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秋葉原通り魔事件の編集履歴

2023-09-07 08:30:38 バージョン

秋葉原通り魔事件

あきはばらとおりまじけん

2008年6月8日に発生した、戦後最悪の通り魔殺人事件。

概要

2008年6月8日12時30分頃、当時25歳だった派遣社員の男が東京都秋葉原の中央通りで、レンタカートラックで信号無視をして人を轢き、さらにはダガーナイフを使って人を殺し、7人が死亡、10人が負傷した事件。最終的には旧サトームセン(現:セガ秋葉原3号館)で逮捕された。


この時中央通りは日曜日の日中で車の侵入が禁止された歩行者天国の時間帯だったため、それを逆手に取った大量殺人となった。


裁判の結果、男は2015年に死刑判決を受け、2022年7月26日午前に執行された。39歳没。


元死刑囚の男

1982年9月28日、青森県五所川原市出身。

銀行員の夫婦の間に生まれた。弟がいた。


母親は地域の教育アドバイザーを勤めていることや、後述する過去の経緯から徹底した学歴至上主義で、幼い頃から息子達にエリート志向の教育を叩きこむ毒親であった。

その教育方針は常軌を逸しており、ゲーム漫画アニメといった娯楽は元より、友達との付き合いから女子との交流まで厳しく制限した。

勉強に関しても、間違いやミスがあるとヒステリックになり、時には虐待も加えた。


実は母親は県内トップの高校に入学したものの、親から国公立に進学先を限定された大学受験に失敗したことで不本意ながら高卒で就職した過去があった。

そこから生まれた強烈な学歴コンプレックスを息子に叩きつけていたのである。

男の弟も、母親を「自分が常に正しいと思い込んでいる人」と酷評している。


おかげで男の学業成績は優秀だったが、この教育の反動も発現し、中学校では普通に友人関係は構築していたが、時折暴力的な衝動や過剰適応的な側面を見せるなど、精神的な不安定さが露になる。

高校は母親と同じく県内トップの学校に進学するも、母親に十分に逆らえる年齢になったことで以降は反抗的になり、成績も急降下。

母親が望んでいた北海道大学への進学は叶うはずもなかった。


2001年に高校卒業後は自動車短大に進学。成績上位者は大手自動車会社に就職する事も多い立派な大学だったが、犯人は勉学を励む意欲は無く、自動車整備の資格などを取得せずに惰性で卒業。

2003年には非正規雇用警備員となった。

しかし、2年後に職場の不満への抗議として無断欠勤し、そのまま退職。


以降、非正規雇用の職を転々としては「職場への不満により無断欠勤し退職」という流れを繰り返した。

2007年にはトラック運転士として晴れて正社員になるも、やはり無断欠勤からの退職となった。

この頃から、インターネット掲示板にのめり込むようになり、自虐ネタでスレッドを立てては掲示板上での交流を楽しんだ。


2008年には男を茶化す目的でなりすましの荒らしが現れるようになり、これが彼の感情を逆撫ですると同時に、周りが自分に構ってくれないことへの不満を募らせた。

この孤独感がエスカレートした結果、掲示板に殺人を仄めかす書き込みをするようになる。


そして事件当日、静岡県沼津市で借りたレンタカーの2トントラックで秋葉原へと向かう。

事件を起こすまでに実況のように複数回の書き込みを残し、最後は「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」「時間です」と書き込み、凶行に走った。

   

以下、犯行前の書き込み内容。

「生活に疲れた」「誰でもいいから殺したかった」

「殺すために秋葉原に来た」「友達ほしい。でもできない なんでかな」

「勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らない あはは」

「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし、難しいね」

「やりたいこと・・・殺人」「夢・・・ワイドショー独占」


動機

犯行動機はネット掲示板でのトラブルを発端とする抗議であった。

先述の無断欠勤と退職が示す通り、彼は激情を言葉ではなく態度で周囲に表す傾向があった。

事実、彼は「事件は起こさざるを得なかった」「誰でもいいからやった」と述べており、職場を辞め、唯一の居場所となった掲示板を荒らされた際の怒りと孤独感から衝動的に事件を起こしたものと推察される。


男が派遣社員であったことから、メディアでは当時流行していた派遣切りと絡めて社会情勢に動機を求める向きが強かったが、これを男は明確に否定している。

また、ネットでは彼を「社会に一矢報いた負け組のヒーロー」扱いする声もあったが、これに対しても「自分の努力不足を棚に上げて勝ち組を逆恨みするその腐った根性は不快です」「事実ではないことを事実だと信じる者の相手をするのは、とても疲れますよね?」と拒否反応を示している。


一方で、上記の発言は自分の発言が世間に再注目されたいと思い言い放った屁理屈とも取られ、「自分がネット掲示板を引き付けるだけの努力をして来なかったのを、周りのせいにしているだけ」とも言われており、一種のブーメランとも言える。

