概要
中央競馬では朝日チャレンジカップ(1985年)などに勝利したが、故障により地方競馬に移籍。東海菊花賞(1987年)、名古屋大賞典(1987年)、サマーカップ(1988年)などの重賞に勝利した。
種牡馬として地方競馬に数多くの活躍馬を輩出し、NAR特別表彰馬となる。
プロフィール
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
父 | ロイヤルスキー |
母 | オキワカ(母父:リマンド) |
生産者 | 吉田牧場(早来町) |
馬主 | 小塚美近 |
調教師 | 戸山為夫(栗東)→ 桑野進(金沢)→ 荒川友司(笠松) |
生涯成績 | 27戦13勝(中央:18戦6勝、地方:9戦7勝) |
略歴
1981年
4月25日、吉田牧場に誕生。吉田牧場代表の吉田重雄は社台ファームの吉田善哉のはとこに当たる。
父・ロイヤルスキーはアメリカで種牡馬としてスキーゴーグルなどを輩出した後1979年に日本へ輸出され、日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬として供され、アグネスフローラ等を輩出した。母・オキワカは桜花賞馬・ワカクモの産駒。半弟にワカテンザン、叔父にテンポイント、キングスポイントがいる。
オキワカを吉田牧場と共同所有していた小塚美近に購入され、小塚と共に牧場を訪れていた荒川友司調教師は仔馬に素質を感じたものの、笠松競馬場の賞金では元が取れないので中央競馬の厩舎へ預けるよう進言し、オキワカの管理調教師であった戸山為夫調教師の厩舎に入厩することとなる。
1983年
11月12日、小島貞博騎手を鞍上に京都競馬場の新馬戦(芝1400m)でデビューし、ヘンリーシンボリの3着に敗れた。
11月27日、小谷内秀夫騎手に乗り替わり京都競馬場の新馬戦(芝1400m)に出走し、メジロトーマスの3着に敗れた。
12月11日、中京競馬場の未勝利戦(ダート1000m)に出走し初勝利。
1984年
1月5日、福寿草特別(400万下)に出走しオサイチフォンテンの2着に敗れる。故障により休養に入る。
11月4日、小島貞博騎手に乗り替わり京都競馬場の条件戦(400万下)に出走。10ヶ月ぶりの復帰戦で1着となる。
11月18日、逢坂山特別(400万下)に出走し1着。
11月25日、花園特別(900万下)に出走し1着。
12月16日、小谷内秀夫騎手に乗り替わりセントウルステークス(オープン)に出走しパワーホーラーの2着に敗れる。
1985年
1月15日、小島貞博騎手に乗り替わり北山特別(オープン)に出走しワンダービクトリーの3着に敗れる。
2月3日、中京記念(GⅢ)で重賞初挑戦。パワーシーダーの6着に敗れる。故障により休養に入る。
8月4日、半年ぶりに復帰。小谷内秀夫騎手に乗り替わり函館競馬場の条件戦(900万下)に出走しラッキーダイカツの3着に敗れる。
8月18日、函館競馬場の条件戦(900万下)に出走し1着。
9月15日、朝日チャレンジカップ(GⅢ)に出走しニシノライデンの2着に入線するが、ニシノライデンが斜行により失格となり繰り上がりで重賞初勝利となる。
10月6日、小島貞博騎手に乗り替わり毎日王冠(GⅡ)に出走しゴールドウェイの5着に敗れる。
10月27日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走しギャロップダイナの8着に敗れる。
11月17日、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)に出走しニホンピロウイナーの6着に敗れる。故障により休養に入る。
1986年
6月22日、7ヶ月ぶりに復帰。高松宮杯(GⅡ)に出走しラグビーボールの2着に敗れる。
7月6日、金鯱賞(GⅢ)に出走しイズミスターの4着に敗れる。脚の状態が思わしくなく、小塚は荒川に笠松への転籍を打診し、荒川もこれを受け入れた。荒川はワカオライデンを自宅裏に置いて療養させた。
1987年
脚が完治するが、笠松転入から4カ月以上休養した馬はレースに出走できないという規定により、金沢競馬場で再出発を図る事となる。
7月7日、吉井敏雄騎手に乗り替わり金沢競馬場のA特別で1年ぶりに復帰し1着。
8月30日、金沢競馬場のA特別に出走しコクセイピユーマの3着に敗れる。
9月27日、金沢競馬場の白山大賞典に出走し1着。笠松競馬場へ転籍。
10月14日、井上孝彦騎手に乗り替わり中京競馬場のゴールド争覇に出走し1着。
12月2日、名古屋競馬場の名古屋大賞典に出走し1着。
12月13日、笠松競馬場のウインター争覇に出走し1着。
12月30日、笠松競馬場の東海ゴールドカップに出走しフェートノーザンの2着に敗れる。故障により休養に入る。
1988年
7月27日、7ヶ月ぶりに復帰。笠松競馬場のサマーカップに出走し1着。ジャパンカップ出走を目標に、地方代表馬を選定するサンケイオールカマー(GⅢ)へ出走することとなる。
9月15日、左前脚を骨折し引退(9月18日のオールカマーは同期のスズパレードが1着)。
1989年
生まれ故郷の吉田牧場に帰り種牡馬となる。マイナーな種牡馬の仔はどんなに優秀でも見向きもされないため、ワカオライデンの血統を残したかった荒川は「生まれたワカオライデン産駒は全部買う」と宣言し繁殖牝馬を集めた。「ワカオライデンの仔で荒川厩舎はひっくり返る」と噂が立った。
1992年
サブリナチェリー、ツキハシレ、ライデンスキーらワカオライデンの初年度産駒がデビューから快進撃を続け、笠松の重賞を席捲する。
1995年
3年目産駒のライデンリーダーが笠松所属のまま中央重賞(報知杯4歳牝馬特別)に勝利。ワカオライデンは地方競馬と繋がりがある生産者の間で人気種牡馬となり、1997年、1999年にNARリーディングサイアーとなった。
2005年
種牡馬を引退。引き続き吉田牧場で功労馬として繋養される。
2007年
9月21日、老衰のため死亡(26歳)。
2008年
種牡馬としての功績を称え、NARグランプリ2007で特別表彰された。