカコの2着。
10月9日、福島競馬場の福島民報杯に出走するが、ヤシマソブリンの4着。
1995年
4月23日、福島競馬場の谷川岳ステークスで1着。
5月14日、東京競馬場の安田記念(GⅠ)に出走するが、ハートレイクの3着。
6月4日、京都競馬場の宝塚記念(GⅠ)に出走するが、ダンツシアトルの2着。その後、秋まで休養に入る。
11月12日、東京競馬場の富士ステークスに出走するが、フジヤマケンザンの2着。
11月26日、東京競馬場のジャパンカップ(GⅠ)に出走するが、ランドの4着。
12月24日、中山競馬場の有馬記念(GⅠ)に出走するが、マヤノトップガンの2着。
1996年
3月24日、後輩のタイキフォーチュンが毎日杯で大樹ファーム最初の重賞勝利を挙げる。
3月31日、阪神競馬場の産経大阪杯(GⅡ)で1着。自身初の重賞勝利を挙げる。
5月11日、東京競馬場の京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走するが、ハートレイクの3着。
5月12日、後輩のタイキフォーチュンがNHKマイルカップで大樹ファーム最初のGⅠ勝利を挙げる。
6月9日、安田記念に出走するが、トロットサンダーの2着。北米への遠征が決定。
10月26日、ウッドバイン競馬場(カナダ)のブリーダーズカップ・クラシック(GⅠ)に出走するが、アルファベットスープの13着。良いところなく最下位に終わる。遠征の疲労でやつれ果てた姿となる。
1997年
5月10日、体調が戻り京王杯スプリングカップに出走。レコード勝ちをおさめる。
6月8日、安田記念で1着。自身初のGⅠ勝利を挙げる。
7月6日、宝塚記念に出走するが、マーベラスサンデーの4着。昨年に続き北米への遠征が決定。
10月18日、サンタアニタ競馬場(アメリカ)でオークツリー・ブリーダーズカップ・マイルハンデキャップ(GⅢ)に出走するが、ファンタスティックフェローの3着。
11月8日、ハリウッドパーク競馬場(アメリカ)でブリーダーズカップ・クラシックに出走するが、スキップアウェイの6着。
12月21日、有馬記念に出走するが、シルクジャスティスの9着。これを最後に引退が決まった。
引退後
1998年、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションとレックススタッドを2年おきに移動する国内シャトル種牡馬となる。初年度産駒からヤマノブリザードを輩出。しかし成績は年々低下し、3年目以降はほとんど中央勝ち馬を出すことができなかった。
2005年、種牡馬を引退し、日高ケンタッキーファーム(門別町)に繋養される。
2009年、日高ケンタッキーファームが閉場し、特定非営利活動法人ホーストラスト(鹿児島県)へ移動。
2014年8月18日、疝痛を起こし死亡。死因は胃の破裂であった。