ざまぁ
ざまぁ
概要
「さまをみろ(様を見ろ)」が訛った「ざまあみろ(様あ見ろ)」の略語であり、特にネットで多用されている。
「様」とは「生き様」「有様」等の事で、つまり「自分の無様な状況を見ろ(そして嘆き苦しめ)」と言う意味。
酷い事をしたキャラが因果応報で酷い目にあったり、過剰なほど幸せなキャラ・勝ち逃げしたキャラ・推しを寝取ったキャラが不幸になったりする作品に付けられるタグ。
「ざまぁ」の前にキャラ名を付けて「○○ざまぁ」の形でも用いられる。
一次創作のざまぁ
当然ながら一次創作の原作者が、敵役や悪役の末路としてそのような展開にするのは許される。
特に昔からある復讐ものでは悪役が無慈悲な末路を迎えるケースが大半であり、近年では小説家になろう、カクヨム、エブリスタでもこの要素を含む内容の投稿は多く、最早一つのジャンルとして確立されている(具体例については関連記事の各項目を参照)。
もっとも、「許される」と言うのはあくまで「他人が作った物・他人の好きな物を踏みにじらない、虚仮にしない」という二次創作の倫理に照らし合わせた場合の話であって、読者感情や作品の評価については別の問題になる。
特に、受けた被害と復讐行為のバランスが取れていない内容の作品は、読者からの批判を受けやすい。
近年は印象を強くする為に、加害者側の悪辣さが不自然な程に強調されている描写も多く、(後で酷い目に会うと分かっていても)読者が強いストレスを感じ、粗製濫造もあって溜飲が下がる段階まで付き合えなくなるケースも多い。
同時にこの場合、最早普通の制裁や自業自得程度では「甘すぎる」と批判される場合もしばしば。
あるいは、主人公を虐げる以外の生活が全く想像出来ないような、ざまぁしていい気になるためだけに設定されたような薄っぺらさと見られて叩かれる事もある。
逆に被害者側にも問題があったりと、加害者側に情状酌量の余地があったにもかかわらず、徹底的に殲滅する等やり過ぎな復讐をしてしまうケースもある。
この場合、作者が主人公を偏愛し贔屓しすぎている点(いわゆるご都合主義)や、「そもそも主人公の方が制裁されるべきでは?」と言うような倫理観の欠如を批判される事になりやすい。
また、最近のざまぁ特化とでも呼ぶべき作品などは、本来なら主人公を務める被害者がモブレベルにしか登場せず、専ら加害者の凋落と破滅を描く事に筆を割くという、より悪趣味なものである。
そもそも対象が悪人とはいえ他人が酷い目に合うのを見下しながら楽しむと言う行為は趣味の良いものではないので、嫌う人はとことん嫌う。
とはいえ、そのような現実ではできない趣味の悪い行為だからこそ、創作世界ではそれを楽しみたいと言う「人間の悪性」を裏付ける層がいるのも、また否定できない事実である。需要があるからこそ、ジャンルとして確立されている訳だし。
叩かれたくない場合はここまでに挙げたポイントを意識してみると良いかもしれない。が、遠慮しすぎればざまぁ好き読者からは物足りないと言われ得る。
純然たる嗜好の問題として、「ざまぁ重視の内容」が好きな読者と、そういったものを不快に思う読者の溝は、決して埋まることはないと割り切る姿勢も互いに必要だろう。
関連記事
人の不幸は蜜の味、シャーデンフロイデ:類義語でニュアンスが違う。過去編がある復讐譚・倍返しよりも過去編のない自己投影・粗探しの意味で使われやすく、倒叙形式に使われやすい。
notざまぁ展開:読んで字のごとくざまぁ展開がない事。詳細については個別記事参照。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタ、アルファポリス:ざまぁ系統の作品が投稿されているWeb小説サイト。
イライラパート:ざまぁの前振りとなる段階にして、プロローグ等で性根の腐った悪役等が主人公やヒロインなどに危害を加える等して文字通り『読者のイライラが湧いてくるような段階』の通称。前述の通りここで好き勝手に悪行・蛮行三昧をやらかした悪役がそれに見合ったざまぁな末路を迎えないと顰蹙を買ってしまう。
負のご都合主義:読者のヘイトを買った悪役がそれに見合ったざまぁな末路を迎えなかった時に、読者が不満として用いる場合のある語句。詳細については個別記事参照。
メアリー・スー(幼女戦記):大本のWeb版では、「チートクラスの魔力を持つが独善性の塊である狂信者で、散々ヘイトを買った挙げ句、無様な最期を遂げる」と言う典型的なざまぁキャラ。そもそも名前からして嫌われ者の代名詞であるメアリー・スーから取っている。
だがその一方、商業化された書籍版以降では別人レベルで性格と境遇が異なり、敵役ながら共感・同情しやすいパーソナリティを与えられている。
「ネット界隈におけるざまぁ系の人気」と「商業作品界隈におけるざまぁ系の不人気」を、わかりやすい形で体現しているキャラと言える。