仮に跳ね返ってきた所で、獄中の様子から痛くも痒くも無い様だったが。


事件後、遺族に対しては反省の意を見せており、「(自分の罪が)万死に値する」などと記していたものの、それ以上に深い反省を語ったり、人と面会したりすることはなく、獄中では著書執筆の他、艦これのパズル作成やラップ制作など芸術活動に時間を充てていたという。


2022年7月26日、死刑執行。

本人は「世の中が嫌になった」と事件を起こしたが、自分が死刑にされるのは嫌なようで何度も再審を繰り返していたり、絞首刑に対して「目隠しして手足を縛るのは非道徳的で、人間としての尊厳を奪うものだと感じます。なんで人が死ぬ事で喜ぶ人がいるのか理解できない。」と述べていた。お前が言うな



被害者・遺族からのコメント

「17人も殺傷したお前にとって死刑は楽な死に方だ。お前に同じ苦しみを味あわせてやりたい。お前は頭はいいのかもしれないが、人間としては最低だ。掲示板でいやな思いをしたといっても、世間の人は皆いろいろなことを我慢して生きているんだ。」


「手紙には、『(私の罪が)万死に値する』とありました。鬼畜のような心から、人間らしい心を取り戻して、死をもって償うのはいいこと。でも、報道を見聞きしている限り、彼は人生の挫折を自分のせいではなく、自分が置かれていた環境や周囲のせいにしているように思えます。」


二次災害

事件後、被害者家族だけでなく、加害者家族にまで被害が及んだ。

両親は離婚。父親は会社を辞め、母親は精神に異常をきたして入院したと言われる。

祖母は孫が起こした凶行に衝撃を受けて心労のあまりに亡くなっている。


弟はマスコミに職場や住まいなどを特定され追い回され、何度引っ越しや転職をしてもそれは続いたという。

つまり、事実上のパパラッチが行われていたのである。

奇しくも、兄と同じく「嫌になったら欠勤・退職」を繰り返していたとも言える。


弟は、交際していた彼女に打ち明けられずにいたが、普段は飲まないの力を借りて彼女に事を打ち明けると「あなたは、あなただから関係ないわ」と受け止められ、お互いが心を開いて話せる相手として希望が生まれていた。


月日は流れ、結婚まで進もうとしていた時に、彼女の両親が猛反対し関係が危うくなった。

その時、イライラしてしまっていた彼女に「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は!」と暴言を吐かれたことで悩みに悩んで


「僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました。これも、いま思えば間違いでした。僕はいつのまにか、兄と同じ道を辿り始めていたのです。」

「あれから6年の歳月が流れ、やはり自分は【犯人の弟】であることを思い知りました。」

「兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ。」

「【加害者の家族というのは、幸せになってはいけない】というのが実際のところです。」

「突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある」

「僕は、生きることを諦めることにしました。死の理由に勝る、生きる理由が浮かんでこない。どんなに考えても、浮かんできません。もし、浮かんできたのなら教えてください。」


とコメントし、事件から6年後の2014年に手記を残して自殺してしまった。


これに対し父親は

「弟がみずから逝ったことは、どうにもできなかったことですから・・・・・・。私が言えるのは、そっとしておいてほしい。それだけです。」

とコメントしている。


影響

この事件を受けて、秋葉原の中央通りはしばらくの間歩行者天国を封印されることとなった(3年後の2011年に解除)。


なお、この事件が発生する前の中央通りとその周辺は様々な違法行為や迷惑行為(無許可の出店、アングラパーツの不正取引、募金詐欺、無届けのデモやライブ、パフォーマンス行為、エウリアンメイド喫茶の執拗な客引き、果ては迷惑コスプレイヤー達によるエアガンを用いた歩行者天国内での銃撃戦まで発生したことがある)が横行しており、半ば無法地帯と化していたのだが、皮肉なことにこの事件とそれに伴う歩行者天国の休止、それと警備の強化により大半が一掃され、治安が向上する結果となった。


2015年に放送されたTVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険スターダストクルセイダーズエジプト編』では、原作に暴走した車が通行人を次々と轢き殺すというこの事件を彷彿させるシーンがあったため、アニメ化にあたり直接的な描写が省略された。


加害車両の所有者であるニッポンレンタカーには、被害者のうち死因が轢殺であると認められた被害者の遺族および轢断による負傷が認められた被害者に対し、道路交通法上の「運行共用者責任」に基づき、賠償義務が発生した。

