ナポリタン
なぽりたん
概要
スパゲティにトマトケチャップと具を絡めて炒め合わせて作る洋風料理。
具はハム、ベーコン、ソーセージ、タマネギ、ピーマンなどを用いる事が多い。
赤(ケチャップ)・緑(ピーマン)・白(タマネギ)という彩りはイタリアの国旗をイメージしたものと言われる。ある意味マルゲリータインスパイアかも知れない。
麺もアルデンテではなく、茹で置きの柔らかくもっちりした食感のものが使われる。喫茶店の定番メニューであり、お子様ランチにもよく登場する。
スパゲティを用いているが、後述の通りイタリア料理とは直接関係がない料理である。ちなみに大阪、名古屋など、同様の料理をイタリアンと呼んでいた(る)エリアもあり、ナポリタン自体が東京ローカルでの呼び名でもある。
元はフランス料理の付け合わせの一品
大正以前の日本でもナポリタンという料理は知られていたが、それはイタリア料理ではなく、フランス料理のガルニ(付け合わせ)として。大正時代の日本の洋食レシピ本にはトマトソースを使った「ナポリテーヌ」(ナポリタンのフランス語読み)のレシピが記載されており、その頃からナポリタンというパスタ料理が知られていたことがわかる。ただこのソースはパスタに和えるものであり、今のような炒め合わせる調理法ではなかった。このトマトソースはベーコンやブイヨンでコクのある味に仕立て、ローリエなどで風味付けをするフランス流のものである。
ただ、付け合わせだったナポリタンがいつごろ一品料理として自立し、トマトソースからトマトケチャップを使うものになったのかははっきりしない。食通で知られる古川ロッパは、昭和9年に日本橋の三越食堂でナポリタンを食べたと日記に書き記しており、この頃にはすでに一品料理としてのナポリタンが成立していたのは間違いないのだが、このナポリタンがどのようなものだったのかは詳しくは分からない。
イタリア→アメリカ→日本渡来(横浜で誕生)説
イタリアのマリナーラやアマトリチャーナを元に、アメリカにてトマトケチャップで軽く味付けたスパゲッティ料理(カリオストロの城でルパンらが貪っていたスパゲッティ・ウィズ・ミートボール)が誕生している。日本のナポリタンはこれが元になっているという説が根強い。
それを、横浜山下町にあるホテルニューグランドの第2代総料理長・入江茂忠が改良したものだと云われる。入江は米軍兵士がケチャップでスパゲティを食べているのを見て、それだけでは味気がないと思い、炒めて水気を飛ばすなどのアレンジを加えて考案したという。オリジナルレシピでは、前述の理由からケチャップではなくトマトピューレを用いることとしている。ケチャップと置き換わったのは、昭和30年代に国産スパゲティ(乾燥パスタ)が日本製麻(ボルカノというブランドは聞いたことあるだろう)によって販売され、販売促進のデモンストレーションとしてこのナポリタンが選ばれたためだという。いずれにしろ、イタリアではあり得ない、パスタを炒めるという工程は日本ならではである。
アメリカ由来説はサントリーの烏龍茶のパッケージに書いてあったりしたので目にした人も結構いると思われる。洋食の例にもれず日本海軍発祥説もあるが、信憑性は薄い。海軍軍人がナポリタンを食べていなかったとは言い切れないが、それは洋食屋のナポリタンに影響を受けたものであったろう。昭和7年の『海軍研究調理献立集』には「マカロニナポリタン」なる料理が載っているが、これはトマトソースのマカロニグラタンに近いものである。
世界では不味い料理として認識されている?
実はナポリタンは世界の不味い料理ランキング「Worst Rated DISHES in the World」にも載っている。
これはナポリタンが外国人の口に合わないというよりも、「パスタにケチャップを使う」「パスタをゆでた上に更に炒める(火を通し過ぎる)」といったイタリア料理のタブーをいくつも犯しているためだと考えられる。
イタリア料理として見れば禁忌の料理なため、イタリア料理として捉えるか、新しい麺料理として捉えるかによって評価が大きく分かれてしまうのだろう。
実際に「Worst Rated DISHES in the World」にも火を通し過ぎる事(アルデンテを無視して更に加熱)を指摘しているので、このワーストはアルデンテを絶対と考えるイタリア料理の常識で考えた場合の評価といえる。なので欧米人でもイタリア人以外であれば普通に美味いという評価が帰ってくることもある。
アイスのナポリタン
イタリアでは、3つの味(バニラ、チョコレート、イチゴ)のアイスクリームをナポリタン(ナポリ風)と呼ぶ事がある。ちなみに某アイスバーは、そのままスパゲティ・ナポリタンの風味を追い求めたもの。