ここを概要とする
1999年放送「ヨーロッパ・リベンジ」にて。
9月11日、パリの凱旋門からスタートし、道中で『赤ずきん』や『いばら姫』のコントを繰り広げつつ、ほぼ一日走り詰めで、その『いばら姫』の舞台になったと言われるドイツのザバブルグ城に到着したどうでしょう班。時刻は午後7時を過ぎており、ここで大泉と嬉野Dが、「宿より先に飯を食いたい」と言い出した。
午後8時頃ザバブルグ城のレストランに入ったが、料理が一向に出てこない。やっとメイン料理を食い終わったのが10時過ぎで、当然その日の宿は決まっておらず、藤村Dは「夜12時までに宿が見つからなかったら野宿する」と宣告する。しかもD陣は、北欧では都市部以外は宿が少ないとあらかじめ聞いていて、自分達の分だけのテントと寝袋を用意していた。そしてようやくデザートまで食って出発したのが10時50分。近隣の町を懸命に回るもそんな時間に宿が見つかる訳がなく、夜12時を回ってしまいタイムオーバー。
藤村D「おい!このバカヤロー!よく聞け、いいか。ここをキャンプ地とする!」
街灯すらない真っ暗なドイツの道端で、藤村Dの怒号と一同の爆笑が響き渡った。
藤村D「ドイツだ、今ここは!ドイツで、我々は、今からこの道ばたで、テントを張るって言ってるんだ!!」
結局D陣がテント、大泉とミスターは車中泊することに決定。過去のロケでは散々藤村Dに文句を言ってきた大泉も、番組史上初めて「自分の非を認める」と謝罪した。
ちなみに大泉は、例の如く出発前にはどこへ行くか聞かされていなかった為、半袖短パンにサンダルという超軽装。防寒対策として与えられたのは、上述のコントに使用した王子の衣装のみ。その上藤村Dが、窓に隙間を空けたまま車のキーを持っていってしまったので、寒風が吹き込む車内で大泉はエンジンをかけられず、窓を閉めることもできず…
…どうなったかはお察しください。真冬のドイツは最低気温が-10℃以下は普通のことなんです。ロケがあった99年9月上旬と言えども…
なお、藤村Dは最初から寒いことは分かっていたので厳寒期用シュラフを持ち込んでおり、シュラフと自らのヒゲに守られて若干の寝汗までかいていたとか。それに対し、嬉野Dのシュラフは夏用であり(嬉野Dが夏用を持ってきた理由は、ただ単に「荷物が重いから」)、大泉同様寒くて死にそうだったらしい。
結果、野宿しなければならない状況を作った二人が一番死ぬ目に遭ったことから藤村Dは「昨日の原因作ったバカ二名が一番酷い目に遭ってる」と評した。
そして、これがきっかけとなり「メシより宿」という格言が生まれる事になった。
『北海道で家、建てます』では、どうでしょうハウス建設予定地で「キャンプ地をこことする」と言っている。そもそもこの場所はミスターの土地で、別荘が近くにあるのだからキャンプをする必要はないのだけれど。
ここを関連イラストとする
中には、本当にキャンプをしているイラストにつけられているものもある
ここをパロディとする
HTBの親玉テレビ局制作で、どうでしょう本放送から19年後に放送された37話にてこの台詞をパトレン1号 / 朝加圭一郎が言った。
しかもキャンプ地に決めた場所は鈴泉ふれあい広場のキャンプ場だった。
ただし色々あって最終的には夜野魁利が気になり、ビストロ・ジュレに押しかけて店内にテントを張って寝た(その間、魁利は探り入れられたらたまらないと徹夜した)。
第2部第1章『永久凍土帝国アナスタシア』にて、ゴーレムの素材が採り放題のトンネルを見つけて興奮したアヴィケブロンが「ここを工房とする!」と発言。
また、漫画版『-turas réalta-』(画:カワグチタケシ)では、第一特異点にて竜の魔女の軍勢から逃げた先で野営する際にジャンヌが「ここをキャンプ地とします」発言。ご丁寧に作品タイトルも「どうでしょう」風にアレンジされた。
2016年クリスマスイベントではジャンタが第六夜の開始早々に「ここをキャンプ地とします!」と発言。この時は二人のちびっこサーヴァントと一緒だった。
漫画版にて遠征中に野営する際キャンプ好きな土居球子が「今晩はここをキャンプ地とするっ!!」と発言している。
テレビアニメ第2期でまさかのパロディ化。
ここを関連動画とする
どうでしょう公式によるその一部始終
その現場を藤村Dと嬉野Dがストリートビューで確認