プロフィール
父ステートジャガー
サンシャインボーイの代表産駒で南関東・東海公営に移籍を経て中央競馬に移籍した。移籍初戦のマイラーズCで2着、サンケイ大阪杯ではミスターシービーにハナ差で勝利し宝塚記念に挑むも4着に終わった…が、レース後のドーピング検査でカフェインが検出されてしまう。以降は一走も出来ないまま引退。種牡馬になったものの目立った活躍馬も出せないまま引退。乗馬となった…はずだった。
母マミーブルー
73世代の一頭で現役時代には京成杯3歳S(現京王杯2歳ステークス)を勝利。繁殖牝馬としてはメルシーステージの他にも1991年の日経新春杯を制し、次走の産経大阪杯で骨折し予後不良となったメルシーアトラを送り出している。また、一族には1988年の日本ダービーで逃げに逃げまくった「最後のテレビ馬」ことアドバンスモア、2004年の中山大障害を制したメルシータカオー、2010年の中山グランドジャンプに勝利したメルシーモンサンがいる。
戦績
(馬齢表記は旧年齢表記)
3歳時(7戦1勝)
1993年8月7日に函館競馬場で行われたダート1000mの新馬戦でデビューし2着。3戦目で勝ち上がるも勝ち切れないレースが続いた。
4歳時(11戦4勝)
4連勝でクラシックへ
1月29日に阪神競馬場で開催されたこぶし賞でエイシンワシントンを封じて2勝目を挙げる。次走のバイオレットSではフジノマッケンオーに4馬身差で勝利し2連勝。重賞初挑戦となるアーリントンカップではエイシンワシントンを再び封じ重賞初勝利を飾った。続く毎日杯ではタイキブリザードの追撃を振り切り、レコードで4連勝を飾りクラシックに歩を進める事となる。
牡馬クラシックに挑むも…
4連勝の実績を買われて皐月賞では4番人気に押されるも13着、日本ダービーでは13番人気で17着に終わった。いずれのレースも勝利馬はナリタブライアン、もはや相手が悪すぎたとしか言い様がなかった。そして父であるステートジャガーの存在が注目を集めるようになる。後に奇跡的に去勢されずに生存していたことが判明し種牡馬に復帰した。だが、メルシーステージの成績はこの頃完全に頭打ちの状態に陥ってしまった。
中距離路線への転身
神戸新聞杯ではスターマンの2着と奮戦するも京都新聞杯では5着。中距離路線を歩むことになったメルシーステージの最大目標は天皇賞(秋)に定められたがネーハイシーザーの10着に敗れ去った。次走の愛知杯(当時は父内国産馬限定重賞)では1番人気に押されるも6着に終わる。
5歳時(2戦0勝)
年明けの金杯、中日新聞杯(当時父内国産馬限定重賞)とも6着に敗れる。
6歳時(8戦0勝)
洛陽S、小倉大賞典とも2桁着順に沈んだが、2年連続の出走となった中日新聞杯で7番人気ながらも2着となった。しかしこれが最後の1桁着順となった。以降は出走するたびに2桁着順の大敗を繰り返すようになってしまった。
7歳時(1戦0勝)
約1年ぶりのレースはダート1200mの栗東ステークスだった。4歳時に走って以来のダート戦だったが12頭立ての11着、そしてこれが最後のレースとなった。
引退後
特に決まっていなかったが青森の牧場主が身元を引き受け種牡馬に転身したものの、元来の体質の弱さが災いし供用実績がないまま亡くなっている。前後して父であるステートジャガーも供用停止となり以降の行方は分かっていない。