これは、被害者救済の観点からレンタカー事業者に課せられている無過失責任であるため、運転者の故意であるからといってその責任は逃れられない性質のものである。

無論、むしろ被害者であるレンタカー会社が損害を被ることを余儀なくされる謂れもないため、法的にはレンタカー会社には被害者に対して立て替えた賠償金を、後日加害者に請求する権利は行使できるものの、改めて裁判を起こす必要があるなど負担が大きく、加えて支払い能力も期待できない。

この事件への反省を受けて、国内の大手レンタカー事業者は商用車の貸し出しについて、予約なしでの貸し出しを完全拒否、またその予約は電話予約以外の方法を認めず、予約時に利用目的を申告させる、料金の支払いに関してはクレジットカードによる前払いに限定するといった自衛策を講じることとなったため、レンタカーで商用車を運転するハードルが著しく上昇した。


余談

  • 男は獄中から実名で複数の著書を出版している。内容は自己の内面、犯罪を起こした際の心理についての分析が主になっており、家庭や労働の環境などを犯罪要因として否定した上で、「秋葉原無差別殺傷事件の全責任は私にあります。」「私は事件は防げるものだと思っています。ただし"誰かが何とかしてくれる"ものではありません。"自分で何とかする"ものです。」「あと、「誰か」がいれば事件は起こさなかった、というのは、それ以上でも以下でもない事実であり、それを勝手に「俺を止めなかったお前らが悪い」と脳内変換するのはやめて下さい。」等と述べている。
    • その一方で、先述のラップには自らの家庭環境や境遇の悲惨さを記したり、獄中で「鬱」という文字で構成されたアートを描いたりするなど、「どこかで周囲の環境に責任を追わせているのでは?」と感じられる側面も見せている。
    • また、中には東拘永夜抄なるタイトルの書籍もあり、元ネタのファンから顰蹙を買った。
  • 男の犯行動機となった、不満を態度で表すという性格は、母親の教育の影響だったとされる。母親は勉強でミスを見つけても、具体的に何がどう間違っているかを教えず、黙って道具や男に八つ当たりすることで「何で自分が怒ってるのか」をまず考えさせた
    • 男曰く九九を間違えたら風呂に沈められた」「耐えきれずに泣くと口にタオルを詰め込まれた」とのこと。結果的に、その教育方針を忠実に吸収した男から、同じ方法でしっぺ返しをくらったのは皮肉とも必然と言える。毒親という概念が広まった現在では、その被害事例として語られることも多い。
    • 一方、男の大学進学拒否に続き、弟が高校を自主退学したこと、男が自殺未遂を起こしたことをきっかけに、ようやく自分の教育が間違っていたことを自覚し、息子二人に自分の厳しすぎる教育について謝罪している。その後も自殺に失敗し、退職後自宅に戻ってきた男を受け入れたり、退職で支払えなくなった男の車購入時の借金を完済したりするなど、最大限男へのサポートを行っていた。男自身、母親の和解の意を拒絶することはなく、歩み寄りの姿勢を見せていたという。
  • 男は掲示板で自らのことを「負け組」や「不細工」などと称していたため「負け組の代名詞」として見られることも多いが、実際はそんなこともなく、地元、職場、ネットに至るまで多数の友人がいた。自分でオフ会を開いたり、彼女を作ったり、果てには自分の容姿を周りを笑わせるためのネタにするなど、おおよそコミュ障とはかけ離れた姿を見せている。また、職場の勤務態度も、追い詰められた時の癇癪や無断欠席癖を除けば、概ね真面目であったと伝わっている。
    • ただ、これらの性質に関して男は「私は、誰かのために何かをし、評価をされなくては、生きていけない人です。正確には評価をされ続けなくてはいけないということです。評価が途切れると、急に不安になります。」と振り返っており、どこか歪んでいたことは明らかである。
    • 一方、事件を起こす周辺では女性関係に困っていたことも見受けられている。仲良くなった女性から肉体関係を拒絶され、その後に退職してまで遠方の女性とのオフ会を決行するなど異常なまでの女性への行動力を見せており、本人は犯行要因として否定しているものの、少なくとも孤独感を深める要因となったのではという推察もある。

外部リンク

秋葉原通り魔事件- -Wikipediaの項目


関連タグ

アキバ 歩行者天国 毒親

無差別殺人 凶悪犯


  • 炎神戦隊ゴーオンジャーゴーオンウイングスの武器「ロケットダガー」が、この事件の影響によって「ロケットブースター」へと名称変更された。
  • 相模原障害者施設殺傷事件:秋葉原通り魔事件の8年後に起こった大量殺人事件。奇しくも、男の死刑執行日が、この事件の起きた7月26日となった。
  • 近畿青酸連続死事件/後妻業事件:犯人ではなくその母と同様のケースの犯人が引き起こした事件。この事件の犯人は地域トップの進学校に進みながら大学に進めず高卒で不本意ながら就職していることが遠因の一つとなっている。